獣胎告知

内海郁

第1話

 都市部郊外に位置する、小さな町の外れにその研究所はあった。   


 自然豊かな周囲の雰囲気とはかけ離れた、いかにも人工物的な、無機質かつ異質な建造物は遠くからなら嫌でも目に入る。


 掲げられた看板は『ヴァイスコップ研究所』。

 とある双子を主人とする、個人経営の研究所であった。

 二人の博士とたった一人の助手によって運営されるこの小さな楽園は、今日も頭の痛い問題ばかりが上がる。


 ドタドタと木の板の廊下を走る一人の青年。

 手紙をを握り締め蒼白した表情を浮かべる彼の行先は『研究室』と掲げられた、まだ新しい木製の扉。


「ヘレネさん、ハイノさん! ちょっと、この手紙はどういうことですか」


 扉を開けると、一組の男女が机に向かっている。

 黒檀の髪、顔つき、透き通る瞳の色。

 そっくりそのまま分け合ったような美しい容姿は、薄暗い研究室の中でも妖しく輝いて見えた。

 そんな彼らの元に割って入った青年は、少々痛んだ栗毛の隙間から流れる冷や汗を拭い、握りしめた手紙を突き出す。

 その焦燥した面持ちから、如何にこれが深刻な手紙なのかを示唆している。


「あぁ」


 粛々と万年筆を走らせる男。

 博士の片割れは、実に興味なさそうに言った。


「ああ、ってなんですか! この中身に心あたりでもあるんですか!」


「ローデリヒ、うるさい。

 集中しているのが見えないのか、その目は何のためについている」


 黒檀のような黒髪と艶やかな口元。

 身内の贔屓目なしに美青年と言える彼であるが、その眉は不機嫌そのものだった。

 紙面に走らせるペンを止めることなく、舌打ちと共に悪態が飛び出す。


「この僕が作業に手を付けている間は話しかけるなと言っただろう。

 全く、遺伝子以外は劣悪そのものだな。

 総細胞、脊髄、思考、五感。

 全てが愚鈍かつ凄惨な出来だ。

 親御さんが血の滲むような努力で捻出した教育費は無駄金になったようだな」


 浴びせられる辛辣な物言いを無視し、ローデリヒは封筒の中から取り出した一枚の紙を空きデスクに叩きつけた。


「学会の退会命令とは一体どういうことですか! 手続きは? 

 俺、次年度分の書類は纏めて準備しておきましたよね?」


 焦りを含んだ怒声に、白衣の男・ハイノはため息をつく。


「ああ、出さなかったさ。

 あんな頭の硬い連中と付き合う時間なんて、無駄どころの騒ぎではない。

 会費だって馬鹿にならないだろう。

 時間と金は有限だ。無駄なくに使うべきだろう」


「それ……はまぁ、同意しますけど。

 じゃあ、研究費はどうするんですか、研究費は! 

 それこそ、国からの援助金がなくなれば、今までの生活も、研究も、全て藻屑と消えますよ」


 彼、ローデリヒが血相を変えてまで言うには理由がある。

 ここ、欧州内陸に位置する国で、魔術・錬金術に関する研究が盛んな地域である。

 元より内陸国家であったため、他国に比べ閉鎖的。

 かつ隣接する国家の多様さから常に戦争の火種を掲げている状況であった。

 その影響もあり、魔書装幀の権威である〈ビブリオ=アレキサンドリア〉との仲も決していいものではない。

 故に、国内の魔術文化は独自の発展を遂げることを余儀なくされた。


 彼らは懸命に内部での成長を試みた。

 魔術では他国に勝つことはできない。

 ならば、自然の仕組みを解き明かす錬金術こそ我らに最適である。

 そう宣言した政府により、国の保護下である学会及び研究所には研究資金が与えられる制度が誕生した。

 定期的な会合への参加や論文の経過報告が必要になるものの、成果を上げれば上げるほど与えられる資金は増額される。

 故にこの国の研究者にとって、学会への参加は必須事項といえるものだった。


 それを放棄するなんて、研究者として自殺するようなものだ。

 一体、この男は何を考えているのか。いいや、ハイノの思考が読めないのは今に始まったことではないが。


「パトロンの目星はついている。

 まあ、あいつらとの交流は必須になるが、学会に時間を吸われるよりずっと効率的だからな」


「はぁ、パトロン……?」


 簡単に言えば支援者だ。学会に属していないものの多くは、資産家や貴族の資金援助の元に生活をしている。

 利害の一致による協力関係だったりも、いわば寵愛的な意味がこもっていたりもする。

 だが、どちらも発見するには極めて難しいことではあるが、目の前の男は成し遂げたらしい。


「そ、それを早く言ってくださいよ……」


 膝から崩れ落ち、へたり込むローデリヒ。

 その背を小さな掌が軽く叩いた。まるで花のような白く可憐な手。

 触れた瞬間、わずかな熱が青年の体を光のようにかけめぐる。


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