第2話 効果絶大

「みなさんお暇ね」

「まったく、アデラの言う通り」


 ここ数日、フェリキス総合学校ではある噂が蔓延していた。

 

 それは気高い孤高の花ことマルティナ・アルクヴィストと、女子生徒の人気ナンバーワンであるラーシュ・レクセルが交際を始めたというものである。


 なんでも二人で仲睦まじく手をつないで歩いていただの、食堂で見つめ合っていただの、公衆の面前でラーシュがマルティナを抱きしめただのと、あらゆるエピソードが脚色や誇張も交えて飛び交っている。


 このフェリキス総合学校が全寮制であることも、噂を増長させる要因だった。


 食堂を含むいくつかの店は学校の敷地内に存在しており、生徒の行動範囲が狭いのだ。娯楽も少ない。


 狭い世界で有名人の二人が仲睦まじくしていれば、当然目立ち、その動向は観劇と似たような娯楽になる。


 そのためマルティナとラーシュの二人は事の真偽を確かめるべく、多くの生徒に突撃されていた。


 もう数えきれないほどの女子生徒に真相を確かめられたマルティナは、少々面倒くささを感じて疲れていた。


 しかしながら男子生徒からの告白もアプローチも目に見えて激減したので、その点では非常に満足している。


 なんといってもラーシュ・レクセルは男嫌い気味だったマルティナでさえもその名を知っているほどの有名人だ。


 彼の人気はその見た目と地位の高さのみならず、学業と武もずば抜けて秀でているからであるらしい。


 そんな完全無欠の男に対抗しようと言う気概のある男は、ほとんどいないのである。


 そして女子生徒からの嫉妬も多少は覚悟していたのだが、今のところそういった被害は特にない。むしろ何故か女子生徒から二人はお似合いだと思いますと応援されているぐらいなのだ。


「マルティナがあのラーシュ・レクセルと付き合うなんて……」


 ラーシュと契約を交わした次の日、マルティナの親友アデラは、急な報告をかなりいぶかしみながら聞いていた。


 マルティナは虫除け代わりに告白を受け入れたと言ったのだが、勘のいいアデラはマルティナの言葉に嘘が混ざっていることを見抜いているようだった。


 ただ、ラーシュと交わした契約をアデラにばらしてしまっていいのか判断がつかず、結果的に親友に嘘をついているのだった。

 そしてアデラもまた、それとなく言及はするものの、マルティナが口を閉ざせばしつこくは追及してこない。


 だからこうやってアデラがわざとらしくつぶやく独り言にマルティナはうんともすんとも言えずに黙っているのだ。


「それでも、払いきれない虫が一匹きたようよ」


 そうやってマルティナが黙っていると、アデラがご愁傷様とばかりにマルティナを見てつぶやいた。それから視線をある一点で止める。アデラの丸く大きな目に映る人物を確認して、マルティナは大きくため息をついた。


「また来たの」


 マルティナが今世紀最大にしつこい男だと認定しているその男子生徒は、何故か怒った様子でこちらに向かってきていた。



 マルティナにとってはしつこい男だが、他の女子生徒からの評判は爽やかな好青年であるらしい。

 らしいというのは、マルティナにとってはただの粘着質でうざい男だからだ。そして、少し頭がおかしい。あの男はどうやら自分が一番マルティナに相応しいと信じているようなのだ。


「どういうことですか?」


 近づいてきてそうそう、しつこい男はそんなことを言う。これが恋人であれば彼の主張は正当なのだが、そう言う事実はない。


「何の話?」

「とぼけないでください! 学校中、貴女とレクセルの話題で持ちきりですよ」

「関係ないでしょ。私はラーシュが好きなのよ」


 もはや名前すら覚える気に慣れなかったこの男は、どうやらマルティナの発言にひどく衝撃を受けたようだった。


「あなたが、あの男を好きになったのですか?」

「そうとも言えるし、違うともいえるわ。私たちは同時に恋に落ちたの」


 どこぞの舞台女優に大げさに、そしてドラマティックに締めくくると、アデラが必死に笑いをこらえているのが目に入った。しかしそんなことで演技を止めるマルティナではない。


