秋のはざま ― 奥多摩行き
浅野じゅんぺい
秋のはざま ― 奥多摩行き
十月の終わり。
中央線の窓の外で、光がゆっくりと傾いていた。
冷たい空気に、焦げた栗のような甘い匂いが混じる。
その匂いが胸をかすめた瞬間、遠い記憶が疼いた。
隣には、篤史。
五年ぶりの再会だった。
駅の改札で手を振る彼の姿を見た瞬間、
時間がほんの少し、巻き戻った気がした。
でも、近づけば近づくほど、
懐かしさの奥に “遠さ” があった。
その埋め方を、もう思い出せなかった。
「久しぶり」
そう言った自分の声が、思っていたより小さく震えた。
ほんとうは、
“また会えてよかった” と言いたかったのに。
言葉は喉の奥でほどけて、風に紛れた。
立川で車を借りて、奥多摩へ向かう。
窓を開けると、風が頬を撫でた。
紅葉が、ひとひら、車内に舞い込む。
木々の匂い。川の音。
懐かしいものと、もう戻れないものが、
同じ匂いをしていた。
「最近、元気だった?」
篤史の声が、ハンドル越しに届く。
「うん。まあね」
嘘ではなかった。
でも、それが全部でもなかった。
──この秋が、私にとって最後の季節になるかもしれない。
そのことを、彼にはまだ言っていない。
「秋って、優しいね」
私がつぶやくと、篤史が少し笑った。
「散るのに、きれいだから」
その言葉が、胸の奥にゆっくり落ちていく。
まるで、
“今の君がいちばんきれいだよ”
と告げられたようで、
何も言い返せなかった。
湖に着くころ、風が静かに水面を撫でていた。
篤史の指が、そっと私の手に触れる。
世界の音が遠のき、時間が止まったように思えた。
触れた温度が、胸の奥で灯りになる。
──ああ、まだ、生きていたい。
この光の中で、この人の隣で。
夜。
湯けむりの向こうで、紅葉が揺れていた。
「また、来年も来ようね」
篤史がそう言った。
“来年”という二文字が、
夜風より冷たく私を包んだ。
翌朝。
落ち葉を踏む音が響く。
白い息がほどけ、朝の光が頬を撫でた。
私は篤史の手を、そっと握る。
“ありがとう”と“さよなら”を、
指先で伝えるように。
風が吹いて、紅葉が舞った。
秋が、静かに終わっていく。
けれど確かに、私は今、生きている。
そして──
あの朝の光と匂いは、
きっと、この世界に残り続ける。
秋のはざま ― 奥多摩行き 浅野じゅんぺい @junpeynovel
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