第4話 古代魔法の世界

 ――こちらの世界に転生してから、3年が経過した。


 俺はクロンシュタット家の訓練場で、クロードと向かい合っていた。昼下がりのゆるい日光が窓から漏れている。


「では、アルバート様。本日の訓練を始めましょう」


 クロードの声には、いつになく張りがある。

 この3年間、クロードは俺に魔法の基礎理論と魔力制御技術を徹底的に叩き込んできた。ずっと魔法の訓練に明け暮れていた自負がある。

 最初は本当にきつかった。

 クロードの要求する水準は、貴族の子弟に求められる標準をはるかに超えていた。圧倒的な知識の量だけではない。精密な魔力の制御という実技も――それらすべてを、妥協ない領域まで。

 いやあ、大変だったな……クロード老人がここまでの熱血教師だとは思わなかった……。

 だが、その成果は確実に現れている。


「スペル『魔法の盾』」


 クロードの言葉と同時、彼の前方に魔力による防壁が生まれる。あれはなかなかの強度で、家の騎士が振るう剣も跳ね除けるほどだ。

 今日は実技試験――

 それほどの防壁に、己の魔力を叩きつける。

 俺は全身に魔力を巡らして、右手を差し出した。体内の魔力回路が熱を帯び、まるで血液が沸騰するかのような感覚が全身を駆け巡る。


「スペル『魔法弾』」


 右の手のひらに青白い魔力が出現した。それを球形に圧縮して、打ち出す。

 青白い光球が空気を切り裂き、凄まじい速度でシールドに激突した。

 ドンッ!

 衝撃が全身を貫いた。足元の石畳が微かに震え、展開したシールドに亀裂が走る。亀裂はあっという間に広がり、その盾をボロボロに打ち砕いた。

 俺の『魔力弾』はシールドとともに対消滅したが、その衝撃は消えない。クロードは悲鳴を上げながら、後方にすっ飛んでいった。


「うぐおおおおおおおおああ!」


「先生!」


 俺は慌ててクロードへと駆け寄る。

 もう70を超える老齢のはずだが、クロードは倒れたまま、元気そうに腕を振って見せた。


「ほほほ、大丈夫ですぞ」


 そう言って、身を起こした。纏っているローブが埃だらけだが、大きな負傷はないらしい。


「……素晴らしい……なんと素晴らしい成長速度! もうこの老骨ではお相手も務まりませぬ!」


 大声で叫ぶ。

 その表情は恍惚とし、ハァハァと荒い息がこぼれ落ちる。

 ……なんだろう、この3年間、感極まるとこういう変な感じになっちゃうんだけど。

 まるで、上等な肉を見つけた肉食獣のような――いや、珍しい魔法書を発見した学者のような、危険な光だ。


「わずか3年! 3年で、この私の60年の研鑽を超えてしまわれるとは!」


 明らかに興奮している。

 鼻息も荒い。

 ……なんというか、ちょっと怖い。


「クロードのおかげだよ」


「なんというお言葉。喜ばしい限りです」


「だけど、もうクロードに俺の魔法を受けてもらうわけにはいかないな」


 相手は老人だ。ちょっとした衝撃で骨折の恐れもある。体を労ってもらわないと。


「そんな悲しい言葉を言わないでいただきたい! 何度でも受け止めましょう!」


「いや、いいよ。危ないから」


「そのような悲しいことを言わないでください! 後生ですから! 何卒、お恵みを!」


「お恵みって何!? 死ぬって!」


「むしろ、アルバート様の魔法で死ぬことこそ本望なのです!」


「どうしてそうなるんだよおおおおお!」


 なんかこう、目を怪しく輝かせる様は、ちょっとしたジャンキーにも思える。クロードどうしちゃったんだろう……厳格な家庭教師だと思っていたのに。歳のせいでちょっと耄碌してきた?

