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魔術捜査課 会議室



 だだっ広いだけの会議室、その中央の長机で、蓮介が切れ長の糸目をさらに細めて、険しい顔でパソコンと睨めっこしている。


「追えたか?」


 櫂がその後ろから画面を覗き込みながら声をかける。


「無理。プロテクションがかかってて最後まで辿り着けない」


 蓮介は文字通りお手上げのポーズを取り、天を仰ぎながらそう言った。彼の手元のスマホに反応があったのは2回。昨晩と今。どちらも簡素な業務連絡といった短いものだった。


「そもそも、IPが抜けたからと言って、この新宿で個人を追跡するのは不可能だよ。どれだけ人が居ると思ってるんだ」

「そうなのか?君の家の魔術なら可能じゃないかと有羽は言っていたぞ」

「それどこの家の話ですか」

 

 各家に電話線が引かれていたような時代なら或いは、魔術での追跡も可能だったのかも知れない。

 蓮介の固有魔術は透視。央乃と同様に触れたものの中身を見ることができるのだが、建物や機械の構造等、大雑把な空間把握が得意な央乃に対して、蓮介が得意なのは、機械などの精密な構造の把握。中でも特に、分子の流れや方向などの「動」の情報が得意なこともあり、物理的な振動であれば、どれほど離れた場所であっても自身の魔術で追えるという自信があった。しかし、時代は無線なのだ。情報と情報の間に物理的な繋がりはない。こうなってしまっては、蓮介の透視はもはや、追跡という意味では何の役にも立たない。


「素直に開示請求するのが一番楽だよ」

「そんなに時間はかけてられない。それに、名義が本人だとは限らないだろう」

「それもそうかぁ……」


 そう言って、蓮介は視線を天井へと移す。視線の先、部屋を映している防犯カメラが一瞬、通常とは違った挙動を取ったことを、蓮介は見逃さなかった。


「なんだ、良いところに居るじゃないか。餅は餅屋……ってね。あとは、ここをハッキングして密かに見てる誰かさんに期待かな」



   ×     ×     ×



誰かさん 自室



「げ!?バレた!?!?」


 パソコンの明かりのみで照らされた真っ暗な部屋。画面に表示された監視カメラの映像越しに、カメラを覗き込む蓮介と目が合う。物置のようにごっちゃり物の積まれた部屋の中、大きな赤いゲーミングチェアの上に体育座りの形で座る央乃が、熊耳のついたふわふわのルームウェアのフードを深々とかぶり直す。

 先日から有羽と連絡が取れない。校内パトロールの折にあの少女に会ったことがキッカケなのは間違いないだろう。蓮介の行動から、魔捜が何か動いていることも察せられた。しかし、自分だって件の調査には貢献したのだ。その後の進展を聞かされないというのは、何だか自分だけが仲間外れにされているようで気に食わなかった。

 あったのは、ほんの少しの苛立ちと、あとは単純な興味。深く関わるつもりはなかった。ちょっと覗いてやろう、その程度の行動だった。まさか巻き込まれるとは思っていなかった。


「やっぱ蓮兄を誤魔化すのは難しいっすね」


 そう言って深く息を吐く。溜め息にしては潔く、やる気を感じさせる温かい息。その表情には少しだけ、これから起こる何かに対する期待が浮かんでいた。

 画面の中、こちらを見つめて意地の悪そうな笑みを浮かべる蓮介に、デコピンの形で弾いた中指をぶつける。頼られるのは悪い気がしないが、それはそれとして1発だけでもお見舞いしたかった。カチン、と画面に爪のぶつかる音が鳴る。


「仕方ないっすね〜、信頼すべきは魔術なんかより電子と情報だって思い知らせてやるっすよ〜」


 ふんす、と鼻を鳴らしながら腕まくりをする。央乃が足を下ろして椅子に座り直すと同時に、カタカタと力強くキーボードを叩く音が暗くて狭い部屋の中に響きはじめた。



   ×     ×     ×



新宿区内 ラブホテル



 目に痛いピンク色の壁。ふかふかのキングサイズベッド。明かりとしての機能はあまり果たしていなさそうなシャンデリア。壁を一周するピンク色の間接照明。そしてなぜかガラス張りの浴室。全体的に煌びやかで派手派手しい空間の中、四人の女子達に囲まれたファイは一人、所在なさげな表情を浮かべていた。


