四ノ宮蒼汰の自己紹介

「まったく……相っ変わらず、建付けの悪いドアねっ!」




 ……呆れ。唖然。そこに小匙1/8程度の戦慄。



 一度開かないと見るや否や、古ぼけた木製のドアに容赦なく蹴りを入れて、壁から一瞬で金具ごと引き剥がしたこの姉を――――ぼくは、双子の弟として、叱ってやるのが本来だっただろう。野蛮で短慮で真摯で一途、換言すればある種の傲慢を包含するこの愚姉を、捕まえてぶん殴って座らせて、懇々と説教をするのがぼくの役目だ。不本意だけど。



 が、ずかずかと伏した扉の残骸を踏みつけて入室し。



 ぼくの青より目立つ赤髪を、見せびらかすように振り翳す不肖の姉は、四ノ宮紅実は。



 相変わらず、狭苦しいのに閑散とした、演劇部の部室、その会議スペースで大仰に胸を張った。




「ちょっと開けようとしただけなのに、壊れちゃったじゃない! 部室のメンテナンスすらできていないなんて……一体どうなってんのよっ!? 甘茶パイセ――」



「――――っ、ぐ、紅実、ちゃん……っ!? それに、蒼汰ちゃんも……っ!?」



「…………」




 ……前言、撤回。扉を避けて壁沿いに、そそくさ歩いていたから遅れたけど。



 小文字のqみたいな形をした会議スペースには、奥の方に、人がいた。体温があった。寒々しいと評するには無理のある人数が、テーブルを囲んでいた。




 手前から、ぼくたち……というか、お姉ちゃんの進撃に肩を落としている、十六夜先輩。



 その横には、座高だけでも相当に上背のある、知らない黒髪の女の子がいて。



 向かい側には、相変わらず眼元を泣き腫らしている演劇部部長、九重甘茶先輩が。




 ……でも。なんだか。




「……――――」




 先週、ぼくたちがここを訪れた時と、幾分違う。



 あの時も泣いていて、ぼろぼろと涙を零していたけれど……言うなればもっと暗くって、黒くって、飢えていて重々しくて、心配よりも忌避の方が勝つような顔色だったけど。



 今は、驚きの中にも希望が、光が、明るさが垣間見えるような、そんな目をしていて。




「もっ、もしかして――」



「パイセンあんたぁっ!! まぁた性懲りもなくべそべそ泣き喚いてたのっ!? いい加減にしなさいよ背丈はともかく年齢は成人一歩手前でしょうがっ!!」



「ふぇっ、あっ、ちょっ――」




 ……まぁ、そんな繊細な差異がさ。



 ゴーイングマイウェイが服を着て歩いているようなお姉ちゃんに、見分けられるはずもなくて。




「稽古場の奥にメイク室あったわよねっ!? こいつごと借りるわよっ! 紫苑パイセンっ! なんか文句あるっ!? ないわよねっ! そんじゃっ!!」



「あちょっ、へっ、あぁっ――」




 ……ずかずか近付いた瞬間にはもう、胸倉掴んで椅子から引き摺り下ろして。



 稽古場の方へと九重先輩を拉致してしまったお姉ちゃんは――――メイク室の扉すら荒々しく閉じることで、ようやく静寂を齎してくれた。




 ……母さんの腹の中で、ぼくの分の熱量まで喰い尽くしてたんじゃなかろうか、あの姉。



 或いは、嵐とか台風とかが徳を積んで人間に転生したんじゃ……





「――――時に、双子は同じ生育環境に置かれた場合とそうでない場合、前者の方がより似なくなるらしいな、四ノ宮蒼汰」




 と。



 盛大な溜息を頭上めがけて吐き出しながら、十六夜先輩が、ぼくに背を向けたまま言ってきた。




「アメリカで養子に出された双子の追跡研究が20世紀中盤に行われ、明らかになった事実だ。双子という分かりやすい比較対象が傍にいることで、常日頃から他人からの批評を受け続けるがために、より差異をつけようと、互いに似ないよう無意識下の努力が行われるらしい。――――さて、先日の来訪でもそうだったが、まったく、貴様の姉は暴風雨が如し、だな」



