第17話 批評の権利

「あれ? 兄ちゃん、寝ないのか?」


 パピーは俺に気づくなり、ほんの少しだけ調子が外れた声で聞いてきた。

 そりゃこっちの台詞なんだが。


「寝たいんだけど、緊張しているせいか眠れなくてな。ちょっと気分転換に水を飲もうかなと」

「ああ、そういうことか。無理にでも早く寝た方がいいぞー。明日は大変だからなー。途中でバテても知らねーぞ」


 ケラケラとからかうように笑うパピーに、俺も笑って応えつつ厨房で水を飲む。

 そして、パピーの対面のソファに座った。


「そういうパピーの方こそ、どうしたんだ? 俺なんかよりよっぽど寝ないといけないんじゃないか?」


 俺は<観客オーディエンス>とやらで、飲食と睡眠は必要ないらしい。まぁ精神的な疲労はあるから、寝たいとは思うが。


 だが<役者キャスト>であるパピーの身体は当然、人らしい生活習慣を求める。睡眠は必要だし、パピーはアリスに次ぐ戦闘要員。なら、パピーの方こそ寝ないといけないだろうに。


 俺の問いに、パピーは曖昧に笑った。


「んー、まぁそうなんだけどさ。ちょっと気になることがあってね……」

「考え事か。もしかして、明日の潜入が怖いとか?」

「そりゃ兄ちゃんの方だろっ。あたしらはもう数年間も戦ってきたんだぜっ。今さら仲間と敵地で合流する程度のことで怖がるかっ」


 図星だ。正直、俺はちょっと怖い。

 しかし、そう言うパピーは偽りなく笑い飛ばしている。本当に恐怖はない……いや、克服しているのだろう。数年もの間、それだけの経験をこの世界で重ねているに違いない。

 

 そんな奴が今さら、怖くて眠れないなんてことはないか。


「それじゃあ何を気にしているんだ? 俺にできることなら相談に乗るぞ」

「いいよ。どうせあたしが――あっ。いや、待てよ。そっか、兄ちゃんは別なのか」


 自虐的な笑みを浮かべていたパピーは、何か思うところがあったのか。ハッとしてソファに沈めていた体を起こし、ほんの少し前のめりになった。


「あのさ、兄ちゃんはあたしらの行動をどう思う?」

「どう、っていうのは?」

「このまま計画通りに動いて、本当にこの世界を解放できると思うかってこと」


 意図を掴み切れていない俺に、パピーはやきもきしながらそう続けた。

 発言の内容と、パピーの様子から察すると――


「パピーはクーデターの計画が失敗するって思ってるのか?」

「いや、まぁそれもあるっちゃあるけど。それ以前の問題というか……」


 パピーは目をつむると、手で頭を支えて考え込む。

 パピー自身、自分の考えを扱いかねているのかもしれない。


「まぁ、今回程の規模は初めてだけど、この数年間あたしらも戦い続けてきたからな。それで負け続けて、今もこうしてこの世界に閉じ込められている。だから負け癖と言うか、負け犬根性が染みついているのかもしれない」

「お前、犬だしな」

「殴るぞ」


 わりと本気な怒りで、睨み付けられた。

 つい言ってしまったけど、茶化すところじゃないわな。すまん……。


「ああでも、実際に勝てるかどうかはやっぱり怪しいな。あっちには“エース”がいるから。今まで何度もあとちょっとというところで、エースに邪魔されてきたんだ。兵力を分散させて、アリスとタイマンまで持ち込ませて、確実に勝てるかどうか……それならやっぱり別なやり方の方がいいんじゃ……」


