3.思い出の味

丘を出た私達は、佳哉君に言われるがまま、ある場所へと向かっていた。だが、一つ気になることがある。

「……ねぇ、どうしてアンタまで来とるん?」

私達の横を何食わぬ顔で歩くカラスに目を向ける。当たり前のようについてきているが、彼が私達の手助けをする義理は一切無い。かといってそんな情に厚いタイプにも思えない。一体なぜ。すると、彼は呆れたように首を振った。

「野暮なこと言うなぁ。困っとる人がおったら助けるんがスジってもんやろ。それに『人を道連れ余に情け』って言うやろ。旅はしとらんけど、まぁそういう精神や」

「他人を道連れにすんじゃねぇよ……それを言うなら『旅は道連れ世は情け』な」

白い目を向ける雪成の目を、ボンミチは見ていない。

「兄ちゃんは細かいなぁ。ワシの言いたいことは伝わったんやから別にええやろ。それにな――」

そこまで言うと、彼は私達を見回した。

「他人を助けるんに、理由が要るんか?」

その言葉に、私達は何も言えなかった。人が人を助ける。そこにいちいち理由や動機を探していた私達が野暮であった。他人が困っているから、手を差し伸べる。力になる。たったそれだけのことである。不思議な存在だからと、色眼鏡で見てしまっていたのだろう。自分が最も嫌っているのに、実はその『嫌いなもの』で他人を見ていたのが自分だったとは、とんでもなく滑稽であり、憐れである。

「ま、兄ちゃんの言う『思い出の味』が気になるってのもあるんやけどな」

「折角良いこと言ったのに、台無しだよ……」

美羽が何とも言えない渋い顔をして首を振る。それはそれとして、ボンミチと同じく、私も佳哉君の言っていた『思い出の品』が気になっていた。彼が言うには、町外れにある駄菓子屋さんにあるとのことだが、あそこにそんな特別なものはあっただろうか。そんなことを思っていると、目的の建物が見えてきた。

「久しぶりに来たな、ここ」

透がそう言って建物を見上げる。水貝菓子店。この町で一番歴史のある駄菓子屋さんである。町の外れにあり、アクセスが良いとは言えないのだが、品数が豊富なこと、店主が優しいこと、子供達があがって遊べるお座敷があることなどから人気の憩いの場となっている。かくいう私も、美羽や雪成、透と一緒に何度もここでお菓子を食べて、夕食までの放課後のひと時を過ごしていた。

「こんにちはー……」

妙に緊張する手でそっと引き戸を開ける。すると、奥から懐かしい人が出てきた。

「あらまぁ、咲雪ちゃんじゃない。帰ってきたのね」

水貝のおばあちゃん。このお店の店主であり、みんなから愛されている駄菓子屋のおばあちゃんである。少しだけ老いが進んだようにも見えたが、相変わらず元気そうで安心した。折角来たのなら、昔みたいにお座敷で駄菓子をつまみながらゆっくり過ごしたい気持ちもあったが、今はやらなければならないことがある。

「朝ドラ見てるわよ。美羽ちゃんと揃って姉妹の役、ほんと可愛らしくて。この町の誇りだわ」

「勘弁して、おばあちゃん。恥ずかしなるから」

手を振りつつ、缶の入った鞄を軽く揺らす。すると、鞄から佳哉君の声が聞こえてきた。

「肝油ドロップを探して下さい。金魚玉肝油ドロップ、と言えば伝わるかと思います」

その声をしっかり聞いてから、前を見る。

「おばあちゃん、金魚玉肝油ドロップってある?」

自分で言っておいて難だが、そんなものはあっただろうかと内心首を捻っていた。自慢ではないが、ここにある駄菓子は殆ど食べ尽くしている。それでも、金魚玉肝油ドロップという名前のものは見た記憶が無い。昔はあったが、今は無い可能性もある。そんなことを思っていたが、おばあちゃんの反応は予想外のものであった。

「あら、咲雪ちゃんからその名前が出てくるとはね。待ってて、今出すから」

おばあちゃんはそう言うと、奥の棚を漁り始めた。なんと、陳列棚に並んでいないだけで扱ってはいるらしい。棚を漁る小さな背中を見ていると、おばあちゃんが戻ってきた。

「はいよ、これが『金魚玉肝油ドロップ』だよ。一缶買うなら二百円になるね。少し高いけど、貴重だからねぇ」

構わんよ、と言いつつお財布を取り出す。確かに、この駄菓子屋のラインナップの中では、群を抜いて値段が高い。だが、世間一般のお菓子と比べると普通の値段である。買うのを渋る方が野暮だろう。そんなことを思いつつ、小銭を確認していた、その時だった。

「懐かしいねぇ。戦時中は、これが一番のご褒美だった」

おばあちゃんから、思わぬ言葉が出てきた。戦時中となると、佳哉君やツユおばあちゃんとも関係しているかもしれない。これは、詳しく聞きたい。

「そうなん? 詳しく教えて」

私がそう言うと、おばあちゃんは笑顔で頷いた。

「知っての通り、戦時中はとにかく食料が無かった。元々人の少ないここは、農作物を作る人も少なかったからねぇ。戦争が激しくなるにつれて、毎日のご飯もままならなくなっていった。あの時は『戦争に勝っているのになんで』とか思ってたけど、本当は負けてた。貧乏になって当然さ」

この辺りの話は、小学校高学年の総合で『郷土の戦史』を知ろう、ということで聞いていた。田畑こそ多かったものの、そもそも人が少なかったここは、深刻な食料不足に陥っており、栄養失調になる人も少なくなかったという。遠い海外へ駆り出された『戦線』も壊滅し、それを支える『銃後』も食料不足で疲弊していた。当時の人々がどれだけ逼迫し苦しい暮らしを強いられていたかは、容易に想像できる。

