風になったあなたへ
東雲 碧
プロローグ 出会いの春
春の風が、校舎の窓を揺らしていた。
大阪のとある府立高校。
新学期が始まって間もないある日、校内では保護者を交えた親子面談が行われていた。
「ちゃんと話しなさいよ。先生の前で恥ずかしいこと言わないように」
母の声は、いつも通り冷たく、張り詰めていた。
一花は小さく頷いた。
「……わかってる」
制服の袖を整えながら、一花は窓の外に目を向けた。
そのときだった。
校門横の駐輪場に、黒いバイクが滑り込んできた。
エンジン音が静かに止まり、ヘルメットを外した少年が現れた。
制服の襟を少し崩し、髪は少し乱れていた。
その後ろから、もう一人――女性が降りてきた。
「恭平、あんまり飛ばさんといてって言うてるやろ」
「飛ばしてへんし。」
少年はぶっきらぼうに、そう言うと女性からヘルメットを受け取りヘルメットフックに掛けた。
「ほんまに……あんたは昔から自由すぎるわ」
「そっちが育てたんやろ」
「はいはい。わかりました」
母親は、少年の背中を軽く叩いた。
そのやりとりを、一花は教室の窓から見ていた。
なんやろ――
その光景が、胸に残った。
少年の名前は、
母子家庭で育ち、自由奔放な母と二十歳の兄・十五歳の妹と暮らしている。
中学では目立たない存在だったが、今は背もスラッと伸び、どこか影のある雰囲気が、一花の目には強く焼きついた。
面談の順番が回ってくるまで、廊下には保護者と生徒が並んでいた。
一花は母と並んで座っていたが、ふと隣のベンチに目をやると、恭平と母・幸代が座っていた。
幸代は、明るい声で話していた。
「先生に何言われても、あんたはあんたやからな。ちゃんと自分の言葉で話しや」
「わかってる。....別に怒られるようなことしてへん.....」
「そやけど、あんた、口数少ないからな。先生に誤解されんように」
「……まぁ、適当に話すわ」
一花は、その会話を聞きながら、思わず目を向けてしまった。
恭平と目が合った。
一瞬だけだった。
けれど、その目は、どこか静かで、深かった。
一花は、すぐに目を逸らした。
「……なんで、見てもうたんやろ」
自分でもわからなかった。
ただ、何かが引っかかった。
面談は、淡々と進んだ。
一花は、母の隣で静かに話を聞いていた。
「成績は安定しています。進路については、もう少し具体的に考えていきましょう」
担任の言葉に、母は頷いた。
「この子は、真面目だけが取り柄ですから。変な交友関係とか、心配はしてません」
「……はい」
一花は、ただ頷いた。
そのとき、廊下から幸代の声が聞こえた。
「あんた、ところで進路はどう考えてるん?」
「うーん……、働くんもええかな........」
「あほか、大学行くお金の心配やったらいらんで」
「別にそんなんちゃうわ」
「また大きな声で、品のない」
友恵が呟く。
しかし、恭平の声は、一花の耳に響いた。
なんやろ――
その声が、また心に残った。
面談が終わり、校門へ向かう途中。
一花は、母と並んで歩いていた。
その前方に、恭平と幸代がいた。
「うち、バスで帰るわ、バイクは怖いからもうええわ。あんたは?」
「ちょっと.....」
「また寄り道かいな。ほんまに、自由やな」
「.....風、気持ちええし」
一花は、その背中を見つめていた。
「……風、気持ちええか」
その言葉が、なぜか胸に残った。
その日、一花は家に帰ってからも、何度も窓の外を見た。
風が、カーテンを揺らしていた。
「如月くん……」
名前を口にするのは、初めてだった。
それは、ただの第一印象。
けれど、その出会いが、後にすべてを変えることになるとは、誰も思っていなかった。
一花も、恭平も。
あの日の春。
校舎の窓から見たバイクの少年と、風に揺れる桜の下で交わした一瞬の視線。
それが、すべての始まりだった。
そして、風は今も、静かに吹いている。
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