 ぶつぶつと呟き、一人の世界に入ってパピーは考え始める。

 パピーをここまで悩ませるとは。そのエースという奴はよっぽどの強さなんだろうな。

 そもそもあのアリスですら勝てるか分からない、という時点でとんでもないか。

 まぁでも、話は分かった。


「要するに、パピーは疑っているんだな。この計画がそもそも間違いじゃないのか。そしてアリスが勝てるかどうか」

「――それはない」


 パピーはスッと顔を上げると、射抜くような目を俺に向ける。


「計画はともかく、アリスを疑うなんてあり得ない。アリスにできないなら、他の誰にだってできやしない。そう信じているから、あたしらはアリスについていってるんだ」

「あっ、ああ。そうだな。スマン」


 そんなつもりで言った訳じゃないんだが……。

 訂正するともっと怒らせる気がして、素直に謝った。

 しかし幸いにも、パピーはあっと小さく声を漏らし、俺に謝ってくれた。


「ごめんごめん。過敏に反応しすぎた。戦いの勝敗はまた違う話だよな」

「いや、それだけお前らはアリスを信頼しているってことだろ。誤解させるようなことを言った俺も悪いから、気にしないでくれ」


 ちょっとアホっぽいが。底抜けに明るく、賑やかに困難に向かい続けるアリス。そんなアリスを信じ、ついていく仲間たち。


 この信頼関係はとても眩く見える。それにケチをつけたくない。

 俺が手に入れられなかったものだから、なおさらな。


 照れくさそうに咳払いをして、パピーは続けた。


「ま、まぁどうやら計画自体に不安があるみたいだけどさ。最初に言ったけど、それ以前の問題なんだよ。なんというか、根本的に何かを間違えているような気がするんだよな」

「それは……女王を倒したところで何も変わらないってことか?」


「……たぶん?」

「たぶんって、また曖昧だな」


 首を傾げるパピーに思わず呆れてしまう。

 そんなふわっとした理由で、間違っているとか言われてもな。

 俺の視線に気づいたのか、慌ててパピーは言葉を重ねる。


「いやっ、分かるよ? あたしが変なこと言ってるってのは。ただ、ずっと前からなんとなく気になってるんだよ。それが何でなのかは説明できないし、直感としか言えないんだけど」

「直感か。俺としては否定したくない感覚だな」


 サッカーをやっていた時、俺もよく直感に従って動くことがあった。

 理屈じゃないんだけど、なんとなくこうした方が良いと思って動くと、なぜか上手く行くんだよな。


 俺自身そんな人間だからこそ、パピーの言うことを無下にしたくないんだが。


「そうは言っても、実際に女王が横暴に振舞っているのは事実なんだろう? そしてこの世界の皆が困っている。なら女王を打倒すること自体は、間違っていないんじゃないか?」

「……そう、だよな……そうなんだよな……」


 パピーは俺の言葉に頷きながらも、しゅんと気落ちした様子だった。頭の犬耳も垂れて、落ち込んでいるのが分かりやすい。


「今までさ、同じことを皆に聞いても、あたしと同じことを感じている奴は誰も居なかったんだ。あたしと感覚が近い兄ちゃんなら、もしかしてと思ったけど、そっか。あたしが変に思っているだけか……」


 パピーは寂し気に天井を見上げる。まるで親を失った子犬のような、そんな姿だった。

 思い返せば、パピーはこの世界で数少ないまともな感覚を持った人物。ということは、一人疎外感を感じていることもあったんじゃないか?


 とてもそういう風には見えないが、たった一人だけ違う感覚で、数年間を過ごす。それはどれだけ辛いことだろう。見えないだけで、実は傷ついているんじゃ?


 そう考えたら放っておけなくて、俺は気づけば口に出していた。


「ただ、俺は今日ここに来たばかりだからな。まだ何も分かっていないから、気づかないだけかもしれない。お前がそこまで言うなら、たぶん何かがあるんだと思う。だから、明日からは俺も考えてみるよ」

