コモンセンス
てると
コモンセンス
朝起きて、コーヒーを飲んでいる。
ああ爽やかな秋は動きやすいなあなどと思いながら、エゴイズムがそのまま誰かを愛することになる位相を探している。僕に対して「エゴい」と言ってきた友人への弁明はもうしたく、ない……。弁明は没落である、しかも共倒れである。従う、とは、僕が負けて彼を勝たせることではなく、むしろ彼を没落せしめることでもあったかもしれない、ような……。
「手紙は必ず宛先に届く」、というラカンの言葉がある。それはどうか。ともかく、人間の営みはこんにちでは、全世界の言語を収録したCDを宇宙空間に飛ばしもしている。宛はない、ただ、よし、何者かに<届く>かもしれない、ということだ。だからやらない、ということではなく。
或いは、「予算は無限ではない」などと言っている<リアリスト>は、埒も明かない村の幻想に拘束されていて、微塵もリアルを見ていないものであろう。割とはっきりしたことを言うと、ただ愚痴を吐くだけの政治漫談と、それをまに受けた口出し癖ならば、後者のほうがよりタチが悪い始末である。ええ、別に人さまのゆえにタチが悪いんじゃなく、だんだんと収集がつかなくなってくる。
秋の風が朝に吹くと、その頬と腕との冷気とともに、身体の内側に心地良さが生じる。これだ、これこそが生命だったのだ、息吹きだったのだ。だから、ソフィストの相対主義もカリクレスの強者善人論もどこかおかしい、どこがおかしいと論証すれば、それはあの横隔膜に湧き上がる対抗心からの弁明になって、結局彼未満、というのがオチであろう。違う。ソフィスト、つまり知識人の言い分には、言葉の相対主義はあっても、ナツメヤシを食べたときの鼻腔の脳天に突き抜ける感じが欠落している。それはやっぱり、経験ではなく、知を愛するでもなく、我高しとする知識人の物言いである。
……どこで会えるかって?認知の地平と行為の地平があるとする。まあわからないなりにそれとして受けながら聴きたまえ。善悪の知識で、人は罪と恥を知るだろう。生命の知恵は、いぜん彼には暗闇である。しかし、進み行く道はその暗闇のほうであろう。空腹がわからないことはなかなかに大変なことではあるが、しかしやはり彼は空腹であるように進み行く。そして、遅れをとってそれを満たす。しかし、遅れがなんであろう。彼はたんに彼として生きているだけである。そして満たされる。
と、まあそういうことを言いはしても、今は我高しのソフィストに会う方法だった。それはそれとして、僕に対して心があるならば、もう少し聴いてくれ。
認知と行為があるならば、そこでは「仮象か現実か」ということが問題になるのだろうか?むしろ、認知における仮象と現実は、行為においては全て仮象そのものではないのか?しかし僕たちは、仮象を裁かないだろう。なぜなら、仮象はヒントの古本市だからである。
はい、古本市。さて、ここにAさんとBさんがいたとしよう。Aさん、詩集と画集を買いました。それを味わうのでしょう。Bさん、社会論を買いました。……さて、その本を開くとき、どちらの経験のほうが仮象なのか。そして、これでどうすればソフィストに会えるのかは、少しおわかりのことであろう。とはいえ、決して僕は社会論を裁いていない。なんでも手掛かりにはなるからな。
他人に適応しようとして嘘をつくことは、そのまま自分に嘘をつき続けることになるということを、実感した経験はないか?そして、それが結局、他人のためを思ってのことであっても、自分を滅ぼし、他人をもますます悪化させた経験は?それでもなお、自分の部屋でさえ自分を偽り続けるというのは……。
