第9話・エンバーマー
「
屍蝋先輩が改めてため息をつく。
「むむっ、ゾンビだから好きじゃないですから! ゾンビの屍蝋先輩だから好きなんですからね!」
ふん、と言い切る姿は立派に見える。いや、立派なものだ。
自分が好きな人にこういう風に言えるかと考えると、ノーと言わざるを得ない。
なんて考えるとふと脳裏に噛みついてきた子がおぼろげに浮かぶ。なぜに?
「でも、僕もゾンビだからエンバーミングの事は知ってるけど、あれは、死体を生者のに寄せるための技術だろう? もちろん衛生面のカバーもあるけど、それを僕にするってことは、君の好きなネクロフィリアから遠ざかってしまうんじゃないかな?」
その言葉に、初めて和久津先輩がピタリと動きを止める。
「それは、そうですけど! でも、好きな人がそう望むならしてあげたいじゃないですか!」
そう言うと、今度は屍蝋先輩がピタリと動きを止めた。
「僕が、それを望む……?」
「屍蝋先輩は気づいてないかもですけど、オレは気づいてます。先輩が本当は人……生者に触れあいたい事」
「いや、そんな……」
「そんなことはありますよ。だって小動物触るのだって、病気感染を心配して気に掛けたり、人と関わり合うのも、死体の体液や細胞が汚したりしないように気を付けてる。そんなのオレだって気づきますよ!」
そういえば、廊下の角で屍蝋先輩とぶつかって、立たせようとした時もふんわりと、直接の接触を拒まれたのを思い出す。
「先輩優しいですもん。自分のせいで周りが嫌な思いをしないように、いつも努力してる。そんな先輩をフォローするなら、エンバーミングしかないって思ったんです」
「だから、留学を?」
屍蝋先輩は少し呆然としている。
「そうです。欲を言えば遺体の冷たさとか、動かない様子とか、自分が手を加えないと腐っていく様とか好きですけど、大好きですけど! 屍蝋先輩の望んでいるのは生者に近づいて、生者と関わる事なんで……」
和久津先輩が言い終えると、しばらくシーンとしてしまう。
その沈黙を破ったのは屍蝋先輩だった。
「正直、そこまで理解して、考えてもらっていたとは気づかなかった……」
呆然とした言葉ではあるが、その表情は微笑んでいた。
「僕は根っからの寂しがりやでね、ゾンビになる前の人間の時はそれで困ることは無かったんだけど、ゾンビになったとき、すごく困った。僕が近づけば近づくだけ生者は困ることが多かったから……」
屍蝋先輩は立ち上がり、阿久津先輩の肩に手を置いた。
「付き合う付き合わないはひとまず置いておいて、せっかく学んできたっていうエンバーミングを君にお願いしたい。そこから君との付き合い方を考えさせてほしい」
阿久津先輩はガシッと肩にある屍蝋先輩の手を取る。
「喜んで!」
さすがに校内に解剖室のような処置室はないので、晧乃宮部長が近くの病院に口利きをしてくれた。
いや、さすがに顔広すぎません?
ポカンとした俺の顔をつつきながら亞殿先輩が言う。
「部長はバックボーンが大きいからなぁ。あぁいう口利きできるねん」
「バックボーン?」
赤延先輩もそれに乗ってくる。
「部長はねぇ、学校の理事長の子息なのよー」
「り、理事ぃ!? 通りで……」
前にも俺の素性を既に知っていた口ぶりをしていたのも、その都合なんだろう。
「だから厄介ごとなら、多少はね、いろいろできるよ」
部長が片眼をウィンクさせてクルリと身体をくねらせた。
数日後、
その口利きをした病院で和久津先輩が屍蝋先輩にエンバーミングを施したそうで、あとで部室に顔を出してくれるそうだ。
それを4人でワクワクしながら待っていると、コンコンとドアを叩く音があった。
「こ、こんにちは、失礼します」
声がして、ガラガラーとドアが開くと、そこには普通の人がいた。
「え」
4人が同時に声を出した。
普通の人、になった屍蝋先輩がそこにいた。
白髪の短髪。目も両方とも綺麗に収まっている。端正な顔、その肉はどこも欠けていないように見える。そして緑に近かった肌色も今は白とオレンジを混ぜた人間の肌色になっている。微笑んでいる屍蝋先輩の歯もちゃんと白い。
「ええー!! すごい!!」
思わず叫んでしまった。
制服も改めて綺麗なものに変えて、手足もどこも骨が見えていない。どこをどう見ても普通の人間の屍蝋先輩である。
これは、言われてもゾンビとは思えない。
「ははは、どうかな……」
照れながら部室に入ってくる屍蝋先輩の後ろに、いつもの黒髪目隠れの阿久津先輩。その口元が嬉しそうだ。
「すごい変化だね。我々は君の生前を見たことないけど、今の君は普通の人間にしか見えないよ」
部長が小さな手で拍手すると、他の3人もそれにならって拍手する。
「活舌良くなってへん!? エンバーミングすごぉ! びっくりやんね!」
「肌の色からして何トーンも上がってるのメイク力すごいです!」
先輩たちが褒め称える中、俺は屍蝋先輩と両手で握手をして驚いていた。
「肌がさらっとしてて腐ってる感じなくなってますね!」
言うと、先輩たちも自分もと屍蝋先輩に握手して驚いていく。
「まぁ、メイクとか一時的なものもあるけど、これで何に触れても体液や細胞つけたりしないっしょ! オレ天才!」
「出来上がるまで、ドキドキしたけど、僕も驚いたよ。阿久津君は立派なエンバーマーだ」
そういって阿久津先輩の肩を抱く屍蝋先輩。
「これって脈アリ!?」
キャーと阿久津先輩が声を上げるが、屍蠟先輩は肩をポンポンと叩く。
「まぁまぁ、とりあえず、僕らはお互いを知らない。友達から始めてもらえるかな?」
改めて屍蝋先輩が手を出すと阿久津先輩をその手を握る。
「いずれ良きパートナーになることを目指して。よろしくお願いします!」
新たな道を歩み出した二人に部員たちは、惜しみない拍手を送ったのだった。
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