 この男のしつこさにはいい加減げんなりしているのだ。


「私はラーシュだけを真剣に愛していて、あなたのことなんて名前にすら興味もないの」


 名前すらも覚えていない。それを遠回しに言い含めると、マルティナは踵を返した。アデラもそれに従い、二人は足早にその場から離れる。


 さすがにあそこまで言えばあの男も諦めるだろう。多少プライドは傷ついたかもしれないが、幸か不幸かあの男は他の女子生徒から人気がある。きっとあの傷を癒してくれる誰かは見つかるはずだ。


 二人はしばらく無言で歩き続け、完全にしつこい男の視線からは外れたところで、アデラは盛大に笑い出した。


「ふふ。あーおかしい! 私たちは同時に恋に落ちたの。私はラーシュだけを真剣に愛していて――」

「――ちょっとアデラ。やめなさいよ。流石に恥ずかしいじゃない」


 アデラはマルティナの声色まできっちりまねて再現して見せたので、さすがに気恥ずかしくなった。とことんやる主義のマルティナでも、客観的に見てみると少し大げさだったなと反省するほどである。


 そもそも愛しているだの真剣にだの、よくもまあぺらぺらと嘘がつけたものであると自分で自分に感心する。


 ひとしきり笑い終えて、どうにか笑いを止めたアデラはふと口を開く。


「ところで、これからのご予定は?」

「私は図書館に行こうかと。久しぶりに静かに本が読めるし」

「そう。私は今日は用事があるので、寮に帰りますわ」

「じゃあ途中まで一緒にいけるわね」


 二人はしばらく話しながら歩いていた。

 マルティナの演技の話から始まり、いつみた芝居が楽しかっただの、どの女優や俳優が好きだのというようなことで盛り上がっていた。


 話しに夢中になっていた二人は、しばし周りのことなど気にも留めていなかったのだが、人通りの少ない道で男女の妖しげな声が聞こえてきたときは、さすがに足を止めた。


「道を変えた方がよいかしら?」


 声を押えてアデラがマルティナに聞いてきた。おそらく恋人に自分たちの存在がばれると気まずいからだろう。


「たぶん一本向こうの道だから大丈夫でしょ」


 たとえ出くわしてしまったとしても、道であれこれしている馬鹿が悪いので、マルティナは譲る気はない。近道を選んだのに、引き返してはそれが無駄になる。


「最近、こういう抑えの利かない人が増えている気がするわ。以前はこんなことはなかったのに」


 フェリキス総合学校に男女交際を規制する規則はない。

 ここには、総合学校と言う性質上、様々な位の貴族のお嬢様や子息たち、それから平民の男子、稀に女子、などと幅広い層の生徒がいる。


 基本的に恋愛に関しては奔放なこの国では、貴族であってもよほどの時代錯誤な家でない限りは、恋愛を禁止していない。


 恋愛に付属するもろもろの行為も、合意と秩序があれば婚前であろうが誰も気にしたりはしないのだ。


 だから総合学校において、交際しているということは珍しい話ではない。キスするぐらいなら対して気にしないのだが、どう考えてもキス以上のことをオープンにあれこれ、というのは普通ではない。


「夜でもないのに。まったく時と場所を選べっていうのよ」

「真昼間でも部屋に戻ってほしいわよね。寮の壁が薄くても、それならまだ許せるもの」


 文句を言いながらも、なんとか遭遇せずに図書館についたことにほっとした。


「まったくだわ。それじゃあ、また明日ね」

「ええ。また明日」


 寮はここからさらに歩いたところにあるので、アデラとはお別れだ。マルティナは挨拶をしたあと一人で図書館に入る。


 久々に来た図書館は、紙と、少し埃っぽいこもった匂いがする。静まり返った広い部屋で、ときおり聞こえてくるページをめくる音が心地よい。


 マルティナは本来図書館が好きなのだが、マルティナが定期的に図書館に通っていることがばれると、マルティナを目的にした男子生徒が増え、図書館が騒がしくなってしまったのだ。


