1-2

〈遅刻よ、クラッシュ〉

「遅刻なんかしてないだろう? 時間通りだ」

〈どこがよ。二十秒も過ぎてるわ〉

 ネイビースーツの男は「はああ」とわざとらしくため息を吐いた。

「君は今日も完璧だな、レディ・フローレス?」

 ぼやきながらも足はずんずんと廊下を進み、シャンデリアが一際明るく輝くレストランへと突入する。周囲は壁際のあちこちで出会った知り合いと立ち話に花を咲かせており、一人で口を動かしている彼のことは気にも留めていない。

〈貴方は今日も騒々しいわね。あの火薬は何?〉

 彼の通話の相手は、彼の耳の中に取り付けられた通信デバイスの向こう側にいた。不機嫌そうな女は尖った口調で問い詰める。一方で彼は愉快そうに笑った。

「招待状が簡単には手に入らなかったんだ。ちゃんと上手く中に入れただろう?」

〈どこが上手くよ。目立ち過ぎだわ〉

「何も目立っちゃいないさ。目立ったのはトラックと火薬だけだ。俺には誰も気づいてない」

 大音量の車に、道端の火花。それらにガードマンも客も気を取られている間に、彼はするりとホテル内へ入り込んだのだった。

〈招待客を眠らせて招待状を手に入れる私の計画に比べて、見つかるリスクが高すぎる。それに車と火薬、両方必要だった?〉

 彼は大袈裟に肩をすくめて見せた。

「レディは分かってないな。緩急が必要なのさ。『銃撃かと思いきやなーんだ、また悪戯か』っていうね。そういう揺さぶりが人の警戒心の緩みを誘う。それに、ハロウィンじゃないか! 悪戯しなきゃ」

 彼は声を弾ませる。

〈そっちが本音ね。まだ当日じゃないわよ〉

と呆れたような声が耳に届いた。

〈いいから黙って仕事して。ターゲットがもう来る〉

「『黙って』だって? 俺がおしゃべりが好きなのは知ってるだろう」

 男はわざとらしく悲しげな声を出したが、何も通信が返ってこないので両手を挙げて降参のポーズを取った。彼女がうんざりした顔で睨んでいるのが目に浮かぶ。

「やあ、こんばんは。初めて見る顔だが君もこの集会の参加者だったかな」

 不意に目の前に紳士然とした老人が現れ、にこやかに声を掛けられた。

「こんばんは、ミスターアトキンソン。私はジェームズ・ミラー。ファイアテックというIT企業を立ち上げたばかりの新参なのでご存知ないのもご無理ありません」

 彼は微笑みを絶やさずすらすらと名乗り、老人と握手を交わした。その内容の一切が架空だ。

「そうか、初めまして。どうぞよろしく」

「よろしく。お会いできて光栄です」

〈来たわ。行って〉

 彼女からの通信が鋭く届いた。

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