第8話 またね

どれくらい時間が経ったのだろう。見上げると、頭上には月があった。私は思い出し、涙を我慢しなかった。いつその時が来るかわからない。伝えるなら、今しかない。結衣の腕を掴み、涙を流しながら、澄んだ瞳をじっと見つめた。『結衣...ありがとう...!ほんとに...ほんと...に...!』言葉がうまく出ない。だが、精一杯ありがとうと伝えた。結衣は混乱しているはずだ。それでも、泣きすがって必死に伝え続けた。『だ、大丈夫...?嬉しいけど...』純粋な目が、さらに心に針を刺した。逃げられないなんてことはわかっている。それでも、とにかく逃げたかった。彼女の腕を掴み、山道を駆け降りた。車を見つけ、駐車場を横切ろうとした。その時だった。視界が白く光、前が見えなくなった。慌てて結衣を見ようとした。すると後ろから強く押され、地面に叩きつけられた。『ドン!』と鈍い音が耳を貫く。結衣が私を押しのけ、車のライトの中へ消えた瞬間を、私は見た。避けようのない衝撃に、彼女の小さな身体は投げ出され、硬いアスファルトに倒れ込む。

頭が真っ白になった。叫ぼうとしても声が出ない。足は凍りついたまま動かない。


「……ゆい……? ねえ……ゆい……?」


前がまともに見えない。膝から崩れ落ち、彼女のもとへ這った。手を伸ばして彼女の手を掴む。顔は見えない。でも、彼女がどんどん冷たくなる感覚で、私は現実に引き戻された。もう信じられないほど冷たくなっている。うめきながら彼女に覆い被さった。

かすかな呼吸を確かめようとしたけれど、胸は動いていなかった。していなかった。

呼んでも、揺さぶっても、目が開くことはなかった。

「……いやだ...いやだ……結衣……!なんで...私を...!』

胸の奥が裂けるように痛む。

私なんかより、結衣が生きるべきだったのに。

こんなのおかしい。希望はもう見えていたのに。『そっか...私を庇って...自ら...死んだんだ...』結衣が自ら命を断つってのは...私のせいだったんだね...』

涙が止まらなかった。

頬を濡らし続けても、呼吸は荒く震えるばかりで、何も変えられない。

彼女の髪飾りに触れると、指先に残った温もりが風にさらわれていった。

もう風に遊ばれることも、光にきらめくこともない。私はずっと、死の未来を知っていた。。

でも、こんな未来は望んでいなかった。

運命なんて信じたくない。見えてしまう力なんて、なければよかった。

『どうして...』

喉の奥が掠れて、声にならない叫びが漏れる。

胸の奥で世界が崩れる音がした。

周りの景色はただ滲んで、冷たい夜の闇に飲み込まれていく。

結衣の手を握り、声を殺して泣き続けた。

世界に私しかいないような静けさの中で。

遠くで、サイレンの甲高い音が夜を裂いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る