5.戦死の真実

佳哉君に言われるがままやってきたのは、街の一角にある小さな公園であった。きっと普段なら子供達で賑わっているのだろうが、この猛暑のせいか誰もいなかった。公園に入り、ベンチに各々腰掛けると、突如私の前に誰かが現れた。

「ここなら、問題なさそうですね」

「佳哉君、自在に出入りできるんだ……」

呆然とする透に、ええと佳哉君が頷く。それにしても、わざわざ缶から出てきてまで話したいこととは、何だろうか。すると、私のそんな考えを悟ったのか、佳哉君が口を開いた。

「皆さんにお話したいのは、私の最期についてです。皆さんと行動を共にするうちに、少しだけ思い出しました」

「最期ってことは、死に際ってことか」

腕を組む雪成に、佳哉君が頷く。

「ツユとの約束にも関わることなので、皆さんにも聞いてもらいたくて。いいですか?」

佳哉君のその言葉に異を唱える者はいなかった。私は勿論、美羽も、透も、雪成も皆頷いていた。それを見て、ありがとうございますと頭を下げると、佳哉君は静かに話し始めた。

「私は、兵士として、太平洋に浮かぶ激戦地の島に送られました。島の名前は、もう覚えていません」

佳哉君は、当時まだ子供であったにも関わらず、一人の兵士として動員され、本土から遠く離れた島へと送り込まれた。そこは、死体の上に死体が折り重なるような、死とやり場のない憎しみに溢れた戦地であったという。小さな身体に不釣り合いな銃を持たされ、彼は望んでもいない戦をさせられた。何の恨みも無い外の国の兵士を、撃ち抜いた。いや、最早敵味方の区別もついていなかったという。動くものは、何であれすぐに撃つ。そんな、生命があまりにもあっけなく消えていく島を、佳哉君は駆け抜けた。

「私自身は、幸いなことに被弾しませんでした。味方は沢山失いましたが、この生命だけは助かったんです」

だが、彼は生きて本土に帰ることは出来なかった。

「私のいた隊の隊長が、戦死したんです。それを受けて、部隊の者全員に自刃命令が下りました。総員玉砕、名誉の死を遂げよ、その生命を祖国に捧げよ、と」

そう、彼は戦死したのではない。理不尽な理屈で自らの生命を絶たされたのであった。隊長の死は、部隊壊滅も同然。敵に捕まり屈辱を受けるくらいなら、潔く散る花となれ。死して、その生命ごと祖国に捧げよ。そんな、あまりにも滅茶苦茶で残酷な考えのもと、彼は自分のお腹を切り裂くように命じられたのだった。

「本当は自刃なんてしたくありませんでした。ですが、上官の命令は絶対です。それに、当時、生きて帰ることは恥だとされていたんです。なので、私は、自らの手で……」

そこまで言うと、佳哉君は俯いてしまった。美羽が咄嗟に立ち上がり、震える彼の肩に触れる。幼馴染と約束を交わしていたにも関わらず、運良く戦死を免れたにも関わらず、上官の命令一つで、助かるはずだった自分の生命を自らの手で刈り取らなければいけなかった。どれほど苦しかったか、悲しかったか、私には想像することしかできなかった。

「きっと、上官の命令なんて無視して帰れば良かったんでしょう。でも、当時の私には、そんな勇気はなかった。申し訳ないと何度も詫びながら、お腹を切り裂くことしかできなかったんです」

佳哉君の言葉を、私達は黙って聞くことしかできなかった。助かるはずの自分の生命を、影も形も無い幻にも等しい『名誉』のために、自らの手で終わらせなければならなかった。どれだけ無念だったのだろう。もう、想像の及ぶ範囲をゆうに越えてしまっていた。

「何だよ、それ。何なんだよ!」

雪成が腕を振り下ろし、声を荒げる。横を見ると、美羽も透も、苦痛と悲しみに歪んだ表情を浮かべ、俯いていた。教科書では分からない、何の書物にも残されていない、生々しい戦火の記録。生命の過去。それを前に、私達は何も言えなくなっていた。残酷とか悲しいとか、そんな平凡な言葉では表現しきれない、あまりにも血生臭くて、痛くて、涙が零れてしまうような、そんなお話。触れれば火傷しそうな程熱そうなのに、実際は氷より冷たい、遠い昔の事実。戦争を知らない世代である私達に、言えることなどあるのだろうか。

「上官の命令を無視して船に忍び込んでいれば、僕にその勇気があれば、こんな後悔はせずに済んだんです。もう悔いても仕方ないとは分かっていますが、意気地無しだった自分が憎くて仕方ないです」

佳哉君の本音を、私は黙って聞いていた。戦火を乗り越え、その記憶が薄れた未来に生まれた私達。実際に戦争の光景を見たわけでもないのに、分かったようなことは言えない。どれだけ考えても、想像の範囲を出ない。だが、そんな私達でも、分かることはある。

どうせ『戦後の人間』にしかなれないのなら、その『戦後の人間』らしく、言えることを言おう。戦の禍根の外にいる、私達だからこその考えを。

「佳哉君、自分のことを責めるのは違うんやないの?」

「……え?」

私の言葉に、佳哉君が目を丸くする。

「責めても何も変わらんってのもそうやけど、佳哉君は佳哉君のやれることをやったんやろ? なら、後悔してもキリないって」

そう、彼は、彼の出来る範囲でやれることをやっていた。この先に待っていたのが、自刃という結果だった。悔いは残るだろうか、精一杯のことをやった結果がそれならば、悔いるだけ深みにはまってしまう。尽きない後悔は、何処かで断ち切る必要があった。

