第15話 皇太子ヴィクトル来襲
(ジェイドのこと、恋愛対象として好き……なんだろうな、俺は)
一週間経った今、彼に告白されたことがじわじわと骨身に染みて実感しつつある。
服の上からでもわかるほど、細く引き締まった身体に見とれてしまう。裸で抱き合ったことがある故に、なおさら目が離せない。
ふとした拍子に、凜々しい表情がほどける瞬間。
誰に対しても厳しい彼が、心を許すのは自分だけなのではないかと、勘違いしてしまいそうである。
(笑うと大人びた雰囲気が一気に子どもっぽくなって、可愛いんだよなあ……)
はじめて城下街を二人で歩いた日。
夕陽に染まったジェイドの笑顔を思い浮かべ、裕介はベッドの上で転がり悶絶した。
目尻に寄る小じわも可愛いと思えてしまうのだから、重傷である。
好きになってくれたのは嬉しい。
だが同時に一回り以上年下の青年に告白されて喜んでいる自分が恐ろしく、ハイそうですかと、彼の気持ちを簡単に受け入れるわけにはいかない状況でもある。
裕介は【災厄の
ハーレムを作ることがステータスであるこの世界で、彼の将来を潰す要因にはなりたくない。
(っていうのは言い訳だ。俺を選んだせいで不幸になったって、責められるのが怖いだけなんだよな)
今日はローリア王国皇太子であり騎士団長でもあるヴィクトルが凱旋する日だ。
ジェイドは朝から方々を駆け回っている。
城下街の喧騒とは裏腹に、騎士団施設の奥にある裕介の部屋はしんと静まりかえっていた。
考え事をするには最適な環境である。しかし、裕介の口からは悩ましげなため息が漏れた。
天井を見上げぼんやりしていた、その時――。
「で、殿下。この先への立ち入りはお控えに」
「ヨシュア、俺を殿下と呼ぶな。騎士団長と呼べ」
「……騎士団長、お願いします。じゃないと俺、副騎士団長になんて言われるか……」
「ジェイドの上官は俺だ。心配するな」
ヨシュアの困り果てた声に被さるのは、横柄な男の声だった。二人の声はどんどん近付いてくる。
そして、唐突に扉が開け放たれた。
現れたのは、美しい男だった。
短く整えられた金髪と、晴れた空を思わせる碧眼はキラキラと輝いている。
自己紹介をされなくとも、彼がローリア王国皇太子ヴィクトルなのだろうと察せられた。
「甘美なる香りを辿ってきてみれば、これはこれは……」
金髪碧眼の男は、裕介をまじまじと見つめる。
男の値踏みするような視線に落ち着かず、裕介は意味もなく眼鏡のブリッジを押し上げた。
「すみません、旦那。止められなくて……」
金髪碧眼男から目をそらさずにいると、ヨシュアが裕介のそばに来てべそをかく。
「ヨシュアさん、この方は……」
「我が国の皇太子ヴィクトル様です」
やはりコイツが……と裕介は納得する。この男が原因で、裕介は異世界に喚ばれたのだ。
人の了解を得ずに部屋に雪崩れ込んでくるあたり、噂通り、我儘皇子のようである。
(刺激しないよう、お引き取り願おう)
「あの……」
「俺はヴィクトル。ローリア騎士団騎士団長を務める男だ。以後お見知りおきを」
筋骨隆々とした巨躯からは想像できない素早さで、ヴィクトルは裕介の前に
「俺のせいで危険な目に遭わせてしまったらしいな。非礼を詫びよう」
「え、はあ……どうも」
なんとも腰の低い皇子様である。
ジェイドから聞いた限り、ヴィクトルは騎士団内随一の実力者であるが、性格に難があるとのこと。
(噂より、話のわかる人なのか……)
良い意味で期待を裏切られたのだが――。
ヴィクトルは裕介の手の甲にキスをする。
一瞬の出来事だった。
(!?)
