リバース・スクール

海湖水

リバース・スクール

 歳をとる、と言うのは怖いものだ。昔の記憶なんてほとんど忘れてしまうし、微かに残る記憶の断片も本当に正しいものなのか分からない。

 そんな自分も随分と歳を重ねた。かつて高校を卒業してから70年は経っただろう。かつては後援会の会長も務めた自分だが、この学校での思い出などほとんど覚えていなかった。

 当然だ。たった三年。人生の27分の1と考えると長いようにも感じるが、実際はそんなこともなかった。

 そう考えると今までの人生は随分と味の薄いものだった。ベッドの隣で何人かの人間が泣いている。ああ、自分にも死を悲しんでくれる人間がいたのか。誰かはわからないがありがとう。そんなことを思いながら瞼を閉じる。声が少しずつ遠ざかっていくのを感じた。




 「ドク、ドク!!これどうやって解くの?高校に入ってからわからなくなったんだけど」

 「は?」

 「え、なんか怒らせちゃった?ごめん、やっぱり自分で……」


 辺りを見回す。いつもの病院の天井ではない。目の前に映ったのは、かつての教室の景色と幼馴染の姿だった。


 「いや、なんでもない。……えーっと、ここはどこだ、って言うか、お前なんでそんな姿なんだ?」

 「け、化粧品変えたの変だった……?」

 「……待て待て待て待て、今何年だ?」

 「ドク、忘れちゃったの?珍しいね、2026年だよ」

 「2026年……2026年!?」

 「え、そんなに驚くことかな……」


 自分の過ごしていた年は確か、2099年だったはずだ。そして何より、目の前にいる幼馴染、すずめの姿は、若い頃のままだ。まさか、過去に戻ったとでも言うのか?いや、そんなまさか、あるわけがない。


 「ねえ、ドク。それよりここの問題教えて欲しいんだけど」

 「……ああ、わかった」


 ドク、懐かしいあだ名だ。学生の頃はずっとそう呼ばれていた。

 雀が開いた教科書の問題は、なんの変哲もない数学の問題だった。正直、解ける自信はあまりなかったが、頭の回転も学生の頃に戻っているのだろうか、すぐに解けた。

 

 「すごい!!こう解くのか〜」

 「すごいか?ちゃんとやり方さえ解れば簡単だぞ」

 「そのやり方がわかるのがすごいの!!」


 懐かしい。こうやって学生時代は雀とよく話したものだ。雀との距離感はいまだにあまり覚えていないが、向こうに合わせる形で過ごしていこう、どうせ死ぬ前の走馬灯か何かだろう、すぐに終わる。


 「あのさ……ドク、今日いっしょに帰らない?」

 「ん、いいぞ」

 「え、いいの!?いつもは断るのに、珍しい……」

 「そうだったか?……まあ、別にいいだろ」


 ちょうどチャイムがなり、雀は急いで自分の席へと戻っていく。黒板の前に立った教師が、教科書を開くように促した。

 授業の内容は比較的平凡なものだった。かつての記憶が少しずつ戻り始めているからか、知っている話ばかりでつまらない。

 授業の内容から察するに、自分は今は高校一年生のようだ。確かに、周りの生徒の制服は心なしか大きいように見える。

 観察を進めていると、退屈な授業も一瞬で過ぎ去っていく。気づけば、6つの授業は終わり、帰る時間になっていた。


 「ドク〜約束覚えてるよねぇ?」

 「覚えてるぞ、帰るか」


 休み時間にもよく話しかけてきたが、自分以外にも友達はできたのだろうか、黒板に書かれた月を見るに入学して1月は経っているが。

 家が近くにあるということもあり、2人の帰り道は基本的に同じだ。自転車に乗って帰ればいいものを、雀はわざわざ降りて押して帰ることを提案してきた。そして、それを承諾した自分がいた。


 「なんか今日は優しいね、ドク」

 「俺はいつも優しいぞ」

 「え〜うっそだぁ。いっつもツンツンしてるじゃん」


 帰り道、不思議と退屈しない。これが過去の出来事だということも忘れてしまうほどに、会話は弾んでいく。

 ああ。忘れていた。高校はこういうことだった。楽しかった。すぐに過ぎ去って、楽しかったという、巨大な思いに押し潰されて、細かい部分は失われる。

 ずっと、ずっと好きだったもんな、雀のこと。なんで忘れてたんだろう。

 自転車の車輪の回転が、早くなったような気がした。

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