第5話:勇者の無垢さ

盗賊事件から数日後。


リオとクロウは、訓練場で休憩していた。


「クロウさん、水どうぞ」


リオが水筒を差し出す。


「……ああ」


クロウは受け取り、一口飲む。


二人は並んで地面に座っていた。


「……ねえ、クロウさん」


「何だ」


「ずっと思ってたんだけど……」


リオは少し照れくさそうに笑う。


「『クロウさん』って、堅苦しくないですか?」


「……」


「僕たち、もう何度も一緒に戦ってるのに。敬語も、なんだか距離がある気がして」


リオは真っすぐにクロウを見る。


「だから……普通に話していいかな?」


「……」


クロウは少しの間、沈黙する。


そして――


「……好きにしろ」


「本当に?」


リオの顔がぱっと明るくなる。


「じゃあ、これからは『クロウ』って呼ぶね」


「ああ」


「よろしく、クロウ」


リオは笑顔で手を差し出す。


クロウは――その手を見つめ、やがてゆっくりと握った。


「……ああ」


---


その手の温もりが、クロウの胸に広がる。


距離が、縮まった。


それは、嬉しいことだった。


クロウは、初めてそう感じていた。


---


その夜。


クロウとリオは、王城の庭で星を見ていた。


「星、きれいだね」


リオが呟く。


「……ああ」


「クロウは、星を見たこと、あった?」


「……覚えていない」


クロウは正直に答える。


「記憶がないんだ」


「そっか……」


リオは少し寂しそうに微笑む。


「じゃあ、これが初めてだね」


「……そうだな」


「どう?きれい?」


「……分からない」


クロウは首を傾げる。


「きれい、という感覚が――よく分からないし考えたこともない」


「そっか……」


リオは少し考えてから、言った。


「じゃあ、これから一緒に探そう」


「探す?」


「うん。きれいなもの。楽しいこと。美味しいもの」


リオは笑顔で言う。


「クロウが感じられるもの、きっとあるよ」


「……」


クロウは、リオの横顔を見た。


月明かりに照らされた、その笑顔。


それは――


「……お前は、まっすぐだな」


「え?」


リオが驚いて振り向く。


「今、何て……?」


「……何でもない」


クロウは視線を逸らす。


だが、リオは嬉しそうに笑った。


「ありがとう、クロウ」


---


翌日。


新たな報告が入った。


「盗賊事件の黒幕が判明しました」


騎士が告げる。


「黒幕……?」


リオが眉をひそめる。


「はい。貴族のダルトン卿です」


「貴族が……?」


「彼は、重税で民から金を搾り取り、その不満を盗賊に向けていました」


「そんな……」


リオは愕然とする。


「そして、盗賊を討伐することで、自分の手柄にしていたのです」


「酷い……」


「現在、ダルトン卿は自領に逃げ込んでいます。討伐命令が出ました」


「討伐……」


リオは唇を噛む。


「待って。まず、話を聞かせてもらえないかな」


「話、ですか?」


「うん。もしかしたら、彼にも理由があるかもしれない」


騎士は困惑した表情を浮かべる。


「……勇者様のご判断にお任せします」


---


リオとクロウは、ダルトン卿の領地へ向かった。


道中、クロウが口を開く。


「お前は、また説得するつもりか」


「……うん」


リオは頷く。


「暴力じゃなくて、言葉で解決したい」


「前回、裏切られただろう」


「うん。でも――」


リオは真っすぐ前を見る。


「それでも、僕は信じたいんだ」


「……」


「クロウは、僕のこと、甘いって思ってる?」


リオが聞く。


クロウは少しの間、沈黙してから答えた。


「……甘い、とは思う」


「そっか」


リオは苦笑する。


「でも――それが、お前の強さなんだな」


「え?」


「俺には、できない。人を信じることが」


クロウは続ける。


「だが、お前はできる。それは――強さだ」


「クロウ……」


リオは微笑む。


「ありがとう。でも――」


「ん?」


「クロウも、僕のこと信じてくれてるよね?」


その言葉に、クロウは――僅かに笑った。


「……ああ」


「良かった」


リオは嬉しそうに笑う。


「じゃあ、僕も頑張れる」


---


ダルトン卿の屋敷。


豪華な門構えで、兵士が警備していた。


「勇者様――!」


兵士たちが驚いて剣を抜く。


「待って、戦いに来たんじゃない」


リオが手を上げる。


「ダルトン卿と話がしたいんだ」


「……お待ちください」


兵士の一人が屋敷の中へ走る。


