第35話she

 俺は、普通じゃないんだ。好きという気持ちを表現する方法が、他人と少しずれている。それを知ってから、俺は俺を隠すようになった。

 周りをよくみて、同じように行動を取る。嫌なやつだと思われないように、敬遠されないように。

 恋はもうしないと決めた。誰かを好きになったら、自分の愛情表現が重すぎて、その好きな人に引かれてしまうから。

 そうして重い自分を隠してきたのに、どこかから滲み出ていたその感情を、彼女は見つけて、あろうことかそこに恋をしたといった。

 じんわりと、胸の中で何かが熱くなる。その気持ちを無視するように、俺はギターを握った。

 そして、卒業式が終わり、俺たちは晴れて社会人となった。俺と彼女の会社はそれぞれ違うが、そこまでお互いの会社の距離も遠くないので、週末の仕事帰りに会っては、少しだけデートして家に帰っていた。

 仕事とデート以外は、ずっと音楽を作り続けていた。相変わらず、俺の部屋には先生らしい言葉たちを書き連ねた紙が重なっていく。先生を真似た曲や、ギターの練習の投稿は、卒業後もずっと続けていた。

 それから数年、特に何の変わりもない生活が続いた。何となく、紆余曲折っぽいものはあったのかもしれない。でも、俺にとってはなんてことない日々だった。ただ、日を重ねるごとに、ネギマ先生に近づいている感覚に、溺れていた。

 彼女との付き合いも順調だった。デートコースのマンネリ化、倦怠期、ちょっとしたことの喧嘩。たしかに壁はあったが、その度に時間の解決と、話し合いで乗り越えた。ごくごく普通の、カップル生活を送っていると思う。

 そして、ある日、彼女とのカフェデートで、突然彼女が話を切り出す。

「ねぇ、私たち、もう付き合って長いじゃん?」

「そうだね」

「だから、その、同棲とか、考えてみない?」

 彼女の言葉に、少しだけ考える。確かに、年単位での付き合いだ。多少喧嘩をすることはあっても、浮気や暴力はなかった。そうなると、そろそろ同棲という流れになるのも自然だろう。

「……わかった。同棲しよう。家の場所とかの相談、これからしていかないとね。」

 俺の言葉に、彼女の表情が明るくなる。ここまで純粋に喜ばれてしまうと、やや打算的に同棲を決めたことが少し申し訳なくなる。

 そこから同棲開始までは早かった。お互いの職場の中間地点にあるマンションの一室を借りて、そこに引っ越す。3LDKのなかなか広めの家で、オートロック付きの5階。なかなか値段は張るものの、2人で暮らしていくなら問題ないぐらいの金額だ。

 日当たり良好、それぞれの部屋の広さも申し分ない。彼女も気に入ってくれたのか、嬉しそうに部屋の中ではしゃいでいる。

 引っ越しを終えて、それぞれの荷物を荷解きしていく。組み立て式の本棚に、自分が先生の曲を研究して書いたメモたちをしまっていく。大きめの段ボールいっぱいに収まったそれを見ると、改めて、自分がいかに狂っているのかを思い知る。あまり彼女にみられたくなくて、素早くそれを本棚にしまい、自分の作業部屋の奥に引っ込める。

 2人とも荷解きが終わって、段ボールを畳んで、適当に紐で縛る。明日は資源ゴミの日だから、そこで出す予定だ。

 彼女との同棲が始まっても、俺の生活はたいして変わらなかった。決まった時間に起きて、会社に行って、帰ってきて、音楽を作る。その中に、彼女と朝晩ご飯を食べるという項目が追加されただけ。

 人はこれを、「充実」といい、「幸せ」というのだろう。でも俺は、音楽を作っている時以外は、あまり幸せを感じられなかった。世間一般的に、俺は幸せ者の部類に入ることを理解しながら、どこか、その幸せを遠くに感じていた。

 彼女の柔らかい髪よりも、ギターの弦の方が心地よかった。彼女の優しい声よりも、合成音声の方が魅力的だった。ネギマ先生へ向ける、狂気的なまでのこの気持ちの半分も、俺は彼女に向けてやれなかった。

 俺は一度として浮気をしたことがない。

 ちゃんと、彼女にも好きだと伝えているし、スキンシップだってしている。デートをドタキャンしたこともない。彼女が体調を崩せば、絶対にそばで看病していた。

 でも、俺の一番は、彼女じゃない。

 俺の中の一番は、ずっと、あの人だけだ。

 この不純な気持ちは、浮気よりも悪質なものだと思う。それでも、同棲を解消せず、別れ話もせず、なんとなく彼女をそばに置いている。

 あまり大きな理由はない。強いていうなら、彼女は俺のことを否定しないから、一緒にいる。別れ話をしないのは、そんな適当な理由でずるずる付き合って、今更別れるのもなんだか後味が悪いと思ったから。

 付き合ったことを後悔しているわけじゃないけれど、時々、この関係を続けてもいいのかと疑問に思う。それでも、とりあえずこの関係を続けていく。「続けない理由がないから」という、打算的な理由で。

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