「……お褒めいただき、恐悦至極ですよ。十六夜先輩」




 倒れた扉を持ち上げる。中身が詰まっているのか不安になるくらいに軽いし、半ば千切れている金具がちゃんと役目を為せるのかも不安だ。取り敢えず、ぽっかり空いた長方形の穴を塞ぐよう立てかけて、棚と書き割りの間を縫っていく。



 さっきまで、九重先輩が座っていた席。


 は、お姉ちゃんの蛮行によって倒れてしまっていたので、それを直すついでに、ぼくはその隣、十六夜先輩の正面の席に座った。




「来る度にうちの姉がすいません、本当」



「はっ、なぁに構わないさ。丁度私も、あの赤ら顔はいい加減見苦しいと思っていたところだ。雨降って地固まるのならば、暴風警報も致し方なし、だ」



「……前回なら礼儀知らずで済みましたけど、今回はそうもいかないでしょう……」




 本当なら。想定なら。



 肩を落とすまでは変わらないけど、ぼくはもう少し笑えているはずだった。十六夜先輩の、九重先輩に対する遠慮のなさ。皮肉屋で迂遠で分かりにくい、如何にも作家然としたこの人の、唯一分かりやすい点。その変わらなさに胸を撫で下ろし、安堵の笑みを浮かべられていただろう。



 けど、お姉ちゃんの無礼千万を、蛮行を、コンキスタドールも恐れ戦く横暴を。




 ――――よりによって、初対面のこんな娘に、まざまざ見せつけたのは、失敗だった。もっと早く勘付いて、止めるべきだった。九重先輩の表情から察するべきだった。




「……………………!?」




 きょろきょろ、きょろきょろきょろきょろ。



 十六夜先輩と、稽古場の方、そしてぼくとに目まぐるしく視線を輪廻させながら、黒髪のポニテジャージ女子は、眼鏡の奥でどんどんと瞳を潤ませていた。



 ……怯えている? 怖がっている? ……どうにも、そんな風に見える。そんな風に見られている、ように見える。変なの。おかしいな。




 そんなこと、する必要もないだろうに。




「えっと……新しい、部員の方ですか? すみません、うちの姉が蛮族で」




 ――――けどまぁ、実際問題怯えさせてしまったのなら、それはあのバカ姉の責任だ。



 お姉ちゃんはアップデートが済んでいないので、『謝る』コマンドの実装が遅れている。代わりに頭を下げる役目は、昔っからなので慣れている。



 ……むしろ、謝られて頭を下げられた側の黒髪女子の方が、この状況に慣れていないようだった。




「後で、本人にも土下座……もとい、謝らせますんで――――あ、の?」



「っ……、ぁ、ぅ、ぁ……ぃ、ぇ……し、紫苑、さん……!」



「視線が鬱陶しい。少しは現状をあるがままに受け容れろ、一久呂恵」



「ぁうっ……うぅぅ……」




 おどおどと、肩でも掴みたそうに伸ばされた両手を躱して、十六夜先輩は黒髪女子の額に指を打ちつけた。器用なデコピンだ、上下逆さまに撃てるだなんて。




 にのまえ、久呂恵……それが、この人の名前か。……わざわざ『さん』付けってことは、十六夜先輩の後輩、つまりはぼくたちと同級生か。へぇ……それは、ますます。




 不思議。不可解。




 ……特段赤くなってる訳でもない額を押さえるにのまえさんに、十六夜先輩は溜息を重ねた。




「確かに姉の四ノ宮紅実はエキセントリックが自我を得て自立行動しているような奇人の類だが、弟、四ノ宮蒼汰は真っ当な常識人だ。恰好と特技以外はな。姉の四ノ宮紅実が貴様を怯えさせたことを、弟として謝罪しているに過ぎない。故に、貴様が気に病む必要も遠慮する必然も、動揺してやる義理すらない。……分かったらまじまじと顔を見ておけ。場合によっては長い付き合いになるのだからな」