やがて、太った中年男性が現れた。


ダルトン卿だ。


「勇者殿、わざわざご足労を……」


「ダルトン卿、話がある」


リオは真っすぐに彼を見る。


「盗賊を利用して、民から金を搾り取っていたそうだね」


「……何のことやら」


ダルトン卿はしらを切る。


「証拠は?」


「盗賊たちが証言している」


「盗賊の言葉など、信用できますまい」


「……」


リオは唇を噛む。


---


「ダルトン卿」


リオは深呼吸してから、言った。


「どうして、そんなことをしたのですか?」


「……」


「お金が欲しかったのですか?それとも、手柄ですか?そんなに名声が大事ですか?」


「……勇者殿は、お若い」


ダルトン卿は嘲笑する。


「この世界は、金と権力が全てです。綺麗事では、生きていけません」


「でも――」


「民など、いくらでも代わりがいる。搾り取るのが、貴族の権利です」


その言葉に、リオは息を呑む。


「そんな……そんなの、間違ってる」


「間違っている?」


ダルトン卿は笑う。


「これが、現実ですよ。勇者殿」


「……」


「さあ、お引き取りください。これ以上、私の領地に居座るなら――」


ダルトン卿は兵士たちに目配せする。


「勇者様の実力では、私の兵には敵いませんよ」


---


兵士たちが、剣を構える。


リオは――悔しそうに拳を握りしめた。


「……言葉じゃ、駄目なんだ」


その声は、震えていた。


「やっぱり、僕は……」


その時、クロウが前に出た。


「下がってろ、リオ」


「クロウ……」


「お前の言葉は、間違っていない」


クロウは短剣を抜く。


「だが、言葉が通じない相手もいる」


「……」


「その時は――俺が、やる」


クロウは兵士たちを見据える。


「非殺傷で制圧する。お前の理想を、壊さないために」


「クロウ……!」


リオの目に、涙が滲む。


---


兵士たちが襲いかかる。


だが――


クロウの動きは、圧倒的だった。


剣を弾き、足を払い、急所を突く。


全て、殺さないように。


だが、確実に無力化する。


それは、暗殺者の技術を――守るために使う戦い方だった。


「くそ……何て奴だ……!」


兵士たちが次々と倒れる。


やがて、全員が地面に伏せた。


「……終わりだ」


クロウはダルトン卿に短剣を向ける。


「お、お前……!」


「リオ」


クロウが振り返る。


「どうする?」


「……」


リオは、ダルトン卿を見る。


彼は恐怖に震えていた。


「殺さないで……頼む……」


「……」


リオは深く息を吸い込んでから、言った。


「殺さない。でも――王国に連行する」


「な……」


「あなたがしたことは、裁かれるべきだ」


リオの瞳には、迷いがなかった。


---


帰路。


リオは黙り込んでいた。


「……どうした」


クロウが聞く。


「……ごめん」


「何が」


「僕、また――言葉じゃ何も変えられなかった」


リオの声は、小さかった。


「結局、クロウの力に頼っちゃった」


「……」


「僕は、勇者なのに――何もできなかった」


その声が、震えていた。


クロウは、立ち止まる。


そして――


「リオ」


「……」


「お前の言葉は、無駄じゃなかった」


「え?」


「お前が、俺に『非殺傷で』と願ったから――俺は、殺さなかった」


クロウは続ける。


「俺は、ずっと人を殺してきた。それが、任務だった」


「……」


「だが、お前の言葉があったから――俺は、守ることができた」


クロウはリオを見る。


「お前の理想が、俺を変えた」


「クロウ……」


「だから、お前の言葉は――無駄じゃない」


その言葉に、リオの目から涙が零れた。


「……ありがとう」


リオは泣きながら、微笑む。


「クロウがいてくれて――本当に、良かった」


---


その夜。


二人は野営をしていた。


焚き火を囲んで、並んで座る。


「なあ、クロウ」


「ん」


「クロウは、どうして僕を守ってくれるの?」


リオが聞く。


「……任務だ」


「本当に?」


リオは微笑む。


「任務だけなら、あんな風に戦わないと思うけど」


「……」


クロウは答えられなかった。


なぜ、守るのか。


それは――


「……お前が、大切だから、かもしれない」


「え……?」


リオが驚いたように目を見開く。


「大切……?」


「……ああ」


クロウは視線を逸らす。


「お前は、俺にとって――初めて、大切だと思えた存在だ」


「クロウ……」


「だから、守りたい。それだけだ」


