第3話:揺らぐ心

召喚から一週間が経った。


リオは順調に成長していた。


レベルは1から7へ。まだ低いが、確実に力をつけている。


そして今日、初めての本格的な任務が下された。


「村の魔物討伐、か」


クロウは任務書を読み上げる。


「はい。近隣の村で、魔物の群れが出没しているそうです」


リオが答える。


「民間人に被害が出る前に、討伐してほしいと」


「……分かった」


クロウは任務書を畳む。


だが、その目には――わずかな迷いがあった。


---


村までの道中。


リオは珍しく無口だった。


「どうした」


クロウが問う。


「あ、いえ……」


リオは少し迷ってから、口を開く。


「クロウさんは、怖くないんですか?」


「何が」


「魔物と戦うこと、です」


「……」


クロウは少しの間、沈黙する。


「恐怖は、感情だ。俺にはない」


「そう、ですか……」


リオは俯く。


「僕は、怖いです。正直」


「……」


「でも、誰かを守るために――僕は戦います」


リオの拳が、わずかに震えていた。


クロウは、その姿を見た。


恐怖を抱えながらも、前に進もうとする姿。


それは――


「……強い、な」


「え?」


「お前は、強い」


クロウの言葉に、リオは驚いたように目を見開く。


「恐怖を抱えながら、それでも戦おうとする。それは――」


クロウは言葉を切る。


何と言えばいいのか、分からなかった。


だが、胸の奥で――何かが温かかった。


---


村に到着すると、村長が出迎えた。


「勇者様、ありがとうございます……!」


「いえ、これが僕の役目ですから」


リオは笑顔で答える。


「魔物はどこに?」


「森の奥に巣があると思われます。夜になると、村の近くまで降りてくるんです」


「分かりました。すぐに討伐します」


「お願いします……!」


村長は深々と頭を下げる。


---


リオとクロウは、森へと向かった。


「魔物の種類は?」


「ゴブリンの群れ、だそうです」


「……厄介だな」


ゴブリンは単体では弱いが、群れで行動する。


数が多ければ、油断できない。


「レベル7のお前には、荷が重い」


「でも、やります」


リオの瞳に、迷いはなかった。


クロウは、その横顔を見る。


そして――胸の奥で、何かが疼いた。


---


森の奥。


ゴブリンの巣は、すぐに見つかった。


洞窟の入り口に、複数の個体が見える。


「20……いや、30はいるな」


クロウが呟く。


「そんなに……」


リオが息を呑む。


「俺が先行する。お前は後方支援だ」


「でも――」


「命令だ」


クロウの声が、冷たく響く。


リオは唇を噛むが、頷いた。


---


クロウが洞窟に突入する。


瞬間、ゴブリンたちが一斉に襲いかかる。


だが――


クロウの動きは、鬼神のようだった。


短剣が閃く。一撃で、ゴブリンが倒れる。


回避、攻撃、殺傷。


全てが無駄なく、完璧だった。


レベル999の暗殺者。


その実力は、圧倒的だった。


---


だが、その時――


リオが叫んだ。


「クロウさん、後ろ――!」


クロウが振り向く。


洞窟の奥から、さらに大量のゴブリンが現れていた。


50、60――いや、100を超える。


「……予想外だな」


クロウは冷静に状況を分析する。


この数なら、殲滅に時間がかかる。


そして――


リオが、狙われている。


「リオ、下がれ――!」


クロウが叫ぶ。


だが、間に合わない。


ゴブリンの群れが、リオに襲いかかる。


---


「くっ――!」


リオが剣を振るう。


