第五章 自立

第35話  決断の時:東京へ、いざ行かん!


 


 そんなある日、東京から戻った近藤が、桜の元を訪れた。


「お嬢様、東京での地ならしは滞りなく進みました。二ツ井商店も、我々の意図を察し、これ以上の干渉は控えるとの言質を得ております。もちろん、表向きは二条公爵家からの庇護を辞退する形を取り、円満な形で……」


 近藤の報告を聞き終えた桜は、静かに目を閉じた。

 そして、ゆっくりと目を開き、その瞳には強い光が宿っていた。


「わかりました、近藤さん。ご苦労様でした」


 桜は、その日の夜、俺と幸を自室に招いた。


「嶺さん、幸さん。わたくし、決心いたしました」


 二人の顔をまっすぐに見つめ、桜は告げた。


「東京に上京します。そして、二条公爵家との関係に、はっきりと区切りをつけます。この相良と焼津で培った力を、今度は東京という舞台で試す時が来たのです」


 それは、桜にとって、そして俺たちにとっても、新たな時代の幕開けを告げる言葉だった。

 東京という未知の舞台で、俺たちの力がどこまで通用するのか。

 そして、日本という国の未来を、俺たちがどのように変えていくのか。


 その夜、駿河湾の夜空には、きらめく星々が瞬いていた。

 まるで、彼らの未来を祝福するかのように。

(いざ、東京へ!俺の童貞魔法が、日本の首都を驚愕させる日が来るのも近いぜ!そして、あわよくば、東京で童貞を卒業してやる!)

 帝都への旅立ち:装いと道程、そして俺の変身願望!?


「……東京へ」


 公爵との対面。

 それは、桜にとって新たな時代への船出であり、何よりも自らの覚悟を示す場となる。

 そのための準備として、まず彼女が望んだのは、自身の装いを新調することだった。


 当初は焼津で和服を仕立てることを考えていたようだが、最近松阪との取引が始まり、高品質な布が手に入るようになったことを思い出したのだろう。幸に相談を持ちかけた。


「幸さん、せっかく松阪から上質な布が手に入るようになったのだから、いっそのこと、これからの時代にふさわしい新しい装いを考えてもらえないかしら?」


 桜の言葉に、幸がニヤリと笑う。

 それはまさに、彼女が密かに温めていたアイデアだったのだろう。


「お任せください、桜様。でしたら、いっそのこと、令和の装いを取り入れてみませんか?」


 幸の提案に、桜は目を輝かせた。

 令和の装い、つまり、未来の時代のデザインを取り入れた洋服。

 それは、まさに独立への強い意志を表現するにふさわしいものだった。


 桜の賛同を得た幸は、「ならば嶺さんと自分の分も」と提案した。

 幸は久しぶりにEV車の車内に籠もり、持参したサーバーから型紙のデータを呼び出している。

 それは、彼女が未来から持ち込んだ、現代の服飾技術の粋を集めたデータだ。

 自分のサイズを正確に計算させ、そのデータをプリントアウトすると、瞬く間に布を裁断し、ミシンを驚くべき速さで操り始めた。


(幸、あんた実はデザイナー志望だったのか!? それとも、俺の童貞魔法が、幸の隠れた才能を引き出したのか!?)


 たった2日で、幸は一着の洋服を縫い上げて見せた。

 それは、この時代の日本人には見慣れない、しかしどこか洗練されたデザインのワンピースだった。

 桜にそれを見せると、彼女は感嘆の声を上げる。


「素晴らしいわ、幸さん!でも、これ以外にもデザインはあるの?」


 桜の問いに、幸は再びサーバーと格闘し、様々なデザインの型紙を提示した。

 その中から、桜はリクルートスーツとでも呼ぶべき、知性と品格を兼ね備えたデザインを選んだ。

 そして、桜と幸にはそのデザインで一着ずつ、俺にはビジネススーツとして同じく一着を仕立てることになった。


 幸は昼夜を問わずミシンに向かい、職人顔負けの速さで三着の洋服を完成させた。

 それに合わせて、ワイシャツも作り、全員がその新しい装いに身を包む。

 それは、俺たちがこれから挑む新たな舞台への、静かな決意の表明でもあった。


(よし、これで俺も「できる男」風に見えるはずだ!……見た目だけはな!中身は相変わらずの童貞魔法使いだが、それがどうした!)

 

 


 東京への旅、上京の道程もまた、俺たちにとっては大きな課題だった。

 以前、近藤さんが先に東京へ向かった際は、焼津から駿府までは船を使い、駿府からは車(人力車)で沼津まで移動し、箱根を歩いて越え、小田原から再び人力車で東京へ、というコースだったという。

 しかし、それはあまりにも時間がかかり、何より体力的に非常に厳しい。


「桜のような旧家の令嬢にとって、この行程は想像を絶するだろうな……」


 そこで近藤さんは、桜の負担を考え、どうにかしてより楽な移動手段はないかと、俺に相談してきた。

 彼は、桜の健康と安全を心から気遣っているのが見て取れた。


「嶺さん、お嬢様の道中を少しでも楽に、そして安全にしたいのです。我々の船で、箱根越えをせずに東京へ向かうことはかないませんでしょうか?」


 近藤さんの問いに、俺は腕を組んだ。


「うーん……伊豆半島を越えるときの海の様子が気になるんで、状況を見てみないと何とも言えねぇな」


 俺の懸念はもっともだ。

 今までの船での海上移動は、そのほとんどが相模湾のような湾内の穏やかな海だ。

 松阪に行く際も御前崎を越えたが、紀伊半島が屏風のように波を防いでくれていたこともあり、比較的静かな海域だったので問題はなかった。


 しかし、さすがに伊豆半島越えとなると話は別だ。

 外洋である太平洋の荒波をもろに受ける可能性が高く、安全性を最優先する俺としては、おいそれと「大丈夫」とは言えなかった。


(『童貞魔法使いは臆病者なんだ!安全第一、命あっての童貞だからな!』)


 内心でそんなことを思いつつも、桜の安全を何よりも優先する形で、熟考の末、以下のルートが決定された。


「今回は、沼津までは我々の船で向かいましょう。そこから箱根までは陸路を取り、箱根で一泊。翌日、小田原から人力車を使って横浜まで。横浜からは**陸蒸気(鉄道)**で東京に入るルートで行きます」


 このルートならば、伊豆半島沖の荒波を避けることができ、箱根越えの負担も軽減される。

 そして、何よりも明治日本の最先端技術である陸蒸気に乗ることで、東京への期待感を高めることもできるだろう。

 桜にとっても、この時代の最先端技術に触れることは、刺激になるはずだ。


「ついに乗れるぜ、陸蒸気!」


 俺の鉄道ロマンが爆発しそうだ。

 機関車トーマスしか知らなかった俺が、まさか本物の蒸気機関車に乗れるとは!

 その日は、まるで遠足に行く子供のように、俺の心は浮き立っていた。


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