その言葉に、リオは胸を熱くする。


「ありがとう……」


「……」


焚き火の明かりが、二人を照らす。


影と光。


それは、もう対立するものではなかった。


互いを照らし合い、支え合う――


そんな関係になっていた。


---


だが――


クロウの胸の刻印が、また疼いた。


「……っ」


「クロウ?」


リオが心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫?」


「……ああ。何でもない」


クロウは笑顔を作る。


だが、心の中では――


不安が広がっていた。


感情が戻ると、刻印が暴走する。


それは、時間の問題だった。


「……」


クロウは、リオの笑顔を見る。


この笑顔を、守りたい。


だが――


自分の命が、どこまで持つのか。


クロウには、分からなかった。


---


翌日、王城に戻った。


ダルトン卿は牢に収監された。


だが――


「勇者リオ」


重臣に呼ばれる。


「はい」


「今回の件、貴族を逮捕したことは――問題だ」


「え……?」


「貴族は、王国の重要な柱だ。それを勝手に逮捕するなど――」


「でも、彼は民を苦しめていました!」


リオが反論する。


「それでも、だ」


重臣は冷たく言い放つ。


「貴族の罪は、我々が裁く。勇者が勝手に動くな」


「そんな……」


「今回は見逃す。だが、次はない」


重臣はリオを睨む。


「分かったか?」


「……」


リオは、唇を噛んで頷いた。


---


廊下に出たリオは、項垂れていた。


「……また、駄目だった」


クロウは、その隣を歩く。


「王国は、腐っている」


「え?」


「貴族を守り、民を見捨てる。それが、この国だ」


クロウの言葉に、リオは顔を上げる。


「……うん。そうだね」


「……」


「僕、気づいちゃった」


リオは寂しそうに笑う。


「この国は――僕が思ってたような、正しい国じゃないんだ」


「……」


「魔王と戦う、正義の国だと思ってた」


リオの声が、震える。


「でも、違った。この国も――歪んでる」


「……そうだ」


クロウは頷く。


「だが、お前は間違っていない」


「え?」


「お前の理想は、正しい」


クロウは続ける。


「この国が歪んでいるだけだ」


「クロウ……」


「だから、諦めるな」


クロウはリオを見る。


「お前の光を、失うな」


その言葉に、リオは――微笑んだ。


「……うん。ありがとう、クロウ」


---


その夜。


リオは自室で、日記を書いていた。


『今日、また気づいてしまった。


この国は、僕が思っていたような国じゃない。


正義なんて、ないのかもしれない。


でも――


クロウがいてくれる。


彼は、僕の理想を笑わない。


守ってくれる。


だから、僕は――まだ、頑張れる』


リオはペンを置く。


そして、窓の外を見る。


星が、瞬いていた。


「クロウ……」


リオは呟く。


「ありがとう」


---


一方、クロウは地下の影の領域にいた。


「クロウ、大丈夫か?」


セルヴァンが声をかける。


「……ああ」


「顔色が悪いぞ。薬、飲んでないだろ」


「……」


「危険だぞ。感情が戻ると、刻印が――」


「分かっている」


クロウは言い切る。


「だが、もう戻れない」


「……そうか」


セルヴァンは深く溜息をつく。


「お前、勇者に――リオに、惹かれてるんだな」


「……」


クロウは答えなかった。


だが、その沈黙が――答えだった。


「気をつけろよ。王国は、お前に彼を殺せと命じるかもしれない」


「……その時は」


クロウは拳を握る。


「俺は、王国を裏切る」


その言葉に、セルヴァンは驚いたように目を見開いた。


「……本気か?」


「ああ」


クロウの瞳には、迷いがなかった。


「リオを、守る。それが――俺の、意志だ」


---


クロウは、もう道具ではなかった。


彼は――


自分の意志で、生き始めていた。


---


### 次回予告


リオとクロウの距離が縮まる中、王国の影が迫る。


新たな任務――魔王の配下との戦い。


だが、その戦いの中で、リオは決定的な場面に遭遇する。


民の死。


その悲しみに、リオは涙する。


そして、クロウの心にも――共鳴が走る。


感情は、もう止められない。


**第6話「感情の代償」**


影の契約が、キシみ始める。

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