第1話・人ならざる者へ
都会の夜は明るい。
夜空を見ても星がきれいに瞬いている。街の明るさで見えていない星もあるかもしれないが、それでも見える範囲の夜空は光でにぎやかだ。
今は新月なのに手ぶらで歩いていれる。深夜にも近いのにあちこちに明かりがある。
こうしてコンビニに所用を済ませても、安全に家に帰ることができる。
それにしても明日からは高校の入学式だ。楽しみと少しの不安に胸をときめかせる。
何が起こり、何が始まるのか楽しみである。
少し気持ちがフワフワしながら角を曲がるが、
「わっ!」
――ドン!
という重い衝撃と共にたたらを踏んで尻もちをついた。
相手は誰かと見ようとするが、新月ゆえか明かりの逆光ゆえか、おぼろげながらにしか見えなかった。自分の視覚が確かなら髪の長い女性のように見えた。
「……」
女性も戸惑っているのか、立ったまま動かない。
「大丈夫ですか?」
尻もちをついたまま聞くのも間が抜けているが、いち早く相手の様子を知りたかった。だが、聞いた相手は何も言わない。
「……ごめ」
聞こえたのはそこまでだった。
尻もちをついたままの俺にその人は覆いかぶさってきたのだ。
「なっ⁉」
すばやい動きで体を抑え込まれ、そして首筋にチクリとした痛みが走る。
がぶっ! ぢぅっ。
痛みよりもショックの方が大きくて、これは吸血鬼なのか!? しかも吸われた! などと混乱して動くこともままならず、そのうちに強い眠気が俺を襲った。
「ごめんね……」
眠気に意識が落ちる前にその言葉がかろうじて聞こえた。
「あ、起きたかい?」
目を開けると知らない白い天井があった。声のした方に視線を向けると、どうやら医師のようで白衣を着ていた。
「あ、はい」
倒れた俺に、目の前の医師となればここは病院なのだろう。
「
「はい。そうです。多田野一士です」
「君は道に倒れていたところを発見されてね。この病院に運ばれたんだよ」
医師は書き物をしていた手を止め、こちらに来る。
「体調は? おかしな感覚はあるかい?」
言われてあちこちに意識を向けようとすると、グラリと感覚が揺れるのがわかる。
「体調は問題ないんですけど、感覚がなんか、おかしくて……」
「まぁ、そうだろうねぇ。君、いま体が吸血鬼に変化しつつあるから」
「は?」
突然の医師の発言に頭が真っ白になる。
だが、さっきの首に食いつかれたことを考えると、それも当然かと思う自分がいる。
「吸血鬼といっても、本当の吸血鬼に血を吸われて、その、性交渉を経験してないと、ハーフブラッドっていう吸血鬼状態になるんだよ」
医師は笑ってくれたが、ひそかに童貞とバレたことがちょっぴりショックだった。
「本物よりは力が弱いけど、人間よりは感覚が鋭敏だったり、力が強くなってたり」
医師が俺にイーっと歯を見せる。その両方の犬歯は鋭くとがっていた。
「僕も吸血鬼だけど、やっぱり歯はこう尖っている。もちろん今の君もね」
あわてて俺の犬歯を触ってみると、鋭く尖っていて指に刺さった。
「いてっ」
「ああ、気を付けてね。吸血鬼の犬歯は食事しやすいように尖っているから。
それで君のこれからなんだけど、ハーフブラッド状態はその治癒まで通常3年はかかるのね」
すんなりとこれからの生活が説明され始める。
「その間は、政府の方で血液の食事が提供されるようになります。生活も夜生活がメインになるから、そのアシストもしてくれるし、概ねは変わりなく生活できるようにフォローが入るから安心してね」
すっとハーフブラッドの会というタイトルが振られた冊子を手渡された。
「こ、こんなものがあるんですね……助かりますけど」
「一時期は吸血鬼と人の間でハーフブラッドの事でゴタゴタしてたからね、加害者として責められた吸血鬼の有識者が集まって、フォロー団体を作ったのさ。吸血鬼は高位の人が多いから資金も潤沢だし、サポートも充実してるから安心していいよ」
「は、はあ」
「それと君のご両親にも話は行ってるから。ご家族で冊子を読んでほしい」
「両親にもですか!」
「まぁ、息子さんの体質がガラッと変わってしまうからね。ご家族の協力もあったほうがいい」
すぐ帰るはずの息子が帰ってないのだから、両親も心配しているだろう。
ある意味、説明が行ってるのなら安心か……。
そして俺の手の中には大きな鱗のようなものが、握られていることに気づいた。
「先生、これは……?」
「ああ、倒れて運ばれる前から握ってたそうだよ。誰の鱗だろうね」
拳よりは小さい綺麗な青と緑の透き通った鱗だった。
なにか大事なモノのような気がする。
などと思いふけっていると、
「キミ、明日、高校入学だっけ? 行く予定の高校はちょっと変わっちゃうのは残念だったね」
などと言われる。
「え! 高校変わるんですか!?」
驚いて問いかけると、医師はふわりと笑った。
「大丈夫、この辺だと来之花学園が人ならざる者の学校になるから、君はそこに転入できるんだ。その手続きもしておこうね」
医師は机に移動して、カリカリと書類を書いていく。
「人ならざる者の、高校……」
感覚がまだ慣れてないのかグラリと歪むのがわかる。
俺の普通の高校生活は行く前から急激な変更を求められていた。
だが、吸血鬼に血を吸われたことも、事故に遭ったようなものかと思う自分がいる。
こういう事はマレではあったが、世のなかに無い事でもなかった。
俺を診てくれている吸血鬼の医師というのもマレにあることだ。
そう、俺の生まれた世界は人と人ならざる者が共存する世界だった。
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