第2話:光の勇者

召喚から三日が経った。


リオは王城で勇者としての教育を受けていた。


この世界の言語、文化、魔王の脅威、戦闘の基礎――


覚えることは山ほどあったが、リオは真剣に学んでいた。


「勇者様、本日の講義はここまでです」


教官が告げると、リオは深々と頭を下げる。


「ありがとうございました」


その礼儀正しさに、教官たちは感心していた。


だが、クロウはただ黙って壁際に立っていた。


護衛として、常にリオの傍にいる。


影のように。音もなく。


---


講義が終わり、リオは部屋へと戻る。


クロウは無言でその後ろを歩く。


「あの、クロウさん」


リオが振り返る。


「なんだ」


「ずっと気になってたんですけど……クロウさんって、いつも無表情ですよね」


「……」


「怒ってます?それとも、僕のこと嫌いですか?」


リオの瞳には、純粋な疑問があった。


クロウは少しの間、沈黙する。


「感情を抑制している」


「え?」


「俺は感情制御薬を服用している。任務に集中するためだ」


「感情を……消してるんですか?」


リオは驚いたように目を見開く。


「そんなこと……辛くないですか?」


「辛い、という感情もない」


「……」


リオは言葉を失った。


クロウは再び歩き出す。


「部屋に戻れ。明日から実戦訓練が始まる」


「は、はい……」


リオは複雑な表情でクロウの背中を見つめていた。


---


その夜。


クロウは自室で報告書を書いていた。


『勇者リオ、異常なし。従順で、学習能力も高い。脅威性は現時点でゼロ』


淡々と記録する。


それが、監視任務だった。


「……」


だが、ペンを持つ手が止まる。


リオの言葉が、頭の中で反響していた。


『辛くないですか?』


辛い。


その感覚を、クロウは忘れていた。


いや、最初からなかったのかもしれない。


「……任務だ」


そう呟き、クロウは薬瓶を手に取る。


今日も、いつもと同じように。


苦い液体を喉に流し込む。


感情が沈んでいく。


だが――完全には消えなかった。


リオの言葉が、小さなノイズとして残り続けていた。


---


翌朝。


クロウとリオは、王都の外れにある訓練場へ向かった。


「今日から実戦訓練です」


案内役の騎士が説明する。


「近郊の森に魔物が出没しています。比較的弱い個体ですが、実戦経験を積むには最適です」


「分かりました」


リオは緊張した面持ちで頷く。


「クロウさんも一緒ですよね?」


「ああ。お前を守る」


「……僕、頑張ります」


リオは拳を握りしめる。


その真っすぐな瞳を見て、クロウの胸にわずかな疼きが走る。


だが、彼はそれを無視した。


---


森の中。


木々がうっそうと茂り、日の光が遮られている。


「魔物の気配がする」


クロウが呟く。


「どこですか?」


「前方、約50メートル。複数」


「そんなに遠くまで分かるんですか……」


リオは驚く。


クロウのレベルは999。感知能力も桁違いだった。


「お前は後ろにいろ。俺が処理する」


「でも、僕も戦わないと――」


その時、茂みが揺れた。


飛び出してきたのは、狼型の魔物。


『ダイアウルフ』――通常の狼より一回り大きく、牙と爪が鋭い。


「危ない!」


リオが剣を抜こうとした瞬間――


クロウが一歩前に出る。


動きは一瞬。


短剣を抜き、魔物の急所を貫く。


音もなく、魔物は倒れた。


「……え?」


リオが目を瞬かせる間に、クロウは既に次の魔物を仕留めていた。


3体、4体、5体――


全て一撃。無駄な動きは一切ない。


「終わった」


クロウは短剣を鞘に戻す。


「す、すごい……」


リオは呆然としていた。


「これが、レベル999……」


---


「お前の出番はない。俺がいれば十分だ」


クロウの言葉に、リオは複雑な表情を浮かべる。


「でも……僕は勇者として召喚されたんです。戦わないと――」


「お前のレベルでは、魔物に勝てない」


「……」


「無理に戦えば、死ぬ。それだけだ」


クロウの声は冷たく、事実を述べるだけだった。


リオは唇を噛む。


「でも……僕は、誰かを守りたいんです」


「守る?」


「そうです。僕がこの世界に来たのは、人々を救うためです。だから――」


