第3話 音は帰らなかった

 「昨日の放課後、帰り際に聞いたんだよ。誰もいないはずの音楽室から、ピアノの音が」


 そう言ったのは、同じクラスの木暮。

 怖がりのくせに、話す声は妙に楽しそうだった。


「誰か残って練習してたんじゃないの?」

「いや、窓から見たけど、誰もいなかったんだって。音だけがしてたんだよ。しかも子犬のワルツ」


 妙に具体的だ。

 俺――宮下は苦笑しながらも、なんとなくその光景を思い浮かべた。

 夕陽の残る廊下に、ピアノの音。

 確かに、それだけで少し不気味だ。


「――宮下くん、これは『時間のズレ』ですね」


 やっぱり来た、佐久間 恭一郎。

 廊下の端から現れて、なぜか紅茶のペットボトルを掲げている。


「時間のズレ?」

「そうです。放課後というのは、昼と夜の境界。 つまり昼の音がまだ残っている時間帯なんですよ。ピアノの音も、そこで迷ったんです」

「……は?」

「昼の音が、帰りたくなかった。それが子犬のワルツという形で現れたんですよ」


 木暮が眉をひそめる。

「じゃあ、子犬の霊でも出たって?」

「違います。子犬は忠誠の象徴です。つまり、音がまだ学校に仕えていたんです」

「いや、音が勤務時間守るなよ……」


 俺は呆れて突っ込んだが、佐久間は真顔で続けた。

「木暮くん、あなたは昨日、寝不足でしたね?」

「え? あ、まあ……夜ふかししてて」

「ほら。つまりあなたの耳が昼の音を手放さなかったんですよ。脳がまだ活動中だった証拠です」


「……どういうこと?」

「つまり、音楽室のピアノはあなたの脳内残響。 眠気と放課後の境目が共鳴して、音を作り出したんです。 だからこそ昨日の放課後にしか聞こえなかった」


「……うん、やっぱり何言ってるかわかんない」


 ――その瞬間、音楽室の扉がゆっくり開いた。

 吹奏楽部の子が、申し訳なさそうに顔を出す。


「あ……。それね、昨日練習した曲の録音、流しっぱなしで帰っちゃって……。ごめんね」


 スマホを掲げて、困ったように笑った。

 スピーカーから、かすかに子犬のワルツが流れていた。


 佐久間は即座に頷いた。

「なるほど。音は、まだ帰りたくなかったんですね!」


 木暮が頭を抱える。

「いや、それもうただのミスだろ……」

「偶然とは、ロマンが現実に迷い込んだ瞬間ですよ」


 そう言って、佐久間は満足げに紅茶をひとくち。

 夕陽が差し込む廊下で、ピアノの余韻が静かに溶けた。

 俺は思わず笑ってしまった。

 たぶん、眠気も――少しだけ和らいだ気がした。




☕️あとがき☕️

 音楽室のピアノはミステリの定番ですね

 あなたに帰ってくれない音は聞こえますか?

 金曜 17:15 更新 どうぞ紅茶のご準備を☕️( . .)"

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