 あまりにもお願いしてくるので、仕方なく一発だけ魔力弾を放った。


「んほおおおおおおおおお!」


 さっきと同じく悲鳴をあげてクロードの老体がすっ飛ぶ。

 本当に大丈夫だろうか……?

 駆け寄ると、クロードは恍惚とした表情で完全に気を失っていた。一瞬、死んでしまったのか? と思って息を確かめてみたが、どうやら呼吸は止まっていない。

 素晴らしい夢を見ているような、満足げな気絶顔に言葉を落とした。


「そんなに弟子の成長を喜んでくれるなら、俺も嬉しいよ」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 クロードとの訓練が終わった後も、俺の1日は慌ただしい。

 大貴族の息子だけあって『お稽古事』は実に多いのだ。多少ではあるが、アルバート君が手を抜きまくっていたり、ストレスの捌け口を求めた気持ちもわからなくはない。

 まあ、俺は全てに全力で当たっているがな。

 何せ、俺の死亡フラグがかかっている。半端なことはできない。

 夜になり、夕食と風呂を終えて自室に戻る。


 ようやく、俺にもぼーっとする時間が訪れる――

 わけではない。


 部屋の片隅に隠しておいた『気象支配の天帝書』を机に置く。

 この本はクロンシュタット家の秘密書庫から持ち出したものだ。

 3年前は全く理解できなかったが、クロードの授業のおかげだろう、2年くらい前からぼんやりと内容が頭に入ってくるようになった。


 以来、毎夜この本を研究している。

 研鑽を積み重ねた今では、書いている理論はあらかた理解できる。

 まさにクロード様々だ。


 古代魔法とは、前文明時代に作り出されたとされている。

 当然、言語も全く違う大昔だ――なのに、なぜ、俺たちの知る言葉で書物に書かれていているのか。


 一応、そこにはゲーム上の設定が存在する。

 古代魔法はそのまま俺たちの時代には伝わらず、何も残されていなかったらしい。だが、『道化師』と名乗る謎の大魔法使いが個人的に古代魔法を収集し、俺たちでもわかる言葉で残したらしい。

 とはいえ、『道化師』と名乗るくらい頭のおかしいやつだ。

 残した魔導書には一癖も二癖もある。

 まずその書物は一見すると、現代魔法の理論書に読める。なので、ここに『古代魔法』に関する複雑な技法が秘められているとは一読しただけでは判別できない。

 だが、何事にも裏がある。

 だが、それらの理屈を丁寧に読み解くと、そこに隠された根源的な魔法の原理が浮かび上がる構造だ。

 ようするに、ただでさえ難解なのに暗号化までされた技術を俺は追っているわけだ。


 もっと簡単に書いてくれ!

 3年の月日を重ねても、いまだに俺は全解明に至らず、まだ古代魔法を手にできていない。


 はたして、学院入学の15歳までにものにできるのだろうか……。

 そのときだった。

 ページをめくり、次の段落に目を通そうとした、その瞬間――


 ――視界が、歪んだ。


 何だ?

 周囲の景色が、ぐにゃりと曲がる。

 疲労の限界で眠気が来たのか、と思ったが。いや、そうではない。意識ははっきりとしている。文字通り、周囲の空間が溶け初めて歪んでいる。

 机も、ベッドも、ランプの光も――すべてが、霧のように薄れていく。

 瞬間、空間が白く染まり――

 代わりに現れたのは、和風建築だった。

 まるで、古式ゆかしい日本家屋という感じの建物を、砂利が美しい庭から見つめている。庭のあちこちに置かれた篝火の音を除けば、いたって静かだ。

 これは、なんだ……?

 夢だろうか?

 いや、この胸のざわつくリアリティはなんだ? 肌にまとわりつく空気の触感まで感じられる。

 縁側の向こう側には障子があり、そこにぼんやりとした灯りと、そこに映し出された人影が見える。

 誰かいるのか……?


 ――ここは、一体どこなんだ?


 俺は、一歩、前に踏み出した。

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