「…………、へっ……お、とうと……? え、で、も……あ、れ……? ……!?」



「……そこまでお褒めいただけると却って怖いですよ、十六夜先輩。――――さて、にのまえさん、でいいんだよね? 改めまして、四ノ宮蒼汰、だよ。……あぁ、恰好はただの趣味だから、気にしないでいいよ。昔――」




 右見て前見て右見て眼を剥いて……忙しい娘だ。ここまで混乱しているのを見ると、ちょっと楽しくなってしまう。……双子キャラが悪戯好きだなんて、手垢のつき過ぎた古臭いテンプレだけど。




 



 興味が湧いちゃうのだから、仕方ないじゃんか。




「――『せっかく双子なんだからさ! 髪の色は仕方なくたって、それ以外は全部そっくりでいた方が面白いと思わないっ!?』――――って、お姉ちゃんに言われてね」


 それ以来、意図的に似せるようにしているんだ。


 まさか、お姉ちゃんまでぼくにそっくりの体型になるとは思わなかったけど。




 ――――そんな風にぼくは、で唱えてみせた。



『四ノ宮蒼汰』の声じゃなくて。


『四ノ宮紅実』の声で――――案の定、いや、もっと露骨に劇的に。




 にのまえさんは、メデューサに睨まれたかの如く固まってしまって……くつくつと堪え切れず笑うぼくを、十六夜先輩は酷く邪悪な顔で見つめてきた。




 あー、面白っ。




「ふっ、はははっ。ご自慢の声帯模写か、声音だけでなく口調のトレースまで完璧ときている。姉よりよほど演者向き……声優業界では引く手数多じゃないか? 四ノ宮蒼汰」



「『……便?』」



「っ……今、の……――」




 ん? 九重先輩は『さん』じゃなくて『ちゃん』付け?



 距離感が独特な娘なのかな? でもそれにしては……いや、今はまだ、ぼくのターンか。




 これが、ぼくの特技。ぼくの、自己紹介。




「『一度聴いた声ならば、寸分違わず模倣できる。ただし……慣れた近親者である姉の四ノ宮紅実ならともかく、赤の他人となると難易度は桁違いだ。相応の集中力を要する故、声を発している間、私は一歩たりとも動くことができない』――――『』」



「っ……!?」




 滑らかに、シーソーみたいに切り替える。


『十六夜紫苑の声』からコンマ5秒の間を置いて、『一久呂恵』の声へと。



 っふふ、身を乗り出すほどに驚いてくれると、頑張った甲斐もある。……だから。



 これが終われば、次は、あなたのターンだよ? にのまえさん。




「『え、演劇……特、に、演者、なんかは……向いて、いない、の……』――――まぁ、ぼくはその程度の、ちょっとしたビックリ人間だよ。で?」



「……? ……で、って……?」



「? いや、だってにのまえさん、あなたそんなに――」




 ……ちぐはぐな娘だ。第一印象の着地点は、そんな中途半端を余儀なくされた。



 お姉ちゃんなら演技。ぼくなら声真似。十六夜先輩なら執筆。九重先輩なら可愛げ。



 自己紹介っていうのは即ち、『できること』の羅列だ。今までお姉ちゃんと共に回った7つの部活でも、みんなそうだった。『真剣に物事へは取り組めない』と、『できない』ことができるのだと、言葉ではなく行動で語ってくれた。自己紹介を、してくれていた。




 なのに、一久呂恵は。



 幾重にも殻を被って、覗き込まれるのを拒むように矛先を逸らしてくる。なにができるのか、なにができないのか、それすら判然としない。得られる情報量が少な過ぎる。



 だから、ちぐはぐだと思った。



 少し身を乗り出しただけで、テーブルを跨いでぼくへ肉薄するほどの、。身体的な特徴は才能でも努力でもどうにもならない、遺伝子に決められた先天性のアドバンテージだ。それは十分に、



 スポーツでも、周囲からの持て囃されでも、高い所の失せ物探しでもいい。



 ぼくたちみたいな低身長が決して持ち得ないものを持っているのに、どうしてこの娘は、それを誇らない? ひた隠しにするように、猫背で目を逸らす?



