第11話


「な、」


「以前こっそり君の遺伝子を調べさせてもらってね。

 素晴らしい結果を叩き出してくれたよ」


「こんなもの、いつの間に」


 ハイノはニヤリと微笑み、「ここは僕の研究所だ。隠し事ができるとは思うなよ」と目を細める。


「き、気色悪い……!」


「なんとでも言うがいいさ! 僕は僕の研究のためならどんな禁忌だって犯す。

 助手のプライバシーだって堂々と侵害してみせるさ。

 あぁ、あれは特に隠している様子もなかったから、公然の秘密と言うべきだな。

 ああ、あの姉は僕より愚鈍だったが、世間には聡明に移るからな。それに」


 ハイノは腹を撫で、短く言った。


「僕だって、姉の死を悼んでいないわけじゃない」


「な、」


「研究の方針について対立していたがね。

 何が『女を胎盤として見るな』だ。

 僕にとっては、僕以外の人間なんて全員家畜にしか見えないがな」


 その表情から垣間見える嫌悪は、彼と言う人間の根源からくるもので間違いない。


「それに、だ。君としても好都合じゃないか? 

 思いを寄せた女の子宮に自らの精を注げると言うのは。

 負担するのは僕だが、文学上は、ヘレネ・ヴァイスコップとの子供だ。安心しろ。

 良かれと思って女性器も作ってみたんだ。これな、維持が大変なんだ、維持が」


 ため息をついて戯けるハイノだが、注がれる禍々しい視線に僅かに口をとがらせた。


「話が逸れてしまったね。

 さて、答えを聞かせてくれ、ローデリヒ。僕たちで子供を作ってみないか」


「お断りします……!」


 そう言ってローデリヒは踵を返し、部屋を出ていってしまった。

 その背を棒線と見つめていたハイノは、呆れたようにため息をつく。


「まぁ、今はそうか」


「そのうち、欲が勝るさ。

 人間とはそういうものだ」


 唇を噛み締め、ローデリヒは部屋を飛び出した。


「少し、早かったか。

 いや、想定なら……」


 ぶつぶつと小言を呟きながら、首を傾げるハイノ。

 その姿に、ほんの爪の先ほども悪びれる様子はなかった。


 一方的、部屋に飛び込んだローデリヒは力一杯扉を閉め、開かぬようにつっかえを立てた。


 気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い!


 ベッドに伏せるローデリヒは、怒りと混乱のまま枕を叩く。


 何が研究だ!  あれはヘレネの尊厳を陵辱しているにすぎない。

 あの男は悪魔だ。

 狂っている。

 彼の行為そのものにも嫌悪を覚えたが、さらに嫌悪を覚えたのは。


 ローデリヒ。

 自分自身だった。


 あの時、思ってしまったのだ。

 自分とヘレネの間に子供ができるとしたら。

 彼女の遺伝子をこの世に、いいや、彼女と自らのそれを混ぜ合わせた存在を作ることができたのなら。

 これ以上の財産は無いやもしれない、と。


 ……ああ、なんて浅ましい。


 夢見てしまった。

 幼い子供と共に、亡き母の思い出を語る日々を。

 共に墓に美酒を添える休日を。思い浮かべてしまった。欲してしまった。


 叶わぬことは知っている。

 愚かなことだともわかっている。

 だがカヌレの中にある僅かな未練は、欲を掻き立て、その先の未来をみようとしてしまった。


「最低だ、俺は……最低だ」


 沼のような自己嫌悪の中、こちらの部屋に向かう足音を感じる。

 十中八九ハイノであろう。彼はガタガタと開かぬ扉を揺らし、ため息をついた。


「ロー……デリヒ……」


 扉の向こうで、かすかな声が聞こえる。ハイノだ。何か様子がおかしい。


 ローデリヒは慌ててドアノブに手をかけた。


「ッ、どうしたんですか」


 扉の向こうでは、真っ青な顔をしたハイノがいた。


「いつもの、ですか」


「……ああ。医者を呼んでく、れ」


 そう言って崩れ落ちる。

 ローデリヒはその体を支えた。


 柔らかい。身体中の構造が変わってきているせいだろう。

 ハイノの筋肉は男のそれとは違う柔らかいものになっていた

 それだけではない。彼のうなじが、横顔が、僅かに空いた唇の形が、懐かしく愛おしいあの人を彷彿とさせた。

 よく似たような双子であるから、見違えるのも無理もない。そう、無理もないと言い聞かせる。


「ひとまず部屋に戻りますから。失礼します」


 そう言って、ローデリヒはハイノを抱え上げた。

 ひょいと軽々持ち上げられたせいだろう。

 姉とよく似た深い瞳は、皿のように丸くなる。


「なんですか」


「君、そんな体力があったんだな。

 科学者のくせに」


「普段誰が家具移動していると思っているんですか。

 とにかく安静にして下さい」


「……ふぅん。わかったよ」


 階段を降りる、重い足音。

 二人に会話はないながら、その沈黙は確かに何かを物語っていたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る