第5話
茜色に染まる街。
同じ方向に伸びる二つの影は、隣り合い、穏やかな街ゆく音に身を預けていた。
ヘレネとローデリヒは腕いっぱいの荷物を抱え。
「随分とたくさん買ってしまったわ。
あなたが居て助かった」
「いいえ、俺にできるのはこの程度、ですから。
おっと」
よそ見をしたし絵だろう
ローデリヒは体勢を崩し、果物を一つ落としてしまう。
すみません、としょぼくれた言葉ののち、落ちた果実を手に取ったヘレネは、肩をすくめて言った。
「やっぱり大変よね。
このまま歩くのは流石の貴方もくたびれてしまうわ。
帰りは辻馬車を使いましょう」
「いいんですか?」
週に一度とはいえ、今日は予定以上に買い込んでしまった。
これ以上金を使うのは、家計の管理に携わるローデリヒとしては避けたいものがある。
「何かしら、腑に落ちないって顔ね。
今日だけ。今日だけ、ね?」
首を傾げ、甘えるような微笑みに、思わず承諾してしまった。
ああ、俺はとことん彼女に甘い。
いや、構わないだろう。
毎日弟の無茶振りに付き合わされているんだ。
彼女にくらい、癒されても。
研究所から数キロ離れた小さな町。
ここが、研究所に住まう彼らにとって、定番の買い出し場所であった。
小さな小さな、商店街。
それでも都会から交通の便のいいこの町には、十分すぎる生活用品が揃っている。
石畳の上を歩きながら、二人はぽつりぽつりと談笑する。
「あと買わなきゃいけないのは……メインディッシュの食材ね。
今日はどうしましょう。せっかくだし、新鮮な食べ物を使って料理をしましょうか」
「いいですね。
でしたら少し大きめの肉を買いましょう。
角の店が、品揃えがいいと聞きましたよ」
ローデリヒが十字路の端にぶら下がる、可愛らしい骨付き肉の看板を指差した。
ついこの前できたばかりの、評判がいい肉屋が曲がって直ぐにある。
「行きましょう、ヘレネさ、」
呼び、振り返った。その時だった。
重々しい音、金属の嘶き。
そして、重々しい肉の潰れる音。
「は……?」
ローデリヒの頬の隙間を、何かが風を纏い過ぎ去った。
一瞬、それが何か分からなかった。
だが、仄かに香る甘い香水に、脳が反射的に解を出す。
ヘレネだ。
ヘレネが吹き飛んだ。
いや、吹き飛ばされた。
何に、何に。
助けることも脳になく、ローデリヒは、彼女に危害を加えた存在の方へ視線を向ける。
機械馬であった。
機械馬は本来、暴れることなどない。
もちろん、意思なき機械だからだ。
人間の魔力に反応して、その指示通りに動く。
感情が芽生えるなど、あるはずがない。
こんな、どうして。暴れて。
何故。
混乱しきったローデリヒだったが、その思考回路は嫌に透き通っていた。
同時に、血の気が引く。
まるで、魂が体から出ていくような浮遊感に襲われる。
その後、彼の体を満たしたのは怒りだった。
「嘘、嘘だ……」
拳を握りしめ、あの憎き鉄の塊を砕きたい、その衝動を抑え、倒れるヘレネの元へ走った。
焦燥に対し動かぬ脚に鞭打ちながら、壁際でぐったりと横たわる美しきひとの元へ。
「ヘレネさん、ヘレネさん……!」
僅か十数メートルの距離。
嘘のように長く感じるそれを走り切り、ローデリヒは地面に膝をつく。
震える手を伸ばした先にいたのはヘレネ。
薄い血溜まりに頭部を浸し横たわる彼女は、ピクリとも動かない。
「ヘレネさん、ヘレネさん。
ヘレネ、さん……?」
話さない、動かない。
動か、ない。
死んでいる。
頭部の強打による即死。
感情は混濁するも、生憎にも明晰であった彼の頭脳は正答を導き出す。
自ら、自らに突きつける現実に、ローデリヒの感情は堰を切った。
生白い喉が慟哭を吐き出し、周囲に轟く。
「嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ……あ、あああ、ああああああッ!!」
喉を裂く激情は、瞬く間に街の隅へと飛んでいく。
ローデリヒは、騒動を聞きつけた周囲の人々が集まるのを気にせず、只一心不乱に、恋した人の死を嘆いた。
叫んだ。
薔薇色であった、冷たくなっていく頬。
濁ってゆく、宝石のような瞳。
現実逃避の術が無い程に、証は肌に染みる。
あんなにも触れたかった恋が、証明したかった愛が、血に濡れ、消えていく。
信じたく、なかった。
信じたくなど、なかった。
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