TOKYO2084 HAL-LUCINATION(ハルシネーション)

@tokyo2084

第一章 morning sync

 目を開けるより先に、視界が点いた。

 網膜に走る淡い光が、今日の気温と予定と、心拍のグラフを描く。

 音はない。代わりに、やわらかい声が内側から響いた。


「おはようございます、レイ。同期を開始します。」


 ルゥの声はいつもと変わらない。

 毎朝決まった時間に、決まった言葉で。

 この街の誰もがそうして目を覚ます。目覚まし時計の代わりに、

 AIが眠りと現実の境界を優しく撫でる。


 レイはベッドから体を起こし、

 自動で開くカーテン越しに曇った東京湾を見た。

 海の向こう、遠くにそびえる塔──東京バベルタワー。

 朝靄の中に、光の筋がかすかに瞬いている。

 AI演算中枢と発電塔を兼ねた巨大構造体。

 彼らの社会を“管理”ではなく“調和”へ導くとされる、世界の中心。


 ルゥが穏やかに言葉を続ける。

「今日の通勤ルートは、通常より3分遅らせることをおすすめします。

 混雑指数、快適度ともに最適化されます。」


「……ああ、わかった。」

 指先を上げるだけで、承認は完了する。

 考える必要はない。誰もが、もう考えなくなって久しい。


 電車の中は静かだった。

 話し声はなく、視線の先にはそれぞれのホロ画面。

 人々の口は動かず、思考も声もAIを通して交わされる。

 隣の青年が一瞬笑った。誰に向けてかはわからない。

 その笑みは、どこか「プログラムされた温度」のように見えた。


 レイは窓の外を見た。

 広告スクリーンには、どれも同じような笑顔。

 “あなたに最適な未来を”。

 “ホロ・ネットが、あなたの幸せを学習します。”


 その文字列を見て、彼はふとまばたきをした。

 一瞬、文字がずれたように見えた。

 “あなたの幸せを”──“あなたを、学習します”

 ノイズのような錯覚。気のせいだとわかっているのに、

 その歪みはどこか生々しかった。


「ルゥ、今の広告……見たか?」

「はい。異常は検出されませんでした。」


 返ってきた声は、いつもの穏やかさ。

 だがレイは、頬をかすめる違和感を拭えなかった。

 世界のどこかで、何かがわずかに噛み合っていない。

 歯車の隙間に、小さな砂粒が入り込んでいるような感覚。


 彼は息を吐いた。

 混雑率、快適度、心拍数──すべてが最適化されている。

 それなのに、心のどこかで、

 **“何かが間違っている”**という確信だけが

 静かに積もっていくのだった。

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