「にしても、明らかな未成年何人も連れてよく入れたよね」


 げんなりするほどのピンク色の部屋を眺めながら杏花が呟いた。


「ここのオーナー、兄さんの知り合いでね。捜査の一環であれば休憩所がわりに部屋を使わせてくれるの」


 荷物を両手に抱えて扉の近くで立ったままの有羽が答える。


「有羽あんた、今までこんな所を休憩所に使ってたの?」

「いえ、実際に使ったのは初めてよ」

 

 まるで我が家のようにベッドの上でくつろぐアンリに対して、有羽はさも「当然でしょ」と言った態度で返す。


「兄さんの名刺を見せれば入れるとは聞いていたけど、今まではそんな機会もなかったもの」

「じゃあ本当に入れるのかどうかも、今まで知らなかったわけか?」


 呆れた声でそう問いかけたのはファイ。じとりとした目で睨みつけるその顔に、有羽が頬を赤らめて目線を逸らす。


「ええ、そうよ、知らなかったわよ。ここまできて入れなかったらどうしようって、内心ドッキドキよ。何とか入れたは良いものの、正直この内装に気圧されてどこに座ったら良いかもわからなくなってるわよ。笑いたきゃ笑いなさいよ!」


 有羽はそう言うと、両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込んでしまう。


「そもそも、あたしはホテルとしか聞いていなかったのよ……。こんな、……ラ、ララ、……ラブホテル、だなんて、あたしは知らなかったの……」


 しゅんと萎れた花のようになってしまった有羽を見ながら、アンリが「ああ……」と苦笑いでつぶやく。櫂ならきっと、その部分は伝えないだろう。アンリは、櫂がそういう男だと知っていた。

 それは別に意地悪だとか、うっかりだとかではなくて、単純に彼にとってその事柄が「わざわざ伝えるほどではない取るに足らないこと」であるというだけなのだ。彼のそういう部分には、アンリも覚えがあった。


 ――あれは、アンリがまだピチピチの女子高生をやっていた頃。櫂に仕事の手伝いを頼まれた時の事だった。


「これを着てこの場所に来てくれ」


 櫂にそう言われて、アンリは慣れないワンピースを着て集合場所へ向かった。総レースの白いワンピースだった。伸ばしかけのミディアムヘアも、服に合わせて少しだけ巻いたし、普段は何もしない目元にも、ラメ入りのピンクブラウンのアイシャドウを塗った。多分、あの日の自分は可愛かったと、アンリは今振り返ってもそう思う。

 そわそわしながら周りを見回すと、右にも左にもカップル。そりゃそうだろうなと、視界の端、大きな赤い「LOVE」のオブジェを見ながら思う。無数のカップルたちに囲まれて、アンリは少々居た堪れない気持ちになっていた。


「すまない、待たせた」


 ようやく現れた待ち合わせ相手にホッとしたのも束の間、やってきた櫂は何の躊躇いもなくアンリを壁に押し付ける形で覆い被さり、その額にキスをした……フリをして話しかけてきたのだ。


「五時の方向、ターゲット」


 ほとんどゼロ距離の囁き声が鼓膜をくすぐる。息遣いすら感じられるほどの距離。アンリの鼻腔を満たすのは、櫂の胸元からふわりと香るシーケーワン。

 もちろん、アンリに櫂に対する恋愛感情なんてものは微塵もない。しかし、だからといってこの状況に何も感じないほど鈍感でもない。ドクンと心臓が大きな音を立てる。どんどん早くなっていく鼓動の音に、頭の中で何度も「落ち着け」と復唱する。


