第18話・連れ添い

 放課後、今日も今日とて部室に向かおうとしていると、途中の廊下でうずくまっている人をみつけた。

 おそるおそる近づいて声をかける。

「あのー、大丈夫ですか?」

 うずくまる人はその声に反応し、こちらを向く。

 それは制服を着た老婆だった。

「あらあら、すみませんね。ちょっと立ちくらみしちゃって」

 ゆっくりと起き上がると、その身体の小柄さが際立つ。

「大丈夫そうですか?」

 俺が伸ばした手をそっと握り返してくれる。その小さな手は温かい。

 チラリと見たブレザーの校章は赤。どうやら3年生のようだった。

 あとから部長に聞くと、この来之花学園は定時制高校のように年齢制限がないらしい。

 だから、このおばあさんも来之花学園の生徒ということだ。

「ありがとう。優しい子ね。あら、あなた1年生なのね。たしか一人きりだったわよね」

「はい、多田野一士といいます」

「私は3年の四月一日わたぬきトキよ。よろしくねぇ」

「よろしくお願いします。どこか行かれるんですか?」

 あらためて握手するその手はやはり温かい。

「あぁ、ちょうど良かった。あなた知ってるかしら? こいあい俱楽部って所を探しているの」

「俺、そこに所属してるんで、案内しますよ」

「あらあら、ありがとうねぇ」

 四月一日先輩の手を引き、ゆっくりと部室にむかった。


 そして部室に到着すると、他の先輩たちはそろっていた。

「お、多田野君、今日はおばあちゃんの同伴かいな。やるなぁ~」

「こら、そういうこと言わない!」

 亞殿先輩があわてて来客用の椅子をだして、赤延先輩がお茶を用意して机に出した。

「さて、四月一日君だったね。なにか悩みでもあるのかい?」

 俺が席につくと、部長の聞き取りがはじまる。


「そうねぇ、旦那と別れようと思って」


 なかなかシビアな問題に、一同はどういっていいか沈黙が落ちる。

 だが、

 ガラガラピシャーン!

 こちらが何か言う前にドアが勢いよく開いた。

「トキ、またそんなことを言う! そんなにわしと別れたいのか!」

 ドアから登場したのは大きな黒い翼をもつ、カラス天狗だった。

 顔も真っ黒くて、カラスというかトビによく似ている。

「儂は嫌じゃ! 離婚せんからな!」

 カラス天狗は嫌じゃ嫌じゃと暴れるので、部員3人でなだめにいくが、四月一日先輩は「あらあら」とのんびりその様子を見ている。

 おそらく旦那さんなんだろうが、イヤイヤ期が激しすぎる。

 大人しくなるまでしばらくかかるのだった。


「儂は四月一日権蔵ごんぞう。このトキの旦那だ。種族は見ての通り、カラス天狗だ」

 ようやくおとなしくなった旦那さんは、素直に椅子に座って自己紹介を始めた。

「儂らは70年連れ添ってきて、ここでなんでか別れると言ってきかないのだ」

 旦那さんも制服をきていて、その校章は赤い。こちらも3年生のようだ。

 四月一日……トキ先輩はにこにことしている。

「70年なんてあなたの長い生涯からしたら、一瞬みたいなものでしょう?」

「だとしても、大事な時間じゃ! 何にも代えがたい!」

「別れたら案外スッと忘れられますよ」

「お前との記憶がそう簡単に忘れられるか!」

 合図をするまでもなく言い合いが始まってしまう。

「まぁまぁ、お二人とも落ち着いて」

 部長が声をかけると、二人もどうにか静かになる。

「話はだいたいわかったけど、四月一日……トキ君。どうして別れようと思ったんだい?」

 言われてトキ先輩は顎に人差し指を当てる。

「そうねぇ、今になって突然飽きちゃって」

「あ、飽きちゃって……」

 呆然と権蔵先輩が復唱する。

「だから、ここはスパンと綺麗に別れて、お互い次の人生を謳歌したほうが、いいんじゃないかって思うんですよ」

「次の人生……」

 権蔵先輩はオウム返しにしか反応できなくなっているらしかった。

 そう言ってたそがれていた権蔵先輩がハッと気づく。

「まさか! 他に好きな男ができたのか!?」

「それは……」

 トキ先輩は一瞬考える様子をして、

「……内緒です」

 言いにくそうに口を閉じた。

「まさか、そうなのか!? 誰だ! 学年は⁉ クラスは⁉」

 権蔵先輩が身を乗り出してトキ先輩に迫る。

「内緒っていったでしょう」

 トキ先輩はツンと明後日の方向を見てしまう。

 やりとり自体は微笑ましいものの、その内容がシビアである。

 こと、別れる別れないの話は、恋愛成立より難しい気がした。


「ともあれ、内緒話はそこまでにしたらどうだい?」

 部長が言うと『えっ』と全員が集中する。

「トキ君、70年連れ添った相手を切るにしては、すこし理由がハッキリしないんじゃないかな」

「……」

 部長の言葉にトキ先輩は黙ってしまう。

「この倶楽部に来て相談してくれたのは有難いけど、この倶楽部では嘘は通用しない。思惑通りに行かなくて悪かったね」

「思惑だと!? な、何なんだ!! トキ、どういうことだ!」

 部長が言うと権蔵先輩が訳も分からず騒ぎだす。


「そうですか、嘘は通用しませんか」


 俯いていたトキ先輩がゆっくりと顔をあげると、少し晴れやかに見えた。

「トキ、一体どういうことだ!」

「落ち着いてあなた。別れたいっていうのは嘘なんです」

「うそ、なのか? どうして……」


「私もうすぐ死ぬんです」

 その言葉は寂しく部室に響いた。

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