シュガーレスファンタジー
迷子
第一幕 ワンダーアリス
第1話 俺と妹
進むならば覚悟せよ。
この世界で――“甘い
♦ ♦
――カタカタカタカタカタカタカタカタ。
――ガチャ、ガシャン、ガチャ、ガシャン。
ベルトコンベアーで運ばれてくるそれに、自分の担当部品を乗せる。そして流れていくそれを目も向けず、また次の物に同じことを繰り返す。
悩めば全体を止めて、他の社員に迷惑をかける。だから悩んではいけない。ただひたすらに手を動かす。
なんの面白みもない作業を、延々と繰り返す。いつ終わるのかと時間を意識してしまうと、その遠さにとてつもない苦痛を感じてしまう。だから自分も機械の一部になった気持ちになって、終業時間までこの作業を続ける。
誰でも出来るほど簡単な代わりに、自分が死んでいくような心の摩耗を感じる、この作業を。
これが中卒で就職した俺。朔原誠、十七歳の仕事である。
♦ ♦
「朔原君。お疲れ様」
「はい。お疲れ様です」
就業時間を終えて着替えていると、班長が労いの声をかけてくれた。
「今日も行くのかい?」
「はい。特に用事もないので」
「そうかい。いつも偉いね。気をつけて帰るんだよ」
「はい。それでは失礼します」
ちょうど着替えが終わり、会釈して俺はロッカールームを出る。
その直前、チッと舌打ちの音が聞こえた。
「本当に生意気なガキだな。少しは愛想良くしたらどうなんだよ」
「やめなさい。朔原君は必死なだけだよ。まだ子供なのに立派じゃないか」
背中からそんなやりとりが聞こえてくる。
庇ってくれる班長に申し訳なく思いつつ、気づかないふりをして俺は工場を出た。
♦ ♦
俺が中卒で働いているのは、もちろん望んでのものではない。
今から三年ほど前、父さんと母さんが事故で死んだ。
結婚記念日だから、夫婦水入らずでデートでもしてきなよ。
俺と妹のからかい混じりの提案に照れつつも、たまにはと二人は案外乗り気で出かけ、その先で交通事故に巻き込まれた。
警察から連絡が来て、訳もわからずその病院に向かった時には遅かった。医者の奮闘も虚しく、二人は亡くなっていた。
突然両親を失い、俺も妹も何も考えられなかった。だが、さらに辛い現実を突きつけられたのはその後だった。
両親を殺した相手は、飲酒運転をした上に保険にも入っておらず、支払い能力もないような男だった。そのくせ自分は悪くないと繰り返し、謝罪の言葉も出ないようなクズだった。
こんな奴のせいで二人が死んだのかと思うと、凄まじい怒りが溢れてきたのを覚えている。
だが、そんな余裕は俺達にはなかった。
どこから聞きつけたのか、会ったこともない親戚を名乗る連中の訪問。どいつもこいつも『自分に任せろ』『悪いようにはしない』と、同じ言葉を使うばかり。
早くに祖父母が亡くなり、両親から親戚は居ないと聞かされてなければ、俺は疑うこともできず騙されていたかもしれない。
不幸中の幸いだったのは、父さんと仲が良かった弁護士の友人がいたことだ。
まだ子供で何も出来ない俺たちに代わって、その弁護士さんが必要な手続きをしてくれた。
そのおかげで両親が残してくれた家を守る事ができたし、妹とも離れ離れにならずに済んだ。弁護士さんには本当に感謝してもし足りない。
だけど、不幸はそこで終わらなかった。
そのせいで、俺は中卒で働かざるを得なくなっている。
「あら誠君。お疲れ様」
「お疲れ様です。面会手続きお願いします」
病院の受付で、もう何度も繰り返したやり取りを今日もやる。
毎日訪れているせいで、受付や看護師さんとはもうすっかり顔馴染みになってしまった。
そのおかげで、今では手続きのちょっとした時間で世間話をするくらいの仲だ。
「今日も仕事帰り?」
「はい。そのまま来ました」
「そう。疲れているだろうに、こんな遅くになっても面会は欠かさないで、いつも偉いね」
「偉くなんてないですよ。来たくて来てるだけですから。それに、一人で家に居ると嫌なことばかり考えるので」
「そっか……。はい、大丈夫です。面会時間は守ってね」