 そう言う事情があってしばらく利用を控えていたのだが、今はラーシュという最強の虫除けを手にしている。


 この期間ならばきっと以前ほど読書を邪魔されることはないだろう。 

 マルティナはひさしぶりの図書館をぶらぶらと歩き、本を物色する。


 そしていくつか気に入った本を見つけるとせっせと窓際の読書スペースに運び、五、六冊積んでおいた。

 これなら閉館まで立ち上がらなくて済むだろう。


 さして座りごこちはよくない三人掛けのソファに座り、一度伸びをする。そうして本を読む体制を整えて、一冊目を手にとった時だった。


「マルティナも来てたのか」


 ラーシュが数冊の本を抱えて近寄ってきた。マルティナの向かい側のソファも開いているが、現状ではマルティナの隣に座るのが最善だろう。そう思ったマルティナは、ソファの真ん中から少し端によった。


 ラーシュはマルティナの意図をくみ取ったのか、自然な動作でマルティナの隣に腰を下ろした。


「俺も本を読むから、一緒にいていいか?」

「もちろんよ。私に話しかけないなら」


 言葉の後半を誰にも聞かれないように声を潜めて言うと、ラーシュは了解とばかりに笑って自分の本をマルティナの本の山の横に積んだ。


 そして本を開いて読み始める。


 マルティナは閉館まで居座るつもりだったが、さすがにラーシュは途中で帰るだろう。

 それなら、マルティナもラーシュと一緒に帰らなければならない。


 今二人は恋人同士を演じているのだから、極力一緒に行動しなければならないのだ。

 久しぶりの図書館だったので少し残念な気もするが、ここに来られたのはラーシュのおかげである。今ラーシュを邪険に扱うのは得策ではない。


 そんな打算を働かせた後、マルティナは当初の予定通り本に没頭したのだった。


 二人は閉館まで並んで本を読み、閉館をつげるベルを聞くまで一言も話さなかった。


 マルティナの予想は大きく外れ、ラーシュは一度も帰ろうと言わなかった。いつ帰るのかと尋ねることもしなかった。ただ隣で一緒に本を読んでいた。


「本好きなの?」


 図書館を出て、二人で寮に向かう途中マルティナは疑問を口にした。


「まあな。ただ一人で閉館までいたことはないな」


 ラーシュの口ぶりからすると、マルティナが閉館までいたから一緒にいたということだろう。


「じゃあどうして? 帰りたいって言えば一緒に帰ったのに」

「ん……まあ、契約はじめだから、長く一緒にいるのがいいかと思っただけだ」

「ああ……そういうことね」


 遠慮して言えなかったのだとしたら申し訳ないと思ったが、そう言う理由ならラーシュにも利益はあるのだからいいだろう。


 あれだけの長時間何を読んでいたのか気になり聞いてみると、意外なことにラーシュと本の趣味が合うことが判明した。話も思っていた以上に弾む。


 もっと無口な男かと思えば、案外饒舌なようだ。今までなんとなく関わりを避けてきたが、こうやって関わってみると考えた方も似ているし、これはいい友達になれそうだ。


 たとえ契約云々が終わっても、ラーシュとなら友達として定期的に連絡をとってもいいかもしれない。

 そんなことをぼんやりとマルティナが考えていた時だった。


「――!」


 遠くから何やら男のどなる声がした。姿が見えてもいないのに聞こえてくると言うことはただごとではないだろう。


「喧嘩か……?」

「ちょっと見てくる。先に寮に戻ってて」


 こういうことを放っておければいいのだが、どうにも首を突っ込みたくなる性質なのだ。ここにアデラがいればまたかという顔をされつつもついてきてくれるだろうが、さすがにラーシュを巻き込むのは申し訳ない。


「お前が行くなら俺も行く」

「誰も見てないけど?」


 契約を心配しているのならば、その必要はない。

 そう言う意味で言った言葉だったが、ラーシュは一瞬、何とも言えない表情になった。しかしすぐに笑って首を振る。


「ほら、行くぞ」


 ラーシュはさっと声のした方へと走り出す。マルティナも一瞬遅れてそれに続いた。結局ラーシュが何故ついてきたがるのかは分からないが、この際それはどうでもよい。


 声が届く距離なだけあって、それはさして遠くなかった。


 そこには四人の男子生徒がいた。どうやら三人が一人に何か言いがかりをつけているらしい。ただ幸い暴力には至っていないようだ。これならラーシュと二人ででていけば丸く収まる――そう思った時だった。


「うわっ!」


 栗色の髪の男子生徒が、思いっきり腹にパンチを入れられて、身体ごと吹っ飛んだ。

 どうやら円満におさめることはできなそうだった。

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