「それは、ノイズだ」


クロウは冷たく言い放つ。


「ノイズ……?」


「任務に不要な感情だ。守りたい、救いたい――そんな感情は、戦闘において邪魔になる」


「でも――」


リオは言葉を探すが、見つからない。


クロウの論理は、冷徹で正しかった。


だが、リオはその正しさに――違和感を覚えていた。


---


その時、遠くから悲鳴が聞こえた。


「誰か助けて――!」


クロウとリオは顔を見合わせる。


「行きましょう!」


リオが駆け出す。


クロウは黙ってその後を追った。


---


悲鳴の主は、若い女性だった。


彼女は木の根元に倒れ込み、足を怪我していた。


そして、その前には――巨大な魔物。


『オーガ』。


人型の魔物で、筋骨隆々とした体躯。手には巨大な棍棒を持っている。


「逃げて――!」


女性が叫ぶ。


オーガが棍棒を振り上げる。


「させない!」


リオが剣を抜いて飛び出す。


「待て――」


クロウが止める間もなかった。


---


リオの剣がオーガに届く。


だが――


ガキン、と硬い音。


オーガの皮膚は硬く、剣が弾かれる。


「え――」


リオの顔に驚愕が浮かぶ。


オーガの腕が振り下ろされる。


棍棒が、リオを叩き潰そうとする。


その瞬間――


クロウが飛び込んだ。


リオを突き飛ばし、自らが棍棒を受け止める。


ドゴォン、と轟音。


地面が砕け、土煙が上がる。


「クロウさん――!」


リオが叫ぶ。


だが、煙の中からクロウが姿を現す。


彼は片手でオーガの棍棒を受け止めていた。


「……邪魔だ」


クロウの声が、冷たく響く。


次の瞬間、彼の短剣がオーガの喉を貫いた。


一撃必殺。


オーガが倒れる。


---


「女性を回復させろ」


クロウがリオに告げる。


「あ、はい!」


リオは慌てて女性のもとへ駆け寄る。


彼は回復魔法を使い、女性の傷を癒す。


「ありがとう……ございます……」


女性は涙を流しながら礼を言う。


「いえ、無事でよかったです」


リオは優しく微笑む。


クロウは、その光景を黙って見ていた。


---


女性を村まで送り届けた後、クロウとリオは王城への帰路についた。


「……すみませんでした」


リオが小さく謝る。


「俺が飛び出したせいで、クロウさんに迷惑をかけました」


「……」


「でも……あの人を見捨てることはできませんでした」


リオの声は震えていた。


「もし僕が動かなかったら、彼女は死んでいたかもしれない。それは……僕には耐えられません」


「お前が死んでいたかもしれない」


クロウの声が、冷たく響く。


「え?」


「お前のレベルでは、オーガには勝てない。お前が死ねば、任務は失敗だ」


「任務……」


リオは唇を噛む。


「クロウさんにとって、僕は……ただの任務なんですね」


「そうだ」


クロウは即答する。


「俺はお前を守る任務を受けている。それ以上でも、それ以下でもない」


「……そうですか」


リオは俯く。


その横顔には、寂しさが滲んでいた。


---


クロウは、その表情を見た。


寂しさ。


それは感情だった。


クロウが失ったもの。


いや、捨てたもの。


「……」


胸の奥で、何かが疼く。


それは、痛みに似ていた。


だが、クロウはそれを無視する。


「任務だ」


そう自分に言い聞かせる。


感情は不要。ノイズは排除する。


それが、クロウの存在意義だった。


---


その夜。


クロウは再び薬を飲んだ。


だが、今夜は――手が震えた。


「……」


リオの横顔が、頭から離れない。


あの寂しそうな表情。


あの真っすぐな瞳。


そして――


『クロウさんにとって、僕は……ただの任務なんですね』


その言葉が、胸に刺さっていた。


「任務、だ……」


クロウは薬を口に含む。


苦味が舌に広がる。


だが、今日は――苦味だけではなかった。


何か、別の感覚。


喉の奥に引っかかる、小さな棘。


それは――


「……何だ、これは」


クロウは初めて、自問していた。


---


一方、リオも眠れずにいた。


ベッドに横になりながら、天井を見つめている。


「クロウさん……」


彼は感情を消している。


任務のために。


でも――それは、本当に正しいのだろうか?


