第9話 裕介、ジェイドにおねだりされる

 鼻歌を口ずさみながら、材料を混ぜ合わせ、捏ねる。

 伸ばした生地を型抜きして、溶かしたバターを塗った天板に並べていく。

 小さな丸い生地を敷き詰めた天板を、石窯に入れた。


「これでよしっと……」


 あとは焼き上がるのを待つだけである。

 石窯の扉を閉め、額の汗を拭っていると、背後からジェイドの咳払いが聞こえた。

 まるで何を作っているのか、はやく教えろと言わんばかりである。


「こっちの世界にもクッキーってあるんですかね。簡単な焼き菓子なんですけど……」

「貴殿は甘味が好きなのか?」

「え、ああ、まあ、疲れてるときには欲しくなりますよね……いや、今は至れり尽くせりで、疲労とは無縁ですよ」

「では、なぜ急に菓子作りなど……?」


 できあがってから白状したいところであるが、完成するまで間が持ちそうにない。

 裕介はことさら明るく言った。


「いやあ、ジェイドさんと仲直りしたくてですね。そのお菓子をご馳走しようかな――、なんて」


 ジェイドは腕を組んだまま、不可解そうに眉をひそめる。


 こちらの世界には、お詫びに菓子折りを持参する文化はないようだ。


(まあ、それ以前から甘い物には世話になってるよな)


 少年時代から裕介にとって菓子は、人間関係を円滑にするアイテムだった。


 調理台に置いた砂時計が規則正しく、サラサラと砂を落としていく。微かな音が、やけに大きく聞こえた。


「俺、五人兄弟なんです。男ばっかりの兄弟で、喧嘩が日常茶飯事でした」


 弟たちの喧嘩の仲裁は、いつも裕介の仕事だった。

 口で注意したところで大人しくなるような連中ではない。

 育ち盛りの子どもの動きを止める武器、それは食べ物である。


「お菓子の匂いで、弟たち面白いくらい大人しくなるんですよね。作り始めたら始めたで、手伝うだなんだって、また揉めるんだけど」


 弟たちが中学生になると、お菓子ではなく、食事を作らされる羽目になった。


 おにぎり、チャーハン、焼きそば。


 底なしの胃袋を持つ弟たち相手に色々作ったなぁと、昔を懐かしんでいると、ジェイドがぼそりと呟く。


「……俺たちはいつ喧嘩したんだ?」


 調理台に腰を預け、腕を組んだジェイドが裕介に問いかける。


「え?」


 クッキーの焼け具合を確認しようとしていた裕介は、驚きのあまり椅子に座り直した。


「だってジェイドさん、あの日から俺を避けてるでしょう?」


 言ってるそばから微妙に視線を外すジェイドに、ほらみろとばかりに裕介は前のめりになる。


 それでもジェイドはこちらを直視しない。

 

(こうなったら、意地でも食べさせてやる)


 石窯を開けると、熱気で眼鏡が曇った。額に眼鏡をずらし、天板を石窯から取り出す。


「とりあえずクッキー焼けたから食べてください」


 クッキーは、こんがりときつね色に焼きあがっていた。熱々のクッキーを小皿に移し替え、ジェイドに差し出す。


 いつもは堂々とした立ち居振る舞いの彼が、居心地悪そうに裕介とクッキーを交互に見比べたところで。


(あれ? 俺、今めっちゃ恥ずかしいことしてないか?)


 冴えないオジさんがイケメンに手作りクッキーを押し付けている絵面は、かなり異様ではないか。


 いや、確実に痛い。


 ジェイドと二人きりなので、人目を気にする必要はないのだが、一度意識すると羞恥心がむくむくと膨れ上がっていく。


「えっと、その……」

 

 口ごもる裕介に、ジェイドのキリッとした眉尻が困ったように下がった。

 精悍な面立ちが戸惑っているのは、なんとも可愛らしい。ほんのりと耳や頬が赤く色づいているのも、可愛らしさに拍車をかけていた。

 

(俺のサムい台詞につられて恥ずかしくなったのか。それとも単純に照れてるのか)