1体、2体――なんとか倒すが、数が多すぎる。


「このままじゃ――」


その時、ゴブリンの棍棒がリオの頭を狙う。


避けられない。


リオは目を閉じた。


だが――


ガキン、と硬い音。


「……え?」


目を開けると、そこにはクロウがいた。


彼は、リオの前に立ちはだかり、棍棒を短剣で受け止めていた。


「クロウさん――」


「黙ってろ」


クロウの声が、いつもと違った。


それは――怒りに似ていた。


---


クロウは、ゴブリンの群れを睨む。


そして――


「俺の後ろにいろ」


その言葉には、明確な意志があった。


守る。


リオを。


「……はい」


リオは頷く。


そして、クロウは動いた。


---


それは、今までとは違う動きだった。


ただ殺すのではない。


ただ排除するのではない。


クロウは――リオを守るために、戦っていた。


ゴブリンがリオに近づこうとすると、即座に排除する。


リオに攻撃が届かないよう、常に位置を調整する。


それは、護衛としての動きではなかった。


それは――


「守りたい」という感情が、クロウを動かしていた。


---


やがて、全てのゴブリンが倒れた。


静寂が戻る。


クロウは肩で息をしていた。


「クロウさん……」


リオが駆け寄る。


「大丈夫ですか?」


「……ああ」


クロウは短剣を鞘に戻す。


だが、その手が――震えていた。


「手が……」


リオが気づく。


「怪我ですか?」


「違う」


クロウは自分の手を見つめる。


震えている。


それは、恐怖ではなかった。


それは――


感情だった。


「……何だ、これは」


クロウは呟く。


胸の奥で、激しく何かが鳴り響いている。


それは、心臓の鼓動。


生きている、という感覚。


そして――


「守れた」という、安堵。


---


「クロウさん……ありがとうございます」


リオが深々と頭を下げる。


「あなたのおかげで、僕は助かりました」


「……」


「あなたは、僕を守ってくれた」


リオが顔を上げる。


その瞳には、涙が滲んでいた。


「本当に……ありがとうございます」


その言葉が、クロウの胸に突き刺さる。


守った。


自分の意志で。


命令ではなく。


任務ではなく。


「俺は……」


クロウは言葉を探す。


だが、声が出なかった。


---


村に戻ると、村人たちが歓声を上げた。


「魔物を倒してくださったんですね!」


「ありがとうございます、勇者様!」


リオは笑顔で応える。


だが、クロウは――ただ黙って立っていた。


胸の奥の疼きが、止まらなかった。


---


村長が、酒と料理を振る舞ってくれた。


「どうぞ、ごゆっくり」


「ありがとうございます」


リオは嬉しそうに料理を口にする。


だが、クロウは手をつけなかった。


「クロウさん、食べないんですか?」


「……食欲がない」


嘘だった。


食欲がないのではない。


ただ――何も味がしない気がした。


胸の奥の疼きが、全てを掻き消していた。


---


その夜。


村の宿で、クロウは一人部屋にいた。


薬瓶を手に取る。


いつもと同じ。


感情を抑制するための薬。


だが――


「……」


クロウの手が、止まった。


この薬を飲めば、今日の感情は消える。


守りたいという気持ちも。


リオの涙も。


全て、消える。


「それが、正しい」


クロウは呟く。


だが――


手が、動かなかった。


---


「俺は……」


クロウは自分に問いかける。


本当に、これを消していいのか?


