第17話眠る海
「……既存の曲だけで、こんなに話が進むんだ」
これまで自分が積み重ねてきた曲たちが、誰かの目に留まり、商品になる。想像もしていなかった展開に、思わず息をつく。
まだ昼間なのに、心労でどっと体が重くなる。全身がこわばって、特に肩と腕が張るような感覚。
少し昼寝をしてから、リリースする楽曲を選ぼう。そう思い、ベッドで横になり、眠りについた。
次に目を覚ました頃には、昼の3時だった。2時間近く寝ていたらしい。少しぼーっとする中、私はパソコンの通話履歴を見る。約2時間前に、一軒の通話履歴。昼の打ち合わせは、どうやら夢ではなかったらしい。
「……曲、選ばなきゃ」
昼の打ち合わせのことを思い出す。私は、配信用にリリースする楽曲を選び、モリミュージックさんに送らなければならないのだ。
「どれにしよう……」
正直、どれも駄作ばかりだ。言ってしまえばどれも出したくはない。それでも、比較的ましなものを選んで、出すしかない。
こういう時に、私の代わりに選んでくれる友人がいたら、どれだけいいか。そんなことを考える。両親にすら曲を聞かせていない私に、そんな友人は存在しないのだけれど。
一瞬だけ、視聴者の人達に投票で選んでもらおうかという考えが浮かんできた。でも、百曲以上作っているこの曲たちから投票を募って、自分がきちんとその中で統計を取れる自信があるかと言われると、無理な話だ。
結局、諦めて自分で選ぶことにした。
数時間悩んだ末に、ようやく出した結論は、一番最初に誤爆したあの曲。この曲たちの中なら、あれが一番ましだと思う。若干の打算も込みで、私はそれを渡邉さんに送った。
曲のファイルを送信した瞬間、心臓がどくんと大きく跳ねた。メールの送信済み欄を何度も確認しては、後悔のような安堵のような、複雑な感情で押しつぶされそうになる。
「……送っちゃった」
あれだけ駄作だと思っていたのに、自分から差し出してしまった。もう取り返しはつかない。
その日の夜。布団に潜り込んでも、なかなか寝付けなかった。何度もスマホを見ては、渡邉さんからの返信が来ていないか確認する。もし「思っていたほどではなかった」と思われたらどうしよう。いや、きっとそう思われるに決まっている。
翌朝。起き抜けにスマホを手に取ると、通知に一件の新着メールがあった。
『データ、確かに受け取りました!ありがとうございます。とても素晴らしい曲ですね。社内のスタッフからも好評で、配信用の準備をさっそく進めさせていただきます。リリース日は来月頭を予定しています。正式に日程が決まりましたら、改めてご連絡いたします』
「素晴らしい」なんて言葉を、まともに受け取れるわけがない。たぶん社交辞令だ。そうやって何度も頭の中で打ち消すのに、どこかで心臓が跳ねるのを止められない。
それからの日々、私はなるべくそのことを考えないように、日常をこなした。仕事に没頭して、夜はいつものように曲作りをして、ネットに上げる。けれど、頭の片隅では「来月頭」という言葉がずっとちらついていた。
そして、リリース当日の朝。
通知を確認すると、モリミュージックの公式アカウントからお知らせが流れてきていた。
『【新鋭アーティスト登場】ネットで静かに注目を集めてきたネギマ様の楽曲『眠る海』が、ついに本日より配信スタート!繊細で心を打つメロディーは、リスナーを一瞬で虜にします。今、最も注目すべき新星の登場をぜひ体感してください。』
「うわ……」
スマホの画面を見ただけで、胃がきゅっと縮む。私の名前と曲名が、堂々と公式から発表されている。もう、逃げ道はどこにもない。
そして、その意識が強く体に出たのか、急に筋肉が強張り出した。
「っ……」
カタン、とスマホが音を立てて床に落ちる。幸い、画面割れ防止用のフィルムを貼っていたため、なんとか大きな損傷は避けられた。
急いでスマホを拾い直すも、ずっと体が張ったままのような強い違和感がある。さすがに、まずい。そのぐらいは、医療に一切精通していない私でもわかった。
でも、今は仕事中。救急車を呼ぶほどの非常事態ではないし、仕事を中断してまで治療を行わなければいけないなんていう優先性もない。
休憩時間も終わってしまうし、とりあえず軽くSNSのタイムラインを眺めて、仕事へ戻ることにした。
顔も出していない、声も加工だらけ。どこに住んでいるのかも誰も知らない。性別すら明かされていない。
“ネギマ”は、ただのアカウントでしかないのに。
タイムライン上では、確かに"アーティスト"と祀られていた。
おそるおそる、自分のアカウントを見にいくと、再投稿といいねが一気に伸びているのがわかった。知らないアイコン、知らないアカウントたちが、「聴いた」「良かった」「エモい」なんて言葉を残していく。
私にとっては駄作でしかなかった曲が、誰かにとっては忘れられない一曲になるのかもしれない。
そう思うと、心の中が満たされていくのを感じた。
――でも。
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