「でも、この生命を繋ぐ『正解』を分かっていながら、自刃を選んだのは、やはり僕が弱虫だったからで、悔いるなって方が無理ですよ」

その瞬間、私の中で何かが音を立てて盛大に切れた。こういう時は。

「あぁ、もう! シャッキリせんかい! しゃあないって言うとるやろうが!」

一喝するに限る。荒っぽいやり方ではあるが、冷や水をかけて頭を冷やす必要があった。

「悔いてもしゃあないってアンタも言うとったやろ? それに、後悔してもキリ無いってアタシ言うたよね? なら何でまだウジウジしとるんや! 正解だの弱虫だの、ウダウダ言うて何か変わるか? 変わらんやろ!」

私の大声に、佳哉君が俯いてしまう。彼からすると怒られているように感じるのだろうが、私としてはエールのつもりだった。もうどうにもならない『過去』という『足枷』を外し、彼がまだ変えることのできる『この先』へと歩いていけるように、と。少し荒療治なのは分かっているが、時には荒業も必要である。

「なら、僕のこの想いはどうすれば……」

一喝こそしたものの、彼の気持ちも分かった。悔いる想い、過去への未練は、そう簡単に捨てられない。だが、だからといって過去を書き換えることができるわけでもない。ならば、どうするべきか。

「これからに託せばええやろ」

そう、変えることのできる『これから』に託す。それが、過去への想いを断ち切る方法であった。後悔の穴を、まだ決まっていない未来で埋める。勿論、それで埋まらないものもあるが、過去に残された穴はこれから先で埋めるしかない。

「何の因果か、佳哉君はここに戻ってきた。それなら、まだやれることはあるやろ? 変えられる『未来』で、変えられない『過去』に置いてきたものを拾うんよ」

私がそこまで言うと、透がそれに、と口を開いた。

「過程がどうであれ、佳哉君はここにいる。まだ約束を果たせる可能性は残ってる。なら、約束を果たしに行こうよ。少し回り道したけど、戻ってこられたんだから、大丈夫」

回り道したけど、大丈夫。大学を休んでいる、透ならではの言葉だった。心を壊して休学せざるを得なくなった時、透は泣いていた。みんなより遅れをとることになるから、もう終わりだ、と。でも、透はその『回り道』も『一つの道』だと捉え、彼女なりの道を往こうとしている。回り道をしても、大丈夫。回り道をした透だからこその言葉であった。

「なら、僕は……」

顔を上げた佳哉君に、頷いてみせる。

「行こう、約束を果たしに」

そう言って微笑むと、佳哉君の表情も緩んだ。彼の見ている暗闇に『灯り』をつけることは、できただろうか。何十年の時を経てもなお、迎えられずにいる、本当の意味での終戦。それを、迎えに行こう。

「どうやら、話は終わったみたいやな」

その時、足元から声がした。見ると、一匹のカラスが私たちのことを見上げていた。そう言えば、すっかり忘れていた。

「ボンミチさん、いたんだ」

「やっぱワシのことは忘れとったんか……」

美羽の言葉に、ボンミチがあからさまにしょげる。しかし、すぐに立ち直ると雪成の隣の空席に飛び乗った。

「取り敢えず、兄ちゃんを依り代に移さんとアカン。半端なことやると取り返しのつかんことになるから、ここはワシに任せとき」

そう言われて、ようやくやるべきことを思い出した。依り代を買ったのなら、佳哉君を依り代に移さなければ。

「僕は……いや、私はどうすれば?」

困惑する佳哉君に、ボンミチが頷いてみせる。

「兄ちゃんはそこに立ってるだけでええ。あとはワシが上手くやったるさかい。じっとしとってな」

そう言った、その瞬間だった。ボンミチの瞳が、また宝石のように輝いた。その直後、佳哉君の姿が霧のように消えたかと思うと、依り代であるオシドリのガラス細工が微かに動いた。これで、移す作業は終わったのだろうか。摩訶不思議な光景に呆然としていると、ボンミチが口を開いた。

「成功や。どうや、兄ちゃん。変なこと起きとらんか?」

「少し不思議な感じですけど、平気です」

ガラス細工から聞こえる声に、胸を撫で下ろす。どうやら依り代へ移す作業は上手くいったようである。そうして私がガラス細工を見つめていた、その時だった。

「それと、兄ちゃん、もう無理せんでええんとちゃうか?」

ボンミチが、思わぬことを言い始めた。

「無理、ですか?」

せや、とボンミチが頷く。

「兄ちゃんの本音、しっかりと聞いたで。ここまでワシらに曝け出したんや。もう『私は』なんてかしこまる必要は無いやろ。兄ちゃんは、兄ちゃんや。兵士ちゃう」

ボンミチの言っていることはもっともな気がした。今の私たちは、兵士ではない『新節佳哉』という一人の少年としての佳哉君を知っている。今更かしこまるのもおかしな気がした。もうここまで本音を打ち明けたのだ。私たちの前では、ありのままでいて欲しかった。すると、そんな想いが届いたのか、佳哉君が頷いた。

「そう、ですね。なら『僕』らしくいます」

彼の言葉に、私たち皆で頷いていた。兵士としてではなく、戦火に運命を狂わされた一人の少年としての佳哉君の、果たされていない約束を果たしに行こう。

「そろそろ行くか。俺達はどうすればいい?」

立ち上がる雪成に、佳哉君はこう言った。

「僕達の交わした約束を、聞いてくれますか」

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