今日、感じたこと。


守れた、という安堵。


リオの涙。


そして――


「守りたい」という、この感情。


それは、ノイズだ。


任務に不要な、感情だ。


だが――


「……消したくない」


クロウは、初めて自覚した。


この感情を、失いたくない。


---


薬瓶が、手から滑り落ちる。


床に落ち、液体がこぼれる。


クロウは、それをただ見つめていた。


「俺は……」


自分の手を見る。


震えている。


それは、恐怖ではない。


それは――


生きている、という証だった。


---


翌朝。


クロウは目を覚ました。


体が、重い。


頭痛がする。


それは――感情制御薬の禁断症状だった。


「……くそ」


クロウはベッドから起き上がる。


鏡を見る。


そこに映る自分の顔は、いつもと違った。


無表情ではない。


何か――苦しそうな表情をしていた。


「これが……感情、か」


クロウは呟く。


そして――


胸の奥で、何かが疼いた。


それは、痛みではなかった。


それは――


温かさだった。


---


部屋を出ると、リオが待っていた。


「おはようございます、クロウさん」


「……ああ」


「顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」


「問題ない」


クロウは短く答える。


リオは少し心配そうに首を傾げたが、それ以上は追求しなかった。


「今日は、王城に戻りますね」


「ああ」


二人は村を後にする。


---


道中、リオが口を開く。


「クロウさん」


「何だ」


「昨日、ありがとうございました」


「……」


「あなたが守ってくれたから、僕は生きています」


リオは真っすぐにクロウを見る。


「あなたは……強いだけじゃなくて、優しいんですね」


「優しい……?」


クロウは首を傾げる。


「はい。だって、僕を守ってくれたから」


「それは……任務だ」


「そうかもしれません」


リオは微笑む。


「でも、僕は感じました。あなたの気持ちを」


「……」


「あなたは、本当は優しい人なんだと思います」


その言葉が、クロウの胸に深く刺さる。


優しい。


そんな言葉を、クロウは受け取ったことがなかった。


---


王城に戻ると、クロウは再び重臣に呼ばれた。


「任務、ご苦労だった」


「……」


「だが、報告を受けた。お前は薬を飲まなかったそうだな」


重臣の目が、冷たく光る。


「感情制御薬は、暗殺者にとって必須だ。それを怠るとは――」


「……すみません」


クロウは頭を下げる。


「次は、必ず飲みます」


「そうしてもらおう」


重臣は満足そうに頷く。


「それと――勇者リオのことだが」


「……」


「彼は、順調に成長している。だが、あまりにも民間人に肩入れしすぎる傾向がある」


「……」


「もし、彼が王国の方針に従わない場合――」


重臣の声が、冷たく響く。


「お前が、排除しろ」


---


その言葉が、クロウの胸を貫いた。


排除。


リオを、殺せ。


「……了解しました」


クロウは機械的に答える。


だが、その心の中では――


悲鳴が響いていた。


---


部屋に戻ると、クロウは壁に拳を叩きつけた。


「くそ……」


感情が、溢れる。


怒り。悲しみ。苦しみ。


全てが、クロウを襲う。


「俺は……」


リオを守りたい。


その感情が、胸の奥で叫んでいる。


だが――


任務は、彼を殺せと命じている。


「どうすれば……」


クロウは、初めて迷っていた。


任務と、感情。


どちらを選べばいいのか。


---


その時、胸の奥で――何かが痛んだ。


鋭い痛み。


「……っ!」


クロウは胸を押さえる。


そこには――刻印があった。


『影の契約』の証。


感情を捨て、記憶を消し、寿命を削る代わりに――


力を得た証。


その刻印が、今――疼いていた。


「……これは」


クロウは気づく。


感情が戻ると、刻印が暴走する。


それは――


契約違反だった。


---


クロウは床に倒れ込む。


痛みが、全身を駆け巡る。


「くそ……っ」


視界が霞む。


だが、その中で――


リオの笑顔が浮かんだ。


『あなたは、優しい人なんだと思います』


その言葉が、クロウの心を支える。


「俺は……」


クロウは呟く。


「俺は……生きたい」


初めて、自分の意志で。


初めて、自分の言葉で。


クロウは――そう願った。


---


やがて、痛みが引く。


クロウは荒い息をつきながら、天井を見上げる。


「……生きる、か」


その言葉が、胸の奥で温かく響いた。


---


クロウの心は、もう元には戻らなかった。


感情が、芽生えた。


それは、任務にとって致命的なノイズ。


だが――


それは、クロウが「人」として生きるための、最初の一歩だった。


---


### 次回予告


感情を取り戻し始めたクロウ。


だが、それは刻印の暴走を引き起こす。


そして、リオの理想主義とクロウの現実主義が、再び衝突する。


盗賊事件が発生。


リオは説得を試みるが――


クロウは知っている。


言葉だけでは、世界は変わらない。


**第4話「理想と現実」**


光と影が、初めてぶつかり合う。

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