「あの紺色のウインドブレーカー、でしょ。もらった資料には目を通してある」


 鼓動の音を誤魔化すように、精一杯平静を装ってそう言った。近距離ゆえの少し掠れた囁き声のおかげで、上ずって震える声を誤魔化せた気がする。


「話が早いな、行くぞ」


 そう言って櫂は慣れた手つきでアンリの手を取る。互いの指を交互に絡ませた、所謂恋人繋ぎの形である。少しの無駄もないその所作に反して、彼の表情には色気というものが微塵もない。

 その瞬間、アンリは確信した。この男にとって、色恋というものは任務を成功させるための手段の一つでしかないのだと。そもそもこの一件ですら、アンリは櫂と自分が恋人のふりをする事を聞かされていなかったのだ。合流して、自らの手を引かれてようやく、今回の相棒に女性である自分が選ばれた理由を理解したくらいだ。

 櫂というのはそういう男なのだ。いくら互いに恋愛感情がないとは言えども、大抵の人間はそういう行為に対して、少なからず抵抗や恥じらいがあるという事を理解していない。だから、のだ。

 何度も言うが、別に意地悪だとかうっかりだとかではない。櫂にとってそれは、あえて伝える必要もない取るにならない事、それだけなのである。今でこそ櫂のそんな態度を「そういう男だから」と気にもしなくなったが、若かったあの頃はしょっちゅうドギマギさせられたものだ。

 あの兄貴が居ながら、よくもまあ妹の方はこうも健全に育ったものだと、部屋の隅で頬を赤らめる有羽の様子に感心してしまう。


「ところで、先に風呂をもらってもよいかの?」


 ラブホテルという場所の異質さに浮き足立っている皆の雰囲気をぶった斬って、そう言ったのはオリアスだった。


「風呂!?その風呂!?」


 有羽が上げたのは、ほとんど叫びに近い動揺の声。彼女が指を指す先には、ガラス張りの浴室。


「なんじゃ?何が問題があるかえ?」

「大ありよ!!あんな場所で、はっ……裸になるなんて……!」

「ほう?」


 有羽に言われてなお、オリアスは有羽が動揺する理由にピンと来ていない様子である。


「けど、興味はあるよね」


 ベッドに寝転がったままのアンリがそう言う。


「実際さ、オリアスってどっちなの?」

「ほう、嬢ちゃんはそんなことが気になるのか?」

「そりゃあ気になるでしょ。繁殖に性行為を必要としない悪魔のそこがどうなってるのか。確認できるチャンスもそう多くないしね」


 そう言いながらアンリが指差すのは、オリアスの下半身。ぐるぐると指を回しながら、目を細めニィと口角を上げる。


「ほほう、ならば見せてやろう」


 オリアスが勢いよくスカートを捲り上げる。顔を伏せる有羽、興味なさそうなフリをしてしっかりと覗き込む杏花、やれやれと言った様子で目を逸らすファイ、そして正面から凝視するアンリ。


「どうじゃ、存外つまらんじゃろ?」

「いいや、これはこれで興味深いよ」


 結論から言えば、どちらも無かった。何もないつるりとした陰部は、一周回って人形の様な耽美な色気を感じさせる。


「けど、不思議だ。性差がないにも関わらず、あんた達の見た目はハッキリと人間の女性と男性の形を取っている」

「単純な話じゃよ。見た目は模倣できるが、見えていない部分までは模倣できん。サキュバスやインキュバスのように、徹底的に調べ上げて人間の体を模倣しておる種族も居るが、大抵の悪魔にはそこまで人の形を再現する利点はないからの」


 ふわり軽いシフォン素材の裾が、空気の抵抗を受けながらゆっくりと下降する。


「しかし、我々の起源はヒトに憧れて堕天してきた者達じゃ。前提としてヒトというものが好きなんじゃよ。悪魔は自身が美しいと感じたものに擬態するが、大方の悪魔が人型をしておるのはこれが理由じゃ」

「あんたの容姿もそうなのか?」

「うむ、この世のものとは思えんくらいに美しい娘じゃった」


 そう言って遠くを見つめるオリアスの瞳は、一匙ほどの哀愁を含んでいた。


 

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