第10話 呪いと精 ※ ③

 薄ら笑いを浮かべるラーゴの態度は、リウの怒りを一気に溢れさせた。

 誰も部屋に入れないことを分かっていたのだ。

 だからあれほど執拗にリウを追い立てていたのだ。

 結果としてリウは守られていたのかもしれないが、いくらなんでもやっていいことと悪いことがある。

「お前……っ!」

 目の前が真っ赤になるような怒りで、射精欲など一気に萎えた。

 両腕をどうにか振りほどこうと激しく肩を振るリウだったが、なぜかラーゴはそれを傷ついたような目で見つめる。

「そんなに暴れたら怪我をしますよ。それとも僕から離れるためなら、怪我をしようと構わない?」

 ラーゴの発言の真意をリウは考えることはできなかった。

 どう考えてもリウを傷つけようとしていた男が、なぜまるで被害者のような顔をするのか。一瞬気になったものの、だがそれは全てリウの怒りの渦に飲み込まれて消えた。

「いいから、この拘束を解け!」

 リウが叫ぶと同時に、ラーゴは宙で指をクルリと回した。

 途端に、今までびくともしなかった手足が自由になる。

 リウは怒りのまま腹筋を使って跳ねるように起き上がり、足元に座るラーゴの顔を殴った。

 ゴッと硬い音がするが、ラーゴからはうめき声一つ上がらない。

「ねえリウ。僕を嫌いになりました?」

 そして泣きそうな顔をしてそんなことを言うのだ。

 嫌いになれたらどれだけいいか。

 いくら解呪のためとはいえ同意もないまま性行為に及ばれ、痴態を晒されそうになった。嫌いになるには十分だろう。

 ラーゴの行動自体には当然、強い怒りがある。

 だがだからといってラーゴを嫌いになるかと言われれば、それは違うとすぐさま答えられる程度には、リウは彼に愛情を感じているのだ。

 それでも素直にそう口にできないほど、つい先ほどされたことへの拒否感が強い。

「ふざ、けるなよ……!」

 怒りを押し殺したリウの言葉を聞きながら、ラーゴは静かに目を閉じた。

 どうぞ殴ってくださいとでも言わんばかりのその態度は、リウの怒りに火に油を注ぐ。

 望むならば殴ってやろうか。普段は決して暴力的ではないはずのリウも、あまりのことに再び頭に血が上る。

 拳を握って、だが全てを受け入れるようなラーゴを見るとそんな気も削がれた。

 怒りの次に、リウに訪れた感情は悲しみだった。

 なぜこんなことをしたのか? わざわざリウを傷つけようとしたのか? やはり好意は口だけで、呪いを受けたリウを厄介者だと迷惑に思っていたからか?

 様々な仮定が一瞬のうちに頭の中に駆け巡る。

 リウはきつく握りこんでいた拳からゆるりと力を抜いた。

「……顔も見たくない」

 そう呟くと、リウは寝台を降りて扉を開く。

 廊下に控えていたメメルは驚いた顔をしていた。その隣を通り過ぎて、階段を降て正面の扉を目指す。

 歩調は徐々に早くなり、門扉へ辿り着く頃には走り出していた。

 走って、走って、肺が痛くなるほど走る。

 脚が痛くなっても、胸が苦しくなっても、リウは走ることを止めなかった。

 それよりもなにより、リウは心が痛かった。

 好きだと自覚した途端に傷つけられ、まだ柔らかい恋心を踏みつけられた思いだった。

 竜騎士ともあろう者が情けなく女々しい。自嘲しながらもリウは、滲みそうになる目元を何度も腕で擦った。

 破裂しそうな心臓を宥めながら城へと向かう。

 顔見知りの門番に足早に挨拶をし、再び駆け抜けた先には竜舎があった。

 この世に生を受けて二十八年、そのうちの十年は竜と共に生きたリウにとって、ここは実家のようなものだ。

 大きな竜舎の扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。

 真っ赤に染まった日差しが竜舎の中へと注がれた。

「ガジャラ」

 相棒の名を呼ぶリウの声には、もはや力がない。

 馬車で来るような距離を疾走してきたのだ。

 病み上がりのリウの脚は突然の酷使に驚き震えている。

 広く取られた竜舎ではそれぞれの竜房に区分けされている。顔見知りの竜たちが中央の通路を歩くリウを見るが、リウはただまっすぐに前を見つめガジャラへと歩いた。

 その一角にあるガジャラの竜房へ近づくと、寄ると柵にもたれたリウの身体はズルズルと地面にへたり込んだ。

「グルル……?」

 心配そうなガジャラの顔が、リウの近くへと来た。

 手を伸ばして優しい相棒の顔を撫でようとするが、呪いの痛みを思いだし止まる。

 こんなに近くにいるのに、大切なガジャラに触れることもできない。

 ガジャラに触れたリウが痛みに苦しんでいた様子を、ガジャラも覚えているのか。彼女もまた、リウに寄り添うものの触れようとはしなかった。

 竜は賢い生き物だ。

 リウを竜騎士として取り上げてくれたガジャラは、リウを失えば二度とその背に誰か乗せることはしないだろう。

 それがリウには身を引きちぎられるほど苦しかった。

 だが今は同じくらいラーゴとの関係が苦しい。

 恋とはこんなに思い通りにならないものなのか。

「すまない、ガジャラ。俺はもう駄目かもしれない」

 屋敷を飛び出した時には、怒りと悲しみに支配されていた。

 だが次第にその感情は後悔へと変化していく。

「いよいよラーゴに愛想を尽かされたかもな。俺はラーゴにずっとおんぶに抱っこで、何をされようと腹を立てられるような立場じゃないくせにさ」

 疲労と悲しみのせいか、いつになく卑屈な独白が竜舎に落ちた。

 夕日の差し込む竜舎の中に、扉から別の影が差す。

 その足音と気配が誰か、顔を上げるまでもなかった。

「リウ」

 ラーゴの小さな声が、だがはっきりと竜舎に響いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る