「兄ちゃん……うん、ありがとな」


 ニシシッ、と悪ガキのような笑みを浮かべると、パピーはソファから立ち上がり、寝室に向かった。


「気にしても仕方ないし、あたしもそろそろ寝るよ。兄ちゃんも早く寝た方がいいぜ」

「ああ、もう少ししたら寝るよ。おやすみ」


 パピーは小さく頷き、部屋を出ていく。

 あの様子なら、少しは気が晴れたかな? そうだったらいいんだが。


「それにしても意外だったな。パピーもあんな風に悩むことがあるんだな」

「人の外側と内側が異なるなど当然のこと。豪快に見える者ほど、意外と繊細なものだ。勝手なイメージで人を語るなど傲慢の極みでしかない。貴様はそうなるなよ」

「どわっ!?」


 後ろから聞き覚えのある憎たらしい声が聞こえ、思わず声を上げた。

 見れば、俺の座っているソファの背面に隠れるように、ウサギが座っていた。


「いつの間にいたんだお前。というかそんな所で何をしてるんだ?」

「なに、部屋の外でノロノロと歩く男の気配がしてな。脱走でもするのかと思いきや、なんと子犬の少女と逢引をしているではないか。大人として、過ちが起きないよう見張らなければいかんと思ってな。空気を壊さないようこうして身を潜めていたのだ」

「過ちってなんだ。起きねぇよそんなもん」


 こいつ、マジで俺をなんだと思ってるんだ……。

 ウサギはスクッと立ち上がると、ピョンピョンと寝室へと向かう。

 そのまま出ていくのかと思いきや、扉に手を掛けながらウサギは言った。


「誠、さっきのパピーの話だが、できれば気にしてやってくれんか?」

「なんだよわざわざ。言われなくてもそうするつもりだが」


 まったく見当はつかないが、あんなに悩んでいたんだから放ってはおけない。

 俺の返答に、ウサギは満足そうに笑った。


「そうか、それならいい。ところで今になって気づいたのだがな。貴様は<観客>。<役者>のように戦うことはできない。だが、<観客>にしかできないことがある」

「なんだよそれ? 応援だけじゃなくてか?」

「批評だよ。お前は批評することを許されている立場なのだ」


 ウサギは意味深な目を俺に向け、続けた。


「この世界という劇の参加者である<役者>に、批評をすることはできない。その権利があるのは<観客>だけだ。そして批評する側だからこそ、何にも影響されず、冷静な目で物事を見ることができる」

「ん? まぁ、そうかもな?」


 確かに批評するのは外側の人間だ。内側の人間がいくら言っても、自我自賛か自己卑下にしかならんし。


「この世界は【不思議の国のアリス】。ゆえにアリスを中心として話が回り、誰もがアリスの輝きに目を奪われる。それは良くも悪くもだ。アリスも、他の<役者>も、本当の姿はただの子供に過ぎない。貴様にはそれを忘れずに、あの者たちを見てやって欲しいのだ」

「そんなの言われずとも分かっている。戦えないとはいえ、俺が一番年上だしな。下の奴らの面倒を見るのは当然だろ」


 その戦えないというのが致命的過ぎるが……。

 なんだったら俺が面倒を見られる側だが……。


 それでも、年長者のプライドを捨ててはいけないと思う。

 当然のことを言っただけなのに、ウサギは珍しく柔らかい表情で俺を見ていた。


「それならいい。貴様も寝ておけよ。明日、泣き言を口にしても助けてやらんぞ」

「誰がするか。お前の助けなんかいらねぇよ」


 俺の減らず口に愉快そうに笑いながら、ウサギは部屋を出ていく。

 俺も部屋に戻るべきだと思ったが……ウサギの言葉が頭から離れなかった。

 

 どうにも気になる。ウサギの話には、どこか意味深なものがあった。

 もしかしてだけどアイツ、パピーの疑問の正体を知っているんじゃないか?

 

 だとして、なぜそれを言わない? 俺に対しては厳しい、というか雑な対応だが、他の女の子達には気遣いを見せるアイツなら、言ってもおかしくないんじゃないか?


 ――もしかして、言えない理由でもあるのか?


 ベッドに入り、眠りに就くまで、俺はずっとそれを考え続けていた。

 しかし結局、何も思いつかないまま明日を迎えていた。

 


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