不在の輪郭

はいる/かたつむりの左触覚

第1話

夕暮れの街並みはすべてを嘘のようにしてしまった。

すれ違う人間も、過行く車も、夕日に向かって飛んで行く烏だって。夏の暑さと夕日のその赤さが、視界に映るすべてのものの輪郭を歪ませた。


「今日暑いね」

 

そう言って僕の手を取る隣の人間の顔だって歪んでいて誰だかわからない。

ただ、そこには確かな感触があった。手の温度、形、汗の湿り気。すべてが現実に感じられて、まるで、夢でないのだと告げているかのようだった。

赤になった信号を前に、僕と君は止まる。

僕たちの目の前を通り過ぎていく車たち。その窓に一瞬映る君の姿はやはり歪んでいた。

もう九月にもなるというのに煩い蝉の声。あのときもこんな騒がしい日だったなと思い返す。

君の手以外のすべてが嘘に思える世界で、背中に伝う汗を感じる。


「ねえ、そういえばさ」


青になった信号を横目に、僕は君にそう言った。

隣には誰もいなかった。あの手の温度も、形も、汗の湿り気も、何も感じられなくなっていた。

すれ違う人間も、過行く車も、夕日に向かって飛んで行く烏も、すべてが明瞭に見えた。すべてが本当だった。

嘘だったのは、君だけだった。


 夏の終わりの沈み行く太陽だけが、あの言葉を覚えていた。

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不在の輪郭 はいる/かたつむりの左触覚 @hairutoya

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