「守る、ということ……」


リオは自分の手を見つめる。


今日、彼はクロウに守られた。


そして、女性を助けた。


だが、クロウは言った。


『それは、ノイズだ』


「ノイズ……」


リオは首を振る。


違う。


誰かを守りたい、という気持ちは――


ノイズなんかじゃない。


それは――


「人間として、当たり前のことだ」


リオは呟く。


そして、決意する。


クロウに、それを伝えよう。


彼が失った感情を――


もう一度、取り戻させてあげたい。


---


翌朝。


クロウは重臣に呼ばれた。


「昨日の報告を受けた」


重臣が言う。


「勇者リオは、任務より民間人の救助を優先した、と」


「はい」


「……問題だな」


重臣の目が細くなる。


「勇者の役割は魔王討伐だ。余計なことに首を突っ込まれては困る」


「……」


「クロウ、お前の任務は勇者の監視だ。もし、彼が王国の方針に従わない場合――」


重臣は言葉を切る。


そして、冷たく告げた。


「排除しろ」


---


クロウの胸に、鋭い痛みが走った。


それは、初めて感じる感覚だった。


排除。


リオを、殺せ、と。


「……了解しました」


クロウは機械的に答える。


だが、その心の中では――


小さなノイズが、悲鳴を上げていた。


---


廊下を歩きながら、クロウは考える。


任務は絶対だ。


命令に従う。


それが、クロウの存在意義だった。


だが――


「……」


リオの笑顔が浮かぶ。


あの真っすぐな瞳。


『僕は、誰かを守りたいんです』


その言葉が、胸の奥で響いている。


「守る……」


クロウは、初めて思った。


俺も、守りたいのか?


リオを。


あの光を。


「……違う」


クロウは首を振る。


それは、ノイズだ。


任務に不要な感情だ。


排除しなければならない。


だが――


胸の奥の疼きは、消えなかった。


---


その日の午後。


クロウとリオは、再び訓練場にいた。


「クロウさん」


リオが声をかける。


「何だ」


「昨日のこと、考えました」


「……」


「僕は……やっぱり、誰かを助けたいです」


リオの瞳は、揺るがなかった。


「それが勇者としての役割じゃなくても。人として、当たり前のことだと思うんです」


「……お前は死ぬぞ」


「それでも、です」


リオは微笑む。


「だって、クロウさんが守ってくれるから」


「……」


その言葉に、クロウの心が――大きく揺れた。


守ってくれる。


信頼。


それは、クロウが今まで受け取ったことのないものだった。


「俺は……」


クロウは言葉を探す。


だが、見つからない。


そして――


胸の奥で、何かが砕けた。


小さな亀裂。


それは、クロウの心の、最初のほころびだった。


---


「クロウさん?」


リオが不思議そうに首を傾げる。


「……何でもない」


クロウは背を向ける。


だが、その心の中では――


嵐が吹き荒れていた。


守りたい。


この光を。


この真っすぐな瞳を。


「……任務だ」


クロウは自分に言い聞かせる。


だが、もう――その言葉は、空虚に響くだけだった。


---


クロウの心に、初めて芽生えた感情。


それは、任務にとって致命的なノイズ。


だが――


それは、クロウが「人」として目覚めた、最初の鼓動だった。


---


### 次回予告


感情の芽生えに戸惑うクロウ。


そして、魔物討伐の任務で訪れた村で、彼は決定的な瞬間を迎える。


襲いかかる魔物の群れ。


危機に陥るリオ。


その時、クロウは――自らの意志で、剣を振るう。


守りたい。


その感情が、初めてクロウを動かす。


**第3話「揺らぐ心」**


感情は、もう止められない。

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