第17話

 雪降る真夜中。

 シスターは一人、学術書に目を落としていた。


 ここは、森の手前にある教会。

 古びたこの聖なる領域には、墓守代りの修道女が一人住んでいるだけだった。

 やってくるのは、葬儀の日にだけ戻ってくる生臭坊主と、棺桶に入った死体。

 そして葬儀の参参列者たちばかり。

 稀に信心深い教徒がステンドグラスを拝みにくるが、それ以外は暇なのである。

 皆、近くにできた新しい教会に向かい、古ぼけたこの場所の門を叩くことはない。


 それでも修道女はよかった。

 掃除と祈り、必要なことを最低限やっておけば、あとは自分の好きなことーー勉強に没頭できるからだ。

 神父を生臭と称して揶揄っているものの、当の彼女も聖なる場所に使える女性のイメージとは程遠い、貪欲な女なのである。


「……、ふぁあ」


 あくびを一つ、揺れるランプに向けた。

 ふと時計を見ると時刻は11時を回った頃。

 流石に勉強に手をつけすぎた。

 そろそろ寝なければ、明日の葬儀に間に合わないだろう。

 修道女が伸びをし、席を立った。瞬間、ドンドンと木板を叩く音がした。


「うわ、こんな時間に誰だよ」


 悪態をつきながら音のする方、玄関へと歩っていく。

 覗き穴に目を当てると、そこに立っていたのは青年だった。

 年は二〇代半ばほど。

 夜闇と雪のせいか、その表情はやけに青白い。

 幽霊と言われても、納得してしまうほどに。


「……あー、はいはい。

 ちょっと待ってな!」


 大方、道に迷ったか急な助けを求める類いだろう。

 協会としては放っておく訳にはいかない。

 扉越しに声をかけると、外から「構いません、このままで」と短くいうと、手持ちのバスケットを床に置き立ち去っていった。


「おい、ちょっと待ちなよ! おい! くそ、こんな時に限って……」


 悴む手では錠を開けるのすら一苦労だった。

 数分後、やっとのことで吹き込んだ冬の風。

 男の姿はもうすでになく、残されたバスケットだけが、雪にさらされていた。


「クソほど嫌な予感がする……」


 修道女は舌打ちしながら、恐る恐るバスケットの中身を確認した。


 そこにあったのは、いたのは。赤ん坊。


「かぁーっ!」


 目元を抑え天を仰ぐ修道女は、うめき声を上げながらいそいそとバスケットを教会の中へ運びこむ。


「クソが! こんな雪の中!

 墓地管理所みたいな教会に!

 赤ん坊を持って来んなよ!」


 もっといい場所があっただろう。

 ブツブツと文句を言いながら、机の上にバスケットを置くと、その衝撃で目を覚ましたのだろう。赤子が鳴き声を上げる。


「あー、ごめんごめん。

 私が悪かった。

 私が、ええと、泣くな泣くな。

 抱き方は……その、頭固定して、ほら……よしよし」


 人の脈を感じたのだろう。

 赤子はすんと泣き止み、再び寝息を立てはじめた。


「素直な子だなーよしよし。

 あのクソ坊主早く帰ってこい……未亡人漁りしてる場合じゃないぞ、全く……ん?」


 修道女はバスケットに封筒が忍ばされているのを見つける。

 折って糊をつけただけの歪なそれの中には、走り書きが一枚。


 突然の来訪、誠に失礼しました。

 分け合ってこの子を育てられなくなりました。

 親のせいで不自由な暮らしをさせるわけにはいきません。

 どうか、預かってくださいませんか。


 名を『フランチェスカ』と言います。


「……『自由』、ね。

 まぁ、こんなご時世だ。

 そういうこともあるだろうよ」


 納得いかないまでも飲み込むと、修道女は便箋の裏側に


 追伸:彼女は魔力を持たぬ可能性が極めて高いです。


「……ほう、魔力がない。

 ほう……ほう?」


 理解した瞬間硬直した。

 魔力がない、魔力がない。

 遠回しであるがこの言葉の意味はわかる。わかってしまう。


 ポカンと呆けていた修道女は、みるみるうちに顔を赤と青、交互に変えながら天を仰いだ。


「ウッソだろオイ!」


 聖域にふさわしくない絶叫は、高い天井に響き渡り、またもや赤子の悲鳴を起こすことになるのだった。


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