ちいさなパン屋と森のどうぶつたち


 とある小さな町のはずれに、一軒のパン屋がありました。

 パン屋の名前は「おひさまベーカリー」。

 店主は、白いひげをはやした、やさしいおじいさん――トーマスさんです。


 毎朝、まだ夜明け前の空がうすあかるくなるころ、トーマスさんは窓をあけて、深呼吸をします。

「ふう……きょうも、いいパンが焼けそうだ」

 それから、大きなオーブンに火を入れ、小麦粉と水、イーストをこね始めるのです。


 このパン屋のパンは、町でいちばんおいしいと評判です。

 でも、トーマスさんが大切にしているのは、味だけではありません。

「パンはね、心をこめてつくらなきゃ。お腹だけじゃなく、心もあたたまるようにね」

 それが、トーマスさんの口ぐせでした。


 そんなある朝のこと。

 トーマスさんがパン生地をこねていると、外から「トントン」とドアをたたく音がしました。

 時計を見ると、まだ町の人が来るにはずいぶん早い時間です。


「だれだろう……?」


 ドアをあけてみると、そこに立っていたのは――小さな茶色いリスでした。

 ふさふさのしっぽをぴんと立てて、ちょこんと立っています。


「お、おはようございます! ぼく、森のリスのリッキーといいます!」

「まあまあ、リスくんじゃないか。どうしたんだい、こんな朝早くに」

「……ぼく、お母さんにパンを食べさせてあげたいんです。でも、町のパン屋さんはこわくて、なかなか来られなくて……」


 トーマスさんは目を細めました。

 リッキーの声はちょっとふるえていましたが、その目はまっすぐで、一生けんめいでした。


「そうかい。お母さん、元気ないのかい?」

「うん。冬の寒さで風邪をひいちゃって……でも、ぼくが何かおいしいものを持って帰ったら、きっと元気になってくれると思うんだ」


 その言葉を聞くと、トーマスさんはにっこりと笑いました。

「それなら、ぼくも手伝ってあげよう。リッキーくん、お母さんはどんなパンが好きだい?」

「ふわふわで、やさしいあじのパンがいいな。お母さん、よく『春の風みたいなパンが好き』って言ってたんだ」


 トーマスさんはうなずき、やさしく頭をなでました。

「よし、いっしょに“春の風パン”を作ろうじゃないか」


 ふたりは台所に向かいました。

 リッキーは小さな手で一生けんめいパン生地をこねます。

 トーマスさんはその横で、やさしく生地をふくらませるための魔法のような手つきを見せます。


「こうして、そっと包むように。パンはね、強くたたくより、やさしくなでるとよくふくらむんだ」

「ふわふわになるんだね!」

「そうそう、まるでおひさまの毛布みたいにね」


 オーブンにパンを入れて、しばらくすると――

 町じゅうに、やさしい香りが広がりました。

 リッキーの目が、きらきらと輝きます。


「いいにおい……!」

「できあがりだよ、リッキーくん」


 焼きたての“春の風パン”は、ほんのりあまくて、ふわふわで、やわらかそうです。

 リッキーはパンを大事そうに胸にかかえました。


「ありがとうございます! これ、お母さんきっとよろこぶ!」

「気をつけて帰るんだよ」

「うん!」


 小さなリスは、森の中へとパンをかかえて走っていきました。


 次の朝――。

 トーマスさんが店を開けようとしていると、また「トントン」とドアをたたく音がしました。


「リッキーくん?」


 そこにいたのは、なんと、リスだけではありません。

 森のどうぶつたちがたくさん集まっていました。

 ウサギのルル、タヌキのゴン、フクロウのおばあさん――みんな笑顔です。


「パン屋さん! ぼくたちもパンが食べたいの!」

「ぼく、おじいさんみたいにパンをこねてみたい!」

「パンのにおい、森まで届いたのよ」


 トーマスさんは目をまるくしましたが、すぐにやさしい笑顔になりました。

「もちろん、いいとも。みんなでいっしょに作ろうじゃないか!」


 こうして、森のどうぶつたちとパン作りがはじまりました。


 タヌキのゴンは大きな手で生地をこねて、

 ウサギのルルは小さな指で丸い形をつくり、

 フクロウのおばあさんはオーブンの温度を見守ります。


「パンって、おもしろいね!」

「ねえ、いいにおいしてきたよ!」

「おなか、ぐーぐーなっちゃうわ」


 オーブンからパンが焼きあがるころには、店じゅうが笑い声でいっぱいでした。


 その日から、「おひさまベーカリー」はちょっとだけにぎやかになりました。

 森のどうぶつたちは、毎朝パンを焼きにやってきます。


 リスのリッキーはふわふわパン係。

 ウサギのルルは形づくり係。

 タヌキのゴンは力仕事係。

 そしてフクロウのおばあさんは見張り係です。


 森のパンづくりは、町の人たちのあいだでも評判になり、

 「きょうのパンはどんなパンかな?」と楽しみに来るお客さんも増えました。


 ある雪の日のこと。

 町の広場では、年に一度の冬祭りが開かれます。

 トーマスさんは、どうぶつたちと相談しました。


「今年の冬祭りでは、“森のパン”を出してみないかい?」

「いいね!」

「たくさんの人に、ぼくたちのパンを食べてもらおう!」


 どうぶつたちは大はりきり。

 前の日から小麦粉をこね、ナッツやハチミツを混ぜた特製のパンを作りました。


 冬祭りの朝――。

 広場のまんなかに、小さなパン屋の屋台が立ちました。

 あたたかい湯気と、甘い香りが雪のなかをふんわりと漂います。


「まあ、おいしそう!」

「このパン、森のリスが作ったの?」

「ふわふわで、あったかい!」


 町の人たちは笑顔でパンをほおばりました。

 どうぶつたちもうれしそうに、その様子を見守ります。


 お祭りが終わるころ――。

 トーマスさんはリッキーに声をかけました。


「リッキーくん、はじめてパンを焼きに来た日のこと、覚えてるかい?」

「うん! お母さんに“春の風パン”を持っていった日!」

「あの日から、森と町がもっと仲よくなったねえ」


 リッキーはしっぽをふわりとゆらして、にっこり笑いました。


「ぼく、パンが大好き。だって、パンはみんなを笑顔にするんだもん!」

「そのとおりだよ。パンは、おなかを満たすだけじゃなく、心もあっためるんだ」


 空には雪がしんしんと降っています。

 でも、広場のまんなかには、まるで春の風が吹いたような、あたたかい空気が満ちていました。


 それから何年もたちました。

 トーマスさんはすっかり白いひげをのばして、ゆっくり歩くようになりました。

 でも、パン屋はいつも笑い声でいっぱいです。


 リッキーたちは立派なパン職人になり、森と町をつなぐ架け橋となりました。

 「おひさまベーカリー」は、町の人と森の仲間たちのしあわせな場所として、今日もパンの香りを届け続けています。


 ある春の日――。

 店の窓辺には、ちいさなプレートがかかっていました。


 「パンは、心をあたためる魔法です。」


 風がそよそよと吹き、春の花が咲きほころびます。

 リスのリッキーはオーブンの前で、にこにこと笑いながら、生地をこねていました。


「さあ、きょうも、おいしいパンを焼こう!」


 森と町を包みこむような、やさしい香りが空いっぱいに広がっていきました。


おわり

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