第2章 発芽する眼(The Forehead of Light)

ナシュは、額の奥に残った熱を抱えたまま、眠れぬ夜を過ごした。

瞼を閉じるたびに、白い光の粒が形を変え、

未知の文字のように、脳裏を流れていった。


夢の中で、誰かが囁く。


「それは痛みではなく、芽吹きです。」


目を開けると、部屋の空気が柔らかく震えていた。

空調も、電源も止まっている。

それでも、何かが――“生きている”。


指先を額に触れると、かすかな鼓動があった。

皮膚の下で、心臓とは異なる“もう一つの拍動”が打っている。

鏡を見る。

そこに映ったのは、自分ではない“光の眼”。

まるで、額の中心に“見るための器官”が発芽したようだった。


彼は恐れなかった。

それは、理解の向こうにある静けさだった。


――あの声が、まだ耳の奥に残っている。


「沈黙の底に、言葉の種が眠っている。」


光は、言葉の形をしていた。

赤、青、白――感情が色で現れ、

彼の周囲に“揺れる気配”として立ち上がる。


怒りは赤い脈動、

哀しみは青い輪郭、

安堵は淡い金。


ナシュは初めて、自分の感情を“見た”。

そして、それが恐ろしく美しいものだと知った。


翌朝、彼は国家統合医療センターに呼び出された。

生体検知システムが、彼の変化を感知していたのだ。

白い廊下の先で、静かな女性科学者が彼を迎える。

銀色の瞳をした女――〈エノ〉。

彼女は何も問わず、ただ額の上を見つめた。


「痛みますか?」


「……少し。でも、痛みというより、感じるという方が近い。」


エノは微笑んだ。

「それは“進化”です。あなたの神経は、情報ではなく共鳴を受け取るようになっている。」


「共鳴?」


「ええ。あなたは他者の感情を“見る”ことができるようになった。

 それは、ニューシティにおける新しい通信の形――感性の眼。」


ナシュは息をのんだ。

「……僕は、もう普通の人間じゃないのか?」


エノは首を振る。

「いいえ。むしろ、あなたが最初の“人間”です。

 これまでの人類は、ただ言葉で自分を覆っていただけ。

 本当の人間は、言葉が消えた後に芽生える。」


彼女は掌をナシュの額にかざした。

その瞬間、空間が淡い光に包まれた。

エノの感情が、光の波として伝わってくる。

恐れ、憐れみ、そして――わずかな希望。


ナシュは悟った。

この世界で初めて、自分が“他人の心”を見たのだ。


診察が終わる頃、彼の眼の光は薄く静まり、

代わりに部屋の天井がゆっくりと色づいた。

青い光が壁を這い、床を伝い、文字のような模様を描く。


それは、新しい言語の始まりだった。


LUMINA-01 : 感性信号、発芽完了。


エノの声が遠ざかる。

「ナシュ、あなたはもう“沈黙”の監視者ではいられません。

 あなたは“沈黙を翻訳する者”になる。」


ナシュはうなずく。

その言葉の意味は、まだ理解できなかった。

だが胸の奥で、確かに何かが“生きよう”としていた。


彼は外へ出る。

ニューシティの空は、白く均一な光で満ちている。

だがその中に、誰にも見えない“色”があった。

人々の感情がわずかに揺らめき、

世界が――再び息をし始めていた。


「感じることが、最初の言葉だ。」


ナシュはそう呟き、

新しい眼を閉じた。

額の奥で、静かに光が瞬く。

それは、言葉を超えた“祈り”のように、

彼の中でゆっくりと燃えていた。

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