【掌編恋愛小説③】ちゃんと幸せだった

桜庭みりみ

 次の約束まで時間があったため、暑さから逃れるべく喫茶店に入った。奈緒と再会したのは本当に偶然だった。懐かしさと同時に、少しの息苦しさを感じた。


「よかったら座って」


 断るのも躊躇われ、俺は奈緒の向かいの席に座り、コーヒーを注文した。彼女は相変わらずココアか。

 当たり障りのない会話が続き、味のないコーヒーがなくなりかけた頃、奈緒が呟くように言った。


「今ならわかるの。会えなくなったのは心変わりじゃなかったんだって。余裕がなかっただけなんだって」


 なんと答えていいかわからず、俺は押し黙った。


「忙しくてしばらく会わなかったら、一昨日振られちゃった。彼のこと、愛してたのよ。本当に」


 ああ、わかるよ。俺もそうだった。でも、やっぱりなんとかして会う時間は作るべきだったと思う。


「俺も、愛してたよ。奈緒のこと」


 それなのに、君を苦しませたことを今でも後悔している。ふとした瞬間に、俺は誰も幸せにすることができない男なのではないか、と思わずにはいられない。

 奈緒は俺を見て、切なげに微笑んだ。


「うん。ありがとう。ちゃんと幸せだった」


 その言葉が、ゆっくりと、だが確実に俺の心に染みこみ、あの日こびりついた何かを溶かしていった。

 わずかに残ったコーヒーを飲み干すと、なかなか旨いことに気がついた。こんな味だったのか。


「時間だ。もう行くよ。会えてよかった」


 奈緒が頷くのを見届けて、俺は席を立った。

 店先で電話をかけると、すぐに明るい声が応答した。


「綾香、待たせてごめん。ちゃんと決めたから」


 どうしても、今すぐに伝えたかった。

 電話の向こうで、綾香が息をのむのがわかった。勘のいい彼女は俺の言わんとすることを察したようだ。

 週末は一緒に指輪を買いに行こう。

 うだるような暑い夏の日差しが今は心地よかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【掌編恋愛小説③】ちゃんと幸せだった 桜庭みりみ @sakuraba_mirimi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