第15話


 それは雪の夜。もう直ぐあの夕暮れから十ヶ月ガタ等とした夜のこと。

 ハイノが産気づき、嘔吐を繰り返すようになった。

 理論上は予定より少し早い。

 そのことに焦っているのだろう。

 ハイノは普段は店にような焦燥の面持ちを浮かべていた。


「医者を呼びますか」


 確認程度にローデリヒが訪ねると、当然のごとく彼は首を横に振った。


「いらない」


「では産婆は」


「男の出産に立ち会った産婆などいないだろう。

 一人で産む」


 喉に冷や汗を滑らせながら、途切れ途切れに彼は言う。


 まさか、全てを独り占めにする気ではないだろうか。

 悶々とした被害妄想が、ローデリヒの脳をじりじりと焦がした。


「手伝わなくていいんですか」


「ああ。

 一人で産む。

 元から、最初から。

 そう決めていたんだ」


 単独での出産は、危険性が高い。

 女性であっても産婆を呼び、取り上げてもらうのが常である。

 しかも男性の骨格は出産には適していない。

 相当の難産になることは間違い無いだろう。最悪の場合は、


「しにますよ」


 ぼそりと、ローデリヒが呟く。

 瞬間、自分が何を口にしたのかを理解した。

 この男、そして胎児の死。今案で望んで居た事ではないか。

 何度も失敗した仮定の未来ではないか。

 これは好機だ。

 この男を見殺しにする、絶好の好機だ。


 出産最中に死んでくれたら、どれほどみたされることだろう。なぁ、なあ!


 今まで何度も殺害計画を立てたくせに、ローデリヒは小さくため息をついた。


「……では、必要なものだけ用意してきます」


「わかるのか、君は」


「祖母が産婆でした。

 悪性になる前は『自分の子をとりあげられるようになれ』と基礎は仕込まれています」


 実際に取り上げたことはありませんが。

 そう付け加えると、ハイノは疲れた表情で嗤った。


「はははっ。

 何とも奇怪な真栗合わせだな……用意だけ頼む。

 悪かったな。

 お婆さまの願いを叶えてやれなくて。」


 ハイノは笑う。

 憎たらしく。


 ローデリヒは彼に背を向けると、準備をしてきますとその場を立ち去った。

 いやに哀愁の漂う背を見つめ、ハイノはため息をついた。


「……どうやら、君は父親に望まれぬ子供らしいな。

 おっと」


 どん、と内側から腹を蹴る音がする。


「ははは、元気だな。

 ほぼ同じ遺伝子とはいえ、他人の胎でよく育ってくれた」


 ベッドに横たわり、ハイノは天井を仰ぐ。


「大丈夫だ。

 僕の読みが正しければ、君が死ぬことはないさ。

 まぁ、無事に生まれてきてくれたのならの話だけどね……う、ぁあ……っ」


 凄まじい嘔吐感に胃を押され、胃液だけとなった吐瀉物を盥に空ける。

 べちゃりべちゃりとした汚い水音と、荒い呼吸。


「頑張ろうね。

 生きて、生きて生まれてきてくれよ」


 懇願のようなうめき声が、ストーブの熱く揺れる部屋に落ちた。


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