反射的に手をひっこめようとするも、岩に挟まれたごとく、びくともしない。
ヴィクトルは裕介の手を握ったまま、白い歯を見せ笑った。
曇りなき笑顔であるにも関わらず、薄気味悪さが背筋を這い上がってくる。
「【災厄】だろうとなんだろうと、我が国がお前の運命を変えてしまったことに変わりはない。責任は俺がとる。安心しろ」
「いえ、間に合ってるんでっ。お構いなく」
このまま彼のペースに流されては、確実に王国の勢力争いに巻き込まれる。
(責任を感じているなら、このまま放っておいてくれ……)
「誰に何を吹き込まれたか知らんが、俺はハーレムに興味はない。それよりも異世界から訪れたお前にそそられているのだ」
願いも虚しく、ヴィクトルは滔々と熱弁する。
ヨシュアに助けを求めるも、即座に顔をそらされた。
平民出身のヨシュアでは、王族であるヴィクトルは雲の上の人である。それに上官でもあり、逆立ちしても意見を言える立場にない。
『もし、以前のように襲われそうになったら、俺の番だと言え』
城下街デートの帰り道、ジェイドは裕介に告げた。
返事を保留にしている手前、彼を利用するのは気が引ける。しかしこの状況、やむを得ない。
人の物だと判れば、ヴィクトルも諦めるはずだ。
裕介は重々しく口を開いた。
「殿下。俺はジェイドさんと番契約を結んでいます。おかげで何不自由なく暮らすことができていますので、責任を感じていただく必要はございません」
「なんとお淑やかな……ますます気に入ったぞ」
(俺の話、聞いてました?)
ヴィクトルは己の都合の良いように物事を解釈する質らしい。
(他人の意見を聞かない人間が次のトップ予定だなんて……この国大丈夫か?)
ローリア王国の行く末はさておき、このまま正論を言い続けても、ヴィクトルは引いてはくれそうにない。
「お褒めにあずかり光栄です」
「ジェイドと番になっただと? 嘘だな」
とりあえず礼を述べたが、華麗に無視された。
「う、嘘などでは……」
「
ヴィクトルはサイドテーブルに飾られた花瓶に目をやった。今日は黄色い花が活けられている。
「その花が何か?」
「本当に何も知らないのだな……まあいい。ひとつ教えてやろう。【災厄】が番を得るとな、独特のフェロモンを出すのだ。それはもう、天にも昇るような、至高の香りだ。お前からはその匂いがしない。どうしてだろうな」
「それは……」
そんな話は聞いたことがない。
言葉に詰まると、ヴィクトルはハハハハと豪快に笑い出だした。
「やはりお前はジェイドの番ではない」
「いえ、俺はジェイドさんの番です」
「ふむ、慎ましくも頑固者なところも気に入ったぞ。先程の話――【災厄】が番えば匂いが変わる云々はデタラメだ。話を知らずとも、
まんまとカマを掛けられ、裕介は唇を引き結んだ。
ヴィクトルはしてやったりとばかりに口角を上げる。
「あの堅物のことだ、お前を守らねばと義務感に駆られ、一芝居打つことにしたのだろう」
確かに出会った当初、ジェイドは裕介を哀れに思い、助けてくれたのだろう。
けれど今は違う。
裕介を愛しているから守ろうとしてくれている。
(ジェイドに迷惑がかからないよう、ここは全力で頑張らないと)
見破られようが関係ない。今はヴィクトルが諦めてくれるよう粘るのみだ。
「今は仮初ですが、時期をみて俺を本当の番にするとおっしゃられています」
ジェイドとの約束で、ヴィクトルを受け入れることは出来ない。
不可抗力だと暗に匂わせ、裕介は力なく首を振った。
それなのに。
「ジェイドには俺から申し入れをする。お前はなんの憂いもなく俺の番になるがいい。良い暮らしをさせてやるぞ」
「???」
ヴィクトルは空気を読むことなく、裕介の両手を強く握り締めた。
(どうしたら俺の言い分を聞いてくれるんだ……)
手のひらがじっとりと汗ばんでくる。
その時――。
「殿下。こんなところで何をなさっているのです?」
聞き慣れた声に、裕介は表情を明るくした。
「ジェイドさん……」
扉から顔を出したジェイドは裕介に微笑みかける。
一方、ヴィクトルに目をやるなり、眉を吊り上げた。
「式典の最中に姿を消されるなど……殿下は騎士団長であらせられる前に、王国の将来を担う為政者なのですよ。下々の者に示しがつくよう振る舞っていただきたい」
「ここでは殿下と呼ぶなと言っているだろう。それはそうと、ジェイドよ。なぜ召喚の儀が行われたと報告しなかった」
(ええ……本人知らなかったのか?)