読んだところ、書いたところ、作ったところ、そうであるところの彼方に、世界への開かれ方もあるだろう。ということは、実際にそれを試してみたところ、社会論に適性があった人は、それが喜びでもあり、人のためでもあるわけだ。しかし、自分を偽る人は、たいてい最後は三流弁論屋になるだろうという勘はある。ここでは、あの仮象の全体論が効いている。まず全体があるという話はどう考えても仮象なのは、縄文の昔に人が分散し交易をしていた頃から変わらないと思うのだが、どういうわけか、仮象の全体と現実の経験があったとき、仮象のほうに真実味を覚える人がそれなりにいる。そうすると、彼は仮象の全体の中に自分を位置づけるように自分を置こうとするのだろう。
コモンセンス、つまり常識、とは、狭い貴族社会の社交のローカルルール程度の意味でしかないのかもしれない。要するに「トランプのルール」である。
野球部の評判は悪いが、そんななかでも重宝され、やがて上達していく人は、プレイの上達のために、全体の中に自分を配置して全体への適合ばかりで動くだろうか。むしろ、大半の時間を、自分の練習に費やすのではないか。そしてそれが彼の喜びでもあろう。本当に苦しい努力感は、続きようがないからな。
ところで僕は以前、進歩史観というものを微塵も信じていなかったので、内田樹という評論家の、歴史は<いま・ここ>には向かっていないとか何とかの文章に目を開かされたこともあったし、内山節という田舎哲学者の歴史物語論で、彼がヘーゲル流の歴史観を批判していたとき、情緒的に馴染んでいたものだ。その頃だったと思うが、Apple社のロゴのマークや、土器や植物の螺旋性にも興味を示していた。そうして、父に買ってもらえるかもしれなかったスマートフォンを拒否したことがある。そうなのだ、「スマホを持つのが遅かった」、という不平不満、それを自ら望んだのは誰だったのか?僕だったんじゃないかなぁ……、とかなんとか思ったりもするけれど、最近は自分の意志というものを以前のようなかたちでは信じていない。かといって、奴隷意志論でも不自由意志でもなく、そんな言葉に一対一対応するような身体は、もう探していない。無我と空との季節に彼岸花は咲いていたが、すぐに枯れて、セロトニン不足の冬が来ました。認識の冬、あの暖炉部屋のそのまた自己意識に篭もる篭もるで十年が経過し、やっと行為と形成まで来たのだ。見ることやそれで感じることは、行為によって繰り返し形成されるから、その場にいるままでも。
それでどうだという話だが、冬の前に読んだ著者たち、内田樹は武道を持っている、内山節は田舎で暮らしている。そうすると、彼らの歴史観批判は、認知から出たものではなく、身体の経験から出たものではないかと思われる。というのは、歴史が進歩しているというイメージは、どう考えても個体のこの身体や経験の上達感とはかけ離れているからである。
もっと言うと、歴史観批判、とは言っても、そもそもそれ以前の時代の大半の人には、こんにちの歴史記述のようなイメージに支配された意味での「歴史」は、存在しなかったであろう。ウニョウニョと学ばなければならなかったのであって、因果律の歴史を学ぶべきではなかったのだ。
子供の頃に僕はままごとができなかった。しかしお茶会での振る舞いはお上手だった。言葉に閉じ込める=閉じこもるのではなく、ままごとが事の真相に近く、形式ばったスノッブの真面目さは、ほとんど誰もそうしていない、ということが、最近になってわかってきたところだが、言葉では足りないところである。少なくとも、運転が上手なやつや、料理が上手なやつは、まさかマニュアルやレシピ通りにしてきたのではなくて、アレンジメントのなかで手で考えながら動き続けたんだから……。(そういう人たちの行為まで馬鹿にしないほうがいい。)
だから、求めよ、探せ、叩け、行え、自分のために、つまり人のために、盲人に道案内を頼むな、少し安心したところで後が続かない。
学校の真面目さは「慇懃さ」であり、教育の大半は責任というよりも責任逃れである。後から来る人にだけ、これを贈る。
コモンセンス てると @aichi_the_east
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