「そんな中、当時まだ子供だった私らは、月に一回、学校でおやつを貰っていた。それがこの『金魚玉肝油ドロップ』さ。白米すらまともに食べられなかった中では、もう最高のご褒美なんてものじゃなかった。幸せだった」

肝油ドロップの缶を持ち、そう話すおばあちゃんは、何処か遠くを見つめていた。戦火の貧困による苦しみすら癒してくれた、甘いおやつ。きっと、頬だけでなく、苦境に立たされ心に出来た凝りすらも溶かしたのだろう。私も、仕事で出来た不満や疲れといった『凝り』を、甘いもので溶かすことがある。いつの時代も、甘いものは人を癒やしてくれるのだろう。そんなことを考えていると、ふとおばあちゃんが、そうだと声を上げた。

「自分の肝油ドロップを他の人にあげてた子がいたね。あの男の子、何と言ったか……」

少し唸ってから、おばあちゃんが顔を上げた。

「思い出した! 新節君じゃよ。新節佳哉君。いつもツユにドロップをあげとったの。いい子じゃったが、そういう子に限って帰ってこないもんじゃ。生きとったら何歳になっていたんかの」

思わぬ事実に鼓動が早まるが、同時に苦い気持ちにもなり、色々な感情が混ざってよく分からないものになっていた。佳哉君は今、私の鞄の中にいるが、あくまで魂だけであり、生きてはいない。もし、戦火を乗り越えて今も生きていたとしたら。絶対に叶わない『もしも』を考え、悲しくなった。

「さて、私から話せるのはこんなもんかの。満足したか?」

「うん。ありがとうね、おばあちゃん」

そう言って小銭を渡し、肝油ドロップの缶を受け取る。質素倹約を強いられ、約しい生活を送っていたにも関わらず、ツユおばあちゃんに自分の肝油ドロップをあげていた佳哉君。これは、もう少し詳しく訊く必要がある。

「またおいで」

小さく手を振るおばあちゃんに手を振り返してから、駄菓子屋を後にする。それからしばらく歩き、畦道に立った電柱の根元で足を止めた。佳哉君と話をするなら、人目につきにくいところでしないと怪しまれる。

「佳哉君、やり取りは聞いとったよね? 肝油ドロップのこと、詳しく教えてくれる?」

海苔の缶を取り出して、缶に向かって話しかける。すると、缶の中から声が聞こえてきた。

「あの話は本当です。私は、ツユに自分の肝油ドロップをあげていました」

「それはどうしてなの? 佳哉君だって、余裕があったわけじゃないでしょう?」

美羽が首を傾げる。美羽は分かっていないようだが、私にはその理由が何となく分かった。

「ツユの笑顔が見たかったからです」

佳哉君の声に、内心やっぱりと頷いていた。苦しい中で、自分のものを他の人、それも女の子にあげる理由なんて、それくらいしかないだろう。ベタといえばそれまでだが、佳哉君の言葉に、甘酸っぱい何かを感じていた。

「それに、ツユは肝油ドロップを貰えていなかったんです」

「貰えていなかった?」

透が首を捻る。ツユおばあちゃんだけ肝油ドロップが無かったとは、どういうことだろうか。

「当時、女子生徒は『勤労動員の対価』として肝油ドロップを貰っていました。でも、ツユは効率が悪くて不器用で、何かを作るにしても失敗ばかり。より優秀な人から貰える仕組みだったので、ツユは貰えていなかったんです」

「無能にくれてやる褒美は無いってか。反吐が出る」

雪成が吐き捨てるように言った。言葉は悪いが、そういうことになる。他人より仕事が出来なかったツユおばあちゃんは、肝油ドロップを貰えていなかったのだ。あまりに酷な話だが、実際に起きていたのだから否定しようがない。

「ツユは甘いものが好きだったので、喜んで食べていました。思えば、あの笑顔を見るために肝油ドロップをあげていたのかもしれません。でも、ある時『佳哉も食べよう』って誘われて、小さいドロップを割って二人で食べました。あの時の記憶とあの味は、今でも色褪せません」

佳哉君の言葉に、私は何も言えなかった。戦火によって困窮していた日々の中で、手のひらで包み込めるような『しあわせ』を二人で割って分かち合ったという思い出。二人をそこまで追い詰めた戦争を憎む気持ちと、それでもささやかな幸せを享受し、少ないながらも満たされていた二人の青春に温められた気持ちとが混ざり合って、整理がつかなかった。この嘗ての青春を、どう受け止めるのが正解だろうか。

「肝油ドロップは、ツユにとっても思い出の味のはずです。食べれば、きっと……」

消え入りそうな声で、佳哉君が呟く。彼が抱いているのは、あまりにも儚く、消えてしまいそうな願望である。真っ暗闇の中にほんの僅かに差し込んだ、糸のような光。いつ潰えたって、おかしくない。だが、それでも、信じたい。光が完全に消えてしまうその時まで、光を見出していたい。その気持ちは、痛いほど分かった。

「やれることをやろう。悔いの無いように、ね」

美羽が私の鞄を見て頷く。何とかなる、と無責任に励まさない辺り、血の繋がった妹であると実感する。美羽は、私なんかよりずっと思慮深い。きっと大丈夫、という発言がどれほど残酷なものかを分かっているのだろう。

「さて、お次は兄ちゃんの依り代探しや。それがあればかなり楽になると思うで」

いつから合流していたのか、ボンミチが声を上げる。そう、まだ準備は始まったばかりである。美羽も言っていたが、悔いの無いように、やれることをやろう。

「依り代……ガラス細工とかどうかな?」

「ええやないか。なら、行こうや」

悔いだけは残さないようにしよう。この先、どんな結果が待っていてもいいように。

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