受付さんに会釈して、俺は病室に向かう。
遅いとはいえ、まだ寝るにも早い時間。病室からは、まだ起きている人たちの話し声や気配が漂ってくる。
しかし、あるフロアからまるで誰もいないかのように、人の気配が薄くなった。
そのフロアにある四人部屋の病室に、妹はいる。
そこで入院している患者にはある共通点がある。
全員が十代前半の少女であること。そして、四人とも深い眠りに就いているということ。
「よう、結衣。今日も会いに来たぞ」
窓際で眠っている妹に話しかけるが、起きる気配はない。
いつも通りの姿に俺はやるせない気持ちになりつつ、椅子に座って独り言のように結衣に話し続けた。
――妹はもう、二年近く眠り続けている。
♦ ♦
今から五年ほど前。世界中のあちこちで、ある日突然、眠り続けて目を覚まさなくなった少女達が現れた。
眠り続けている以外、体は至って健康。点滴で栄養剤さえ与えていれば生きることはできる。
原因は不明。治療法も不明。そもそもこれは病気なのかすらはっきりと分かっていない。
この病で分かっていることは、中学生以下の少女達だけに発症するという点のみ。
通称――アリス症候群。
まるで少女達が夢の世界から帰って来れなくなっているかのようだ、という医者が漏らした言葉から、“不思議の国のアリス”にちなんでそう呼ばれるようになったらしい。
眠っている以外は健康。そう言われていたとしても、親しい者にとって安心できるものではない。
いつまでも眠りから覚めないのは、植物人間となんら変わらないのだから。
そして、この状態がいつまでも続くとは限らないということも分かってきている。
発展途上国など設備の整っていない所や、経済的に裕福とは言えない者達。そういったところでは点滴すら受けられず、眠り続けたまま衰弱死してしまう少女もいる。
そして点滴を受けて問題のなかった子達の中からも、ある日突然、その命を終えた子も現れている。
死んでしまった子達と、今もなお眠り続けている子達。その違いが何なのかは、まだ判明していない。
こうして眠り続けている妹や、同じ部屋で眠っている子達もいつ死ぬか分からない。
今となっては人類滅亡に繋がりかねない社会問題となっているのが、この病だ。
妹がこの病にかかってしまった為に、俺は進学を諦めて働くことを決意した。
親身になって相談に乗ってくれた弁護士さんは、俺がそこまで犠牲になる必要はないと言ってくれた。それだけの余裕はあるのだからと。
しかし妹がいつ目覚めるか分からないこの状況で、俺は楽観的にはなれなかった。数年で目覚めるかもしれないし、あるいは数十年眠り続けるかもしれない。その現実を見れば、進学するという選択は取れなかった。
だから、俺は全てを諦めた。
当たり前のように過ごせると思い込んでいた、華やかなスクールライフでの青春を。
全てを懸ける価値を感じていた夢を。
一番大事だった、サッカーを。
「誠君。そろそろ時間よ」
「ああ、すみません。それじゃあ結衣。また来るからな」
結衣に声をかけ、俺は病室を出る。
そんな俺に、看護師さんが声をかけてくれた。
「本当に凄いわね、誠君は。その歳で毎日働いて、こうして欠かさず結衣ちゃんのお見舞いに来て」
「そんなことないですよ。俺が来たいから来てるだけで。それに、俺しか会いに来てくれる人も居ないですから」
「それでもよ。あの子達の中には、親ですら全く会いに来ない人も居るんだから」
そんな看護師さんの言葉に、俺は同意できなかった。
いつ起きるかも分からない。声をかけても全く反応しない。それが見舞いに来た人にとって、どんなに辛いかはよく分かるから。
「こんなに優しいお兄ちゃんがいて、結衣ちゃんもきっと誇らしいでしょうね」
「……ははっ、そうですかね」
看護師さんの賛辞に、俺は愛想笑いで誤魔化すしかなかった。
胸の奥のモヤモヤを振り払うように、気づけばシャツの下のペンダントを握りしめていた。
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