第18話 主の声

刃と牙がぶつかり合い、火花が散った。


甚兵衛の肩はすでに裂かれ、弥市も腕に深い傷を負っていた。

だが二人は退かず、鬣犬の動きを封じるために、命を賭して戦っていた。


鬣犬は、甚兵衛の刃を避けながらも、どこか動きに迷いが見え始めていた。

かつてのような鋭さが、わずかに鈍っている。


その時――山の奥から、老婆の声が響いた。


「やめるな……甚兵衛を喰らえ……この村に、恐怖を刻め……!」


その声は、風に乗って鬣犬の耳に届いた。

獣は一瞬、動きを止めた。その瞳に、赤い光が揺らいだ。


甚兵衛は、その隙を見逃さなかった。


「迷っているな……お前は、命令で動いている。だが、心は……まだ、獣のままだ」


鬣犬が唸りを上げる。

だが、その声には、怒りよりも苦悶が混じっていた。


「お前は、憎しみで生まれた。だが、憎しみだけで生きているわけではない。お前の目は、主を守ろうとしていた。あれは、忠誠だ。愛だ」


甚兵衛の言葉に、鬣犬が再び動きを止める。


老婆の声が、さらに強く響く。


「斬れ!喰らえ!この者は、我らを捨てた村の象徴だ!」


鬣犬は、呻くような声を上げた。

その巨体が震え、爪が地を掴む。


弥市が、甚兵衛の背後から叫ぶ。


「甚兵衛さん!今なら、届くかもしれない!」


甚兵衛は、刀を構え直した。


「俺の刃は、憎しみを斬るためのものだ。お前の心が、まだ獣であるなら――その迷いを、断ち切ってやる」


鬣犬が、ゆっくりと甚兵衛に向かって歩み出す。


その瞳には、怒りでも憎しみでもない、何か別の光が宿っていた。

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