 どうしてこうも、びくびくとおどおどと、自信なさげに、震えているのだろう――








「――――で? 此度の来訪はなにが目的だい? 四ノ宮姉弟」







「っ……、――――お察しの通り、だと思いますよ。十六夜先輩」




 ……心臓が、痛い。冷や汗なんて何年振りだろうか。徒に速い心拍を、胸元の緩い女子用制服で誤魔化しながら、ぼくはうっかりお姉ちゃんの声へと上擦らないように喉元を引き締めた。




 ――――意外過ぎて、突拍子がなさ過ぎて、俄かには信じられなかった。




 多分……ぼくの思考は、ぼくの疑問は、にのまえさんにとっても十六夜先輩にとっても、タブーに類するものなのだろう。それはいい。紹介できる自己特技に乏しい人だっている。だから、問題はそこじゃない。




 、十六夜紫苑先輩が。



 九重先輩以外の人を、庇った。気遣った。




 ……短い付き合い、否、接触程度でだって分かる。この人の、お姉ちゃんとはベクトルの違う傲岸不遜具合は。



 他人のことなど知ったこっちゃないはずのこの人が、手ずから守るなんて……どういう風の吹き回しだろう。なにか……一さんにシンパシーでも感じたのだろうか。




 それを、感じさせるような娘なのだろうか、一久呂恵は。




 ……ますます気になるのだけど。――――まぁ、今はいいか。



 どうせ、時間はたっぷりある。そのことがこの娘のお陰で、確定したのだから。




「先週お邪魔した後、お姉ちゃんといくつか部活を回ったんですけど、どうやらお気に召さなかったようで……だから結局、元鞘が一番だね、って話になりまして。出戻りみたいで申し訳ないんですが…………これ、受け取ってもらえますか?」



「無論だ」




 ポケットから取り出した、4つに畳んだ2枚の入部届を。



 紫苑先輩は歯を剥いて眼を尖らせながら、引っ手繰るようにして広げた。




「……記入漏れはないな。はっ、地獄に仏、渡りに船とは正にこのことだな。一久呂恵が入部を決めてくれたはいいが、不足分の2名の当てがなかったところだ。丁度、貴様らの話をしていたところだよ。噂をすればなんとやら、だ」



「あははっ、ぼくたちとしても助かりましたよ。ぼくたちも残りのひとりの当て、全然ありませんでしたから。……ところで、にのまえさん」



「っ! ……ぇ、ぁ……は、はぃ……なん、でしょう……?」




 うーん、やっぱり怯えられているなぁ。ぼくみたいなチビ、簡単に組み伏せられるだろうに。なにをそんなに怖がっているのやら。



 まぁ、これで演劇部存続の危機、最低人数を割っていた状況は打破できたのだし。



 腰を据えて話す機会なんて、いくらでもあるだろう。……この様子じゃこの娘も、ぼくと同じ裏方要員だろうし。




「畏まんなくていいよ、同級生なんだし。……で、にのまえさんはなんで演劇部に入るって決めたの? ぼくはお姉ちゃんについてきたからで、そのお姉ちゃんは将来俳優になりたいからって理由だけど…………あぁ、別にこれ、尋問とかじゃないからね? ただの興味本位――」




 と、なにに対する言い訳かも判然としない言葉が、つい口を衝いて出てしまったのも、束の間。





 ――――破裂音みたいな、背筋を震わせずにいられない音が、劈いて。








「っしゃぁっできたわよパイセンっ!! さぁほら狭っ苦しいランウェイへいざ出発ぅっ!!」






 ……空っぽの稽古場で幾重にも反響し、サラウンドに轟いたお姉ちゃんの声は。



 きっと首根っこ掴まれて引き摺られているだろう九重先輩の、ささやかな悲鳴なんて、簡単に掻き消してしまっているのだろう。

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