国民的人気芸人
明るく爽やかなスタジオセットが、眼前に広がる。観覧席を埋め尽くす、わくわくした顔の数々。
あの会議室でのやりとりから、数ヶ月が経過した。
「家族で笑える! 日曜
「さあ続いては、今や好感度ナンバーワン芸人! 田口しんぺいさんです!」
会場が拍手に包まれる。僕は爽やかなスーツ姿で、舞台袖から笑顔で、手を振りながらカメラの画角へと入っていく。
「どうもー、田口しんぺいです。最近は『炎上しない芸人』って言われてまして。 いやあ、ありがたいですね。炎上って、怖いですからね!」
客席から、笑いと拍手が起こる。司会者が大きな瞳で僕を見上げた。
「田口さんって、本当にクリーンですよね。スキャンダルもないし、発言も優しいし。芸人さんって、ちょっと毒がある方も多いけど、田口さんは安心して見られるって評判です! SNSでも常に話題ですよ」
「そうですね……僕は、人を傷つけない笑いを目指してます。笑いって、誰かの心を軽くするものだと思うんで」
僕は目尻を下げて、力の抜けた笑みで観覧席を見渡した。
「僕、売れない時代が長かったから、今こうして呼んでもらえるのが、本当に嬉しくて。昔は劇場の前説ばっかりだったんですよ。それも全然見てもらってない。まあ、見られてないって、逆に言えば自由なんでね。ネタ中に水飲んでもいいし、噛んでもいいし、最悪寝てもいい。……いや、寝たらダメか。流石にね」
観客から笑いが起こった。塩原さんが仕込んだ、サクラだ。司会者がマイクを握り直す。
「苦労の時代を乗り越えて、今こんなに大人気なんですから、すごいですね!」
「嬉しい限りです。僕は売れたんじゃなくて、笑ってもらえただけなんです。それがなによりの報酬です」
頭の中に入れてきた言葉を、コピーアンドペーストのように、そのまま言う。
司会者は声を弾ませた。
「CMも引っ張りだこですよね。洗剤、保険、教育サービス。『信頼の田口さん』って感じ!」
「そうそう、洗剤のCMね! あれ実際に今も使い続けてるんです。汚れに強い、真っ白ストロング! 僕もクリーンでしょ。ピュアです。無菌です」
「芸人って『汚れ役』って言われることもあるじゃないですか。でも田口さんは、洗剤のCMにぴったりの、『汚れ』と対極の清潔感がありますね」
「ありがとうございます。芸人は汚れ役……僕は、汚れ役じゃなくて、『汚れを笑いに変える役』だと思ってるんです。誰かが失敗した時、それを笑いにできたら、ちょっとだけ救われる気がするんですよね」
スタジオに少ししんみりした、感動の空気が流れる。BGMも、優しく柔らかく響いた。
「だから僕は、失敗しても笑ってもらえるように、毎日ちょっとだけ失敗してます。今日も、靴下左右違いました。気づいてないでしょ? これが芸人魂です」
客席から、笑いと拍手が起こった。僕はトークの締めに、両手を広げておどけたポーズを取った。
「というわけで、今日もクリーンな笑いでお届けします。汚れたら、洗剤のCM見てください。僕が笑ってますから!」
そこで、カットが入った。監督が笑顔で手を叩いた。
「素晴らしい! 名言が出たね。これはまたSNSのトレンドワード間違いなしだ」
「ははは、思ってることを率直に言ってるだけなんだけどなあ」
「根底から滲み出る、人の良さなんでしょうね。さあ、ここからは『田口しんぺい・好感度芸人の素顔』の撮影に入る。田口さん、こちらへ」
「はい」
僕はにこっと笑った。塩原さんに指導された、卑屈さのない、爽やかに見える笑い方である。
「思ってることを率直に言ってる」わけがない。全部、用意された台詞だ。
テレビ出演、SNSバズ、CM。全て、仕組まれた人気だ。あの契約のあと、社長と塩原さんは動き出した。
彼らに作られた僕のキャラは、シュールな発言で場を和ませる、ゆるキャラ系芸人だった。私生活は優しく穏やかで、見ていて安心を誘う雰囲気。そんな人物像だ。
まず、ゴールデン帯の人気バラエティの雛壇芸人のひとりとして、社長のコネでねじ込まれるところから始まった。
バラエティはほぼ台本ナシが基本だが、僕だけはきっちりと台本を作られた。他の出演者からどう話を振られ、どんな表情、どんな口調で、どう受け答えるか、綿密に組まれているのだ。
計算ずくの受け答えで笑いを取れば、次はキャッチーなフレーズでSNSのトレンドに乗る。多少滑っても、事務所が作った大量のアカウントで人為的にバズらせ、ウケているかのように見せかけ、SNSユーザーを扇動する。
同時に、スポンサー企業に働きかける。社長のコネもあるが、SNS人気が乗っかれば企業側からのオファーも増える。
その後も裏工作は着々と続いた。雛壇で不思議発言をして、視聴者に「なんだこいつ」と興味を持たせる。ネット検索すると塩原さんが捏造した僕のインタビュー記事が出てくる。これで、私生活面の設定を読ませる。それがSNSで紹介されて、この名前は一気に広まった。
「こいつのなにが面白いんだ」と言う声もあったが、そんなものは、僕の人気の前では埋もれていった。同調圧力というか、洗脳というか。人々は僕の芸を、面白いと思い込むようになった。
社長と塩原さんに戦略的に作られた「田口しんぺい」は、戦略どおり人気を得た。
次の撮影に向けてセットが組み直される。小休憩の間に、先程の司会者の女子アナが駆け寄ってきた。
「田口さん、共演できて嬉しいです。私、本当にファンで」
「えっ、そうだったんですか」
今はカメラが回っていないし、これは台本にない。彼女の心からの言葉だ。台本にないから、会話はアドリブだ。少し、返答にもたつく。
「う、嬉しい。売れない時代が長かったから、こういうふうに言ってもらえるの、ひとつひとつ全部嬉しくて……あっ、さっき撮影中に言ったコメントと微妙に被ってる……クドいっすね、すみません」
「あははっ、田口さんって、カメラ回ってなくてもそのまんま、田口しんぺいさんなんですね。思ったとおりの人です」
司会者は屈託なく笑った。
「いちファンとしても応援してます! そうだ、あとでサインください」
全身が熱くなる感覚があった。
田口しんぺいの立ち回りは、全て事務所に作られたもの。でも、今、素で喋った僕にこの人は笑ってくれた。
作られたキャラクターに僕の人格が引っ張られたのか。それとも僕にはもともと、素質があったのか。どちらにせよ僕は、台本がなくても人気芸人・田口しんぺいなのではないか?
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