 どっちだろう。どっちにしても赤面するジェイドに気を取られ、自分がどんなに恥ずかしいことをしていようが、どうでもよくなった。


 時が止まったような沈黙後。

 ジェイドは咳払いし、


「……貴殿がそこまでいうなら【仲直り】しよう。ただ安っぽい方法で俺の機嫌を取ろうとするのはやめろ」

「ですね、俺なんかが作ったものじゃ、満足していただけませんよね。すみません」


 小皿をひっこめようとする裕介の手首を、ジェイドは素早く掴んだ。


「そうは言っていない」


 わかりやすい。

 裕介は笑いをこらえるのに苦労した。


「おい、何を笑っている」

「笑って、ません……ぷっ」

「もとはといえば、貴殿が無茶をするからこんな面倒なことに……」

「はい、そうでしたね。全部俺が悪いです。わかってますんで、とりあえず、どうぞ」


 頬を染めながら吐き捨てても、威厳のかけらもない。

 裕介はデレた年下騎士様の唇に、できたてほやほやのクッキーを押しつけた。しかめ面のジェイドだが、諦めたように唇を開き、茶色い生地をサクサクと咀嚼する。


「どう?」

「……美味い」


 ぶっきらぼうな返事に反してジェイドは、もっと寄越せと目顔で訴えてくる。

 天板いっぱいのクッキーをそのまま差し出すと、ジェイドは次から次へと平らげていった。



「今回の件でわかっただろ」


 ジェイドは紅茶のカップを持ち上げ一気に飲み干す。

 焼いたクッキーはすべてジェイドの腹に収まった。

 裕介が安堵したのもつかの間、ジェイドは真剣な表情で告げる。


Ωオメガを守るのがαアルファの使命。王国騎士団の基本理念だが、そう考えるαアルファ騎士ばかりではない。自身の欲望を満たす道具として、Ωオメガを利用しようとする輩もいる」

「あ――、うん。そうだね」


 善人がいれば悪人もいる。異世界だってそれは変わらない。


「今回はたまたま、取り返しのつかない事態になる前に駆けつけることができたが、また今回のような事件が起これば……」

「わかってます。今回は運がよかっただけですよね」

「ああ、そうだ。貴殿が居心地良く暮らせるよう尽力したいところだが……好きに厨房を使うことは認められん」

「え、なんで?」


 ジェイドが望めば、菓子でも何でもできる範囲で作ろうと目論んでいた裕介は、がっかりした。そのお相伴に預かろうとしていたのが、バレたのだろうか。


「ここは一階で庭に面している。敵の侵入が容易である場所で、護衛一人では負担が大きい。俺は任務で不在にすることが多いため、ずっと付いててやることはできん」


 期待していた熱々の食事が遠のいてしまった。

 肩を落とす裕介に、ジェイドはさらに追い打ちをかける。


「それに皆と同じ食事にしておけば、毒味も容易だ」


(毒見って、あれだろ。偉いさんが自分が食べる前に、人に食べさせて安全を確認する、あれだよな)

 

「俺、命、狙われているんですか?」


 裕介はジェイドの庇護下にある。王国屈指の騎士を敵に回そうとする者がそういるとは思えない。


 それなのにどうして。


「貴殿を亡き者にしようと水面下で動きがある。大方、国王派の者だろう」


 国王派――αアルファのハーレム形成能力を潰す、【災厄のΩオメガ】を嫌悪する集団だ。


「いやいや、俺、ヴィクトル様と結婚する気ないですよ」

「貴殿の意志など関係ない。万が一、殿下が貴殿を気に入りでもしたら一大事だ」

 

 だから部屋で何もせず、大人しくしていろ。


 問題を起こした手前、言い訳することもできず、裕介はしょんぼりする。

 すると、ジェイドは厳しい口調を一転させた。


「騎士団員として仕事を任せることはできないが、俺個人として頼みたいことがある」

「な、何でしょう」


 身構える裕介に、ジェイドは表情を緩める。


「気が向いたらまた、菓子を作ってくれないか?」

「え……でも」


 今さっき料理はするなと言ったではないか。支離滅裂で裕介は混乱する。


「俺が非番の日に、貴殿のそばにいるのは俺の自由だ。厨房には誰も近づけない。……ああ、給金が必要なら用意するぞ」

「趣味レベルのお菓子で、金を貰うつもりはありません」


 人様に対価を要求できるクオリティではない。


「そうか? 城下街でも充分、売り物になると思うがな」


 また気を遣わせてしまったのだろうかと、裕介は不安になる。


「まあ無理に渡すつもりはない。それだけの価値はあると思っててくれ。それでだな、その、食べたい菓子があるんだが、買いに行けなくてだな……」


 ジェイドは恥ずかしげに口ごもった。

 多忙な彼のことだ。並の騎士より、ストレスは溜まることだろう。

 気分転換に遠出し、美味いものを食べたい。が、しかし、疲れている身体に鞭打ってまで出かけるのは煩わしい。

 そんなもどかしい願望を抱く気持ちが、裕介には痛いほど伝わってくる。

 

(休みの日ぐらいのんびりしたいもんな)


 管理職仲間としては捨て置けない。

 

「菓子作り、ぜひ、俺にやらせてください。そんなに凝ったものはできないけど、頑張ります」


 とにもかくにも求められているのなら、それに応えるまでだ。

 ジェイドは目尻を下げ、「ああ、よろしく頼む」と静かに言った。


「じゃあ次は何が食べたいですか?」

「そうだな……考えておこう」


 嬉しそうに頬をゆるめるジェイドに、裕介は胸があたたかくなった。

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