【単話ホラー集】トヨコバナシ

悪食

夜の工場で見たもの

僕は、食料品を製造する工場で働いている。

特別変わった職場じゃない。

白い作業着を着て、ラインに立って、ひたすら同じ作業を繰り返す。

昼間は人も多くて、機械の音と会話が絶えない。


人間関係は悪くない。

けど、この部署はやたらと退職者が多い。

半年もたたずに辞める人がぽつぽつ出る。

理由を聞いても「体がきつくて」とか「合わなかった」とか、

曖昧な答えばかりだった。


僕はそういうのを気にしない性格だった。

けれど、去年の冬——

上司に呼ばれて「来週から夜勤に入ってもらえるか」と言われた時、

少しだけ胸の奥に引っかかるものがあった。





夜勤の工場は、まるで別の場所みたいだった。

昼間のざわめきが嘘のように消えて、

響くのは機械の回転音と、時々どこかで鳴る風の音だけ。


照明は点いているけど、光が届かない場所が多い。

影が濃くて、いつも誰かが隠れているように見える。


夜勤は基本、二人体制かワンオペ。

僕の担当は、ほとんど一人きりだった。

広すぎる工場で、黙々と作業をしていると、

時々、どうしようもなく“視線”を感じる。


その夜も、ふと背中の方が気になって振り向いた。

遠くの倉庫の奥に、人が立っていた。

白い作業着に帽子、マスク。

暗くて顔までは見えなかったけれど、

同じ職場の誰かだと思った。


──けれど、その日の夜勤は僕一人だけだった。





次にそれを見たのは、数日後。

今度は機械の裏側。

ほんの数秒、目が合った気がして、

慌てて振り向くと、もう誰もいなかった。


風なんてない場所だ。

照明も変わらず点いている。

それなのに、視界からふっと消える。


それから毎晩のように、そいつを見かけるようになった。


倉庫の隙間、

ラインの奥、

誰も通らない通路の端。


いつも同じ作業着を着て、

ただ、こっちを見ている。


“白いもや”とか“透けた影”みたいなものじゃない。

初めから、はっきり“そこにいる”。

まるで人間そのものみたいに。


最初の頃は、「見間違いだ」と思おうとしていた。

けれど、ある夜、

機械のトラブルでラインの下を覗き込んだとき——

あからさまに、誰かの足が見えた。


作業靴。

同じ工場支給のズボン。

まるで僕と同じ格好をした“誰か”の足が、

機械の向こう側でじっと立っていた。


その瞬間、背筋が凍った。

そいつは、もうすぐそこまで近づいてきていた。


顔を見ようとは思わなかった。

見てはいけないと、本能が叫んでいた。

視線を上げたら、もう戻れない気がした。


僕は息を殺して、ゆっくり体を引いた。

その瞬間、

目の前から“足”がすっと消えた。


何も言えず、機械の音だけが響いていた。





その日を最後に、夜勤には入っていない。

理由は聞かれたが、うまく説明できるものじゃなかった。

「体調が悪い」とだけ言って、引き下がってもらった。


それからしばらくして、

僕は退職を決めた。


理由は「家庭の事情」と言っている。

でも本当は違う。


──あれが、まだいる。



昼間でも、たまに視界の端に映る。

誰かとすれ違ったと思って顔を向けると、もういない。

でも、たしかに“いた”。

あの夜と同じ作業着で。

同じ姿勢で。

同じように、こちらを見ていた。

今までは人がいっぱいで気づかなかっただけだ。


僕が夜勤でそれを“認識してしまった”あの日から、

いや、もっと前からだろう。

あいつは、ずっとここにいる。


僕をずっと見つめているのだ

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