【短編小説】死を望んだ花は、今夜も豆を挽く

風上カラス

第1話 俺とコーヒー

「マスター、ゴールデンウィークが明けたのに、今日もお客さん来ないですね」


 アルバイトの忌憚のないありがたいコメントが、誰もいない店内に響く。


「昨日はひとり来たから、今日“も”ではないよ」


 精いっぱいの抵抗をしてみたが、実際に客がいないのはその通りなので、何の言い訳にもならない何を言っても説得力はゼロ


 俺の名前は、矢上 亘やがみ わたる。42歳、独身。10年前にコーヒーと出会い、喫茶店「すのうどろっぷ」を立ち上げて、早いもので7年になる。はじめはただの素人だったが、今ではそれなりの腕前になった俺の淹れるコーヒーはかなり美味いと自負している。


 目の前にいる生意気なアルバイトは、北山 心春きたやま こはる。花の大学2年生だ。心春ちゃんとの付き合いは長い。そもそものきっかけは、彼女の伯父、北山 史郎(きたやま しろう)がれたコーヒーから始まる。


 史郎――俺の師匠は天才だった。……少なくとも、俺はそう信じている。史郎師匠れたコーヒーのおかげで、空虚だった俺の人生に"生きる意味"が生まれたのは確かだ。


 信じられないかもしれないが、世界には――勘違いクソみたいな理由で失われる命もあれば、コーヒー一杯の飲み物に救われる命もある。


 10年前、史郎師匠のコーヒーに衝撃を受け、その場で弟子入りを志願し――そのまま押し掛けるように、史郎師匠の喫茶店でバイトとして働き始めた。強面こわもて三十代男おっさんに付きまとわれるなんて、今思えば史郎師匠にはずいぶん迷惑をかけたと思う。


 この店――「すのうどろっぷ」を始めるきっかけになったのも、史郎師匠だ。そしてそのとき、物件の内覧にたまたま師匠に伯父さんになにか買ってもらえるとついてきた姪の少女――当時は小6くらいだったか――が、今ここにいる心春ちゃんだ。「スノードロップ」という店名を、「すのうどろっぷ」なんて俺には似つかわしくないひらがなにしたのも、彼女だった。まぁ、史郎師匠の手前、その提案を無碍むげにはできなかった。


 そんなこんなで付き合いが続き、気がつけば俺は四十代のおじさん白髪交じりのナイスミドルに。心春ちゃんは女子大生になっていた。子どもの成長とは、つくづく早いものだ――。


「こんなにお客さんいなくて、このお店、大丈夫なの?」


 思い出にふける俺に、心春ちゃんが話しかけてくる。まぁ、人口が200万人いる神居かむい市の中で、ここまで閑古鳥が鳴いている店もそうそうないだろう。


「心春ちゃんが心配することはないよ。副収入もあるし」


 嘘は言っていない。実際、若いころに溜めた金が、ケイマン諸島タックスヘイブンで今も勝手に増え続けている。


「私はそれより、金曜日の夜にこんなふうに時間を過ごしてる心春ちゃんのほうが心配だよ。たまには早上がりして、映画とかカラオケに行ってきてもいいんだよ」


 ……その台詞を口にした瞬間、俺は後悔した。時間の過ごし方は人それぞれ。他人がとやかく言うものじゃないちょっと余計なことを言いすぎてしまった。10年近い付き合いが、俺の心の距離感を狂わせてしまったようだ。


「いいの。私はこれで」


 俺の言葉後悔など気にも留めず、心春ちゃんはほほ笑むと、再び仕事に戻った。……いや、正確には店のテーブルにパソコンを広げて、宿題のレポートを書いている待機時間を有効活用している。というほうが正しいか。


 ふと壁にかかった時計に目をやると、夜の7時を過ぎている。


「お、もうこんな時間か。まかない、用意しましょうか?」


「うん!」


 心春ちゃんの目の色が変わる。 勝手知ったる昔から変わらない食いしんぼ少女の顔だ。


「よし、じゃあ、このあいだ食べたいって言ってたトルコ料理の新作、試食してもらおうかな? 心春ちゃん、飲み物は?」


「いつもので!」


 満面の笑みで答える心春。“いつもの”――そう、それは店を始めた頃からずっとある、心春ちゃんが考案したオリジナルのカフェラテだ。コーヒー3、牛乳7の割合で作るそれは、エスプレッソすら使っていないので、厳密にはカフェラテでも、カフェオレでもない。


 ただの――コーヒー牛乳だ。


 だが、心春ちゃんが満足している文句を言わないなら、それでいい。商品表示法? 知ったことか。俺はコーヒーが淹れられれば、それでいい。

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