裕介はヴィクトルの番候補として召喚された。
当人の了解あって喚ばれたものだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。
知らぬ間に結婚相手を用意されていたら、怒るのは当然である。
「お言葉ですが、彼をヴィクトル様に近づけないよう、陛下から厳命されております」
ジェイドはヴィクトルの手を、裕介からやんわりと引き剥がした。
「王国騎士の鑑だな。それともハーレムの爺どもに気を遣っているのか……相変わらず義理堅いな。
「異母弟? ってことはジェイドさんも王子様ってことですか?」
「違う」
ジェイドはバッサリと切り捨てた。
顔をこわばらせるジェイドに、裕介はそれ以上尋ねることができず、沈黙するしかなかった。
「それほど強く否定せずともよいではないか。この者が怯えているではないか」
「事実を申し上げたまでです」
(兄弟って言っても全然、雰囲気が違う……)
裕介は呆然とする。大柄なヴィクトルと細身のジェイドを見比べた。
似ているところを探すと、どことなく目元が似ているような気がしないでもない。
「遊び心のない異母弟殿だな」
ヴィクトルは肩をすくめると、ジェイドの脇をスルリと抜け、ふたたび裕介に手を伸ばした。
「ローリアでは滅多にお目にかかれない漆黒の髪に、しなやかな体躯……見れば見るほど可憐だ。ジェイドよ、この者こそ、我が番にふさわしいと思わないか?」
ヴィクトルは長く節くれ立った指先に、裕介の猫っ毛を巻き付けていく。熱っぽく見つめられ、裕介はタジタジとなった。
「……ヴィクトル様、彼は【災厄】です。ご自身の立場を弁えて伴侶をお選びください」
ヴィクトルを遠ざけるためにとはいえ、ジェイドの口から【災厄】と呼ばれ、なんとも言えない後味の悪さを感じる。
落ちこむ裕介を前にして、ヴィクトルは鼻で嗤った。
「ハーレムに囲う
「……それでは王家の血が途絶えます」
「なに、数多の
(うわ――すげえセクハラ発言。俺のいた世界じゃ、即座に訴えられるレベルだぞ)
ヴィクトルも結局、
彼と結婚させられずにすんで、本当によかったと裕介は胸を撫で下ろした。
(……って、そいつに目を付けられてるから、まだ安心しちゃ駄目だな)
最後まで気を抜くべきではない。裕介は息を潜めた。
「……殿下、お言葉が過ぎます」
「お前もハーレムを毛嫌いしているではないか」
「私の意思は関係ありません。さあ式典にお戻りください」
ジェイドが急き立てると、ヴィクトルは「わかった、わかった」と苦笑し、立ち上がった。
重厚なマントを翻す姿は堂々としていて、思わず目を惹かれた。
「麗しの災厄殿。名はなんと言う?」
裕介は青い空を思わせる瞳に射すくめられ、思わず「ゆ、裕介です」と答えた。
ユースケ、ふむ。
口の中で何度もユースケ、と転がし、ヴィクトルは満面の笑みを浮かべる。
「では、また会おう。ユースケ」
ヴィクトルは颯爽と別れの挨拶をし、裕介に背を向けた。
一方で、ジェイドは、苦虫を噛みつぶしたような顔でこちらを一瞥する。
(俺は大丈夫だから)
安心させようと、裕介は小さく手を振る。
すると、ジェイドは疲れたような笑みを浮かべ、ヴィクトルの後に続いた。
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