第9話「感情レンタル」
## プロローグ:感情のない世界
ミサキは、母の葬式に立っている。
棺の中——母の顔。
周りの人々——泣いている。
叔母が、ミサキに言う。
「ミサキちゃん……辛いわね」
ミサキは——頷く。
「はい」
でも——泣けない。
悲しくない。
何も、感じない。
葬式が終わる。
親戚が、ミサキに言う。
「一人で大丈夫?」
「大丈夫です」
「何かあったら、連絡してね」
「はい」
ミサキは——家に帰る。
一人。
母が死んだ。
でも——何も感じない。
ミサキは——鏡を見る。
無表情。
「私……おかしいのかな」
---
ミサキは、二十八歳。
生まれつき——無感情症。
正式名称:「感情鈍麻」
喜び——感じない。
悲しみ——感じない。
怒り——感じない。
恐怖——感じない。
愛——感じない。
幼い頃から——そうだった。
友達が笑う——意味が分からない。
何が、面白い?
友達が泣く——意味が分からない。
何が、悲しい?
ミサキは——演技を覚えた。
笑う演技。
泣く演技。
怒る演技。
驚く演技。
でも——全部、嘘。
何も、感じていない。
---
ある日、ミサキは広告を見る。
【フィーリングレンタル】
他人の感情を、体験してみませんか?
1時間1,000円〜
ミサキは——クリックする。
---
## 第一章:初めての感情
アプリをダウンロード。
画面に——感情のリストが表示される。
【人気ランキング】
1位:初恋の喜び
2位:達成感(試験合格)
3位:大笑い(お笑いライブ)
4位:感動の涙(映画鑑賞)
5位:愛情(ペットを撫でる)
ミサキは——1位を選ぶ。
「初恋の喜び」
価格——1,000円。
決済完了。
説明——
1. デバイスを装着
2. 横になる
3. 再生ボタンを押す
4. 1時間後、自動終了
翌日、デバイスが届く。
ヘッドホンのような形。
ミサキは——装着する。
横になる。
再生ボタン。
---
最初——何も起こらない。
数秒後——
胸が、温かくなる。
「……これ」
ミサキは——驚く。
胸が——ドキドキする。
顔が——熱い。
笑顔が——勝手に出る。
「これが……喜び?」
ミサキは——涙が出る。
初めて——感情を感じた。
嬉しい。
こんなに、温かい。
こんなに、幸せ。
「ああ……」
ミサキは——笑う。泣きながら、笑う。
1時間後——
感情が、消える。
ミサキは——元に戻る。
無表情。何も感じない。
でも——
「もう一度……」
---
## 第二章:感情中毒
一週間後。
ミサキは——毎日、レンタルしている。
月曜:「大笑い」
火曜:「感動の涙」
水曜:「達成感」
木曜:「愛情」
金曜:「初恋の喜び」(2回目)
土曜:「怒り」(試してみた)
日曜:「恐怖」(ホラー映画)
ミサキは——初めて、生きている実感がある。
感情がある時——
世界が、輝いて見える。
人々が、美しく見える。
食事が、美味しく感じる。
音楽が、心に響く。
でも——
レンタルが終わると——
全部、消える。
世界は、灰色。
人々は、ただの物体。
食事は、無味。
音楽は、雑音。
ミサキは——気づく。
「私、依存してる」
---
## 第三章:自分の感情
ある日、ミサキは——「悲しみ」をレンタルする。
「母の死を悼む」
価格——1,500円。
再生。
胸が——締め付けられる。
涙が——止まらない。
「お母さん……」
ミサキは——泣く。
初めて——母の死を、悲しむ。
「ごめんなさい……」
「あの時、何も感じなくて……」
「でも、今は——悲しい」
ミサキは——泣き続ける。
1時間後——
感情が、消える。
ミサキは——無表情に戻る。
でも——
「今の悲しみ……本当に私の?」
ミサキは——分からなくなる。
レンタルした感情——他人の感情。
でも——
今、感じた悲しみ——
自分の悲しみ?
それとも——
他人の悲しみを、借りただけ?
---
## 第四章:感情の区別
二週間後。
ミサキは——レンタルをやめてみる。
一日中、デバイスを使わない。
朝——
何も感じない。
昼——
何も感じない。
夜——
何も感じない。
「やっぱり……私には、感情がない」
でも——
ふと、思う。
「本当に?」
ミサキは——過去を思い出す。
子供の頃——
友達が転んで、泣いた。
ミサキは——笑った。
先生に叱られた。
「なんで笑うの!」
ミサキは——答えた。
「面白かったから」
先生が——怒った。
でも——ミサキは理解できなかった。
何が、悪い?
---
学生時代——
クラスメイトが、告白された。
「嬉しい!」
クラスメイトが泣いて喜んだ。
ミサキは——見ていた。
何が、嬉しい?
---
社会人——
同僚が、昇進した。
「やった!」
同僚が喜んだ。
ミサキは——見ていた。
何が、そんなに?
---
ミサキは——今まで、ずっと——
「感情がない」と思っていた。
でも——
本当は?
「感情はあるけど……感じられないだけ?」
それとも——
「感情が、本当にない?」
分からない。
---
## 第五章:実験
ミサキは——実験をする。
レンタルなしで、感情を感じられるか。
実験①:お笑い番組を見る
テレビをつける。
お笑い芸人が、コントをしている。
観客——大笑い。
ミサキ——無表情。
「……面白くない」
レンタルで「大笑い」を体験した時——
お腹が痛くなるほど、笑った。
でも——今は、何も。
実験②:悲しい映画を見る
ヒューマンドラマ。
主人公が、死ぬ。
観客——泣いている。
ミサキ——無表情。
「……悲しくない」
レンタルで「感動の涙」を体験した時——
号泣した。
でも——今は、何も。
実験③:自分を叩く
ミサキは——自分の頬を、叩く。
痛い。
でも——怒りは、ない。
レンタルで「怒り」を体験した時——
叫びたくなるほど、怒った。
でも——今は、何も。
結論——
ミサキには、感情がない。
レンタルなしでは——何も感じない。
---
## 第六章:混乱
ミサキは——また、レンタルを始める。
今度は——いろんな感情を試す。
「嫉妬」
「不安」
「幸福感」
「絶望」
「恋心」
「憎しみ」
「感謝」
すべて——初めて感じる。
ミサキは——記録をつける。
ノートに、書く。
今日感じた感情:嫉妬
時間:1時間
感想:胸が苦しい。相手を憎んでしまう。嫌な感情。
今日感じた感情:幸福感
時間:1時間
感想:温かい。ずっとこの感情でいたい。
ミサキは——読み返す。
「これ……全部、本当に私が感じたの?」
分からない。
レンタルした感情——
他人の脳波データ。
他人が感じた感情。
でも——
ミサキの脳に、転送された。
ミサキが、体験した。
じゃあ——
それは、ミサキの感情?
---
## 第七章:境界線
ある日、ミサキは——レンタル中に、事故を起こす。
「幸福感」をレンタル中——
外を歩いていた。
車が