燃えるバトン

 モチ米パン太は、芸名を変えて別の小さな芸能事務所に所属し、今も地道に営業を続けているらしい。

 トリリンガル鳥居はネット配信者となり、露悪系炎上キャラとして一部から人気がある。

 大池吾郎は、彼の全盛期、昭和の頃からついている根強いファンが、根気よく復帰を待っている。


 田口しんぺいは刹那的にブレイクしたが、炎上後、すぐに忘れられた。


 フレイムエージェンシーからは解雇されている。重大なコンプライアンス違反とのことだ。事務所から渡されたシナリオどおりに進んで、その事務所から解雇されるまでが筋書きなのだから、皮肉なものだ。


 善人キャラで売れていた僕の、そのキャリアと人格を完全に破壊する失言。失望したファンたちは、見事に反転アンチとなった。

 もともと工作された人気だ。ひとたびこうなると、人々は目が覚まし、「冷静になるとなにが面白いのか分からない」と口を揃えはじめた。 

 芸が面白くないから、劇場に戻ってもネットで活動してもウケない。帰りを待つ人もいない。完膚なきまでに叩き尽くされた田口しんぺいに、表舞台に戻る兆しはなかった。


 少し調べてみたところ、モチ米パン太は事務所からの箝口令を反故にして、この身代わり炎上芸人制度をネット上で暴露していた。でも、嫌われ者の言うことを、それもこんな陰謀論めいた話を、誰が信じるだろうか。

 僕も暴露してやろうかと一時は考えたけれど、これを知って、余計に惨めになりそうだから、やめた。


 かつての仕事着だったスーツは、すっかり草臥れて、見窄らしく畳に転がしてある。食っていくためにもバイトを探さなくてはいけないが、元・国民的人気芸人、現・暴言で炎上した鼻つまみ者では、どこに行っても顔を知られていて、雇ってもらえない。

 ファンだと名乗ってサインを求めた観客も、擦り寄ってきた事務所の関係者や芸人仲間も、自慢の息子だと褒め称えた家族も。掌を返して、僕と距離を置いている。


 テレビには、派手な金髪がトレードマークの若手芸人が映っている。

 たしか名前は、麻山康介。明るくひょうきんで人懐っこいキャラが人気を博しているそうで、最近急激に、様々な番組で見かけるようになった。


 スマホが鳴った。表示されていた名前を見て、息が詰まる。

 フレイムエージェンシーの、社長だ。

 恐る恐る、着信に応じる。


「……はい」


「久しぶりだね、田口くん。元気にしているか」


 お陰様で、メンタルボロボロです。とは、言わないでおいた。わざわざ言うまでもない。

 社長は一連の流れに謝罪するでもなく、労うでもなく、平然と話した。


「実は君に頼みがあってね。この頃、仕事はあるか?」


「なにか仕事を貰えるんですか? 僕、もうどこに出ても叩かれますけど」


「そうだね。だから、出ない仕事をするんだよ」


 社長は少し勿体ぶって、回りくどい言い方をした。


「この頃、うちの若手の麻山康介くん、テレビで見るだろう?」


「あ、あの金髪の……」


 今まさにテレビに映っている、明るく元気な青年である。この人、フレイムエージェンシーのタレントだったのか。

 社長は他人話のように、さらりと語った。


「あの子、三年前に未成年飲酒の現場を撮られてるんだよ。彼はそのうち炎上する。本人も分かっている」


「そう、なんですか」


「折角売れてきたが、予後が悪いのは確定しているからね。先手を打って、彼を身代わり炎上芸人として育てようと思うんだ」


 テレビの中のVTRで、麻山康介が無邪気に笑っている。

 社長が続けた。


「ただ塩原くんをはじめ、炎上用マネジメントができるマネージャーはみんな、他の芸人の担当で忙しくて手が空かない。そこで、田口くん。君には炎上のノウハウがあるだろう? マネージャー業を頼めないだろうか」


 ああ、なるほど。今度は僕が、塩原さんの立場になる番か。

 有無を言わさず、社長が話を進める。


「ちょうどここに、麻山くんがいる。話してみるか?」


「……はい」


 僕が頷くと、電話の向こうでゴソゴソと音がした。社長の低い声から一転、明るく弾けた声がスマホのスピーカーを突き抜ける。


「どうもー! 麻山康介です! お仕事めっちゃ軌道に乗ってまーす! はじめまして、田口しんぺいさん。テレビで見てたっすー!」


「こんにちは。僕もたった今、君が出てるテレビを見ていたところだ」


「えーっ、嬉しー! あの田口さんが俺を見てるって、不思議な感じ。俺ってばバリバリ芸能人になったんだなあ!」


 テレビで見る彼の個性、そのまんまだ。

 そのまんまの明るい声を、彼は僅かに震わせた。


「でも未成年飲酒バレちった! やっべー! ……俺、もう誰からも必要とされなくなるんすかね?」


「……大丈夫だよ。必要とされてる。政界からも大企業からも、悪い人はいなくならないから」


 彼には使い道がある。たった一度、使い捨てられる存在だけれど。それまでは生かされる。身代わりは、常に必要だから。


「君も、大衆の怒りを吸って燃えるんだ。自分は火種だと割り切って、さ」


 今日も誰かの失態を隠すため、どこかで誰かが燃やされる。その誰かが燃え尽きたら、次の誰かが燃えるだけ。

 笑った理由も怒った理由も、灰になって、忘れられていくのだ。

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火種 植原翠/新刊・招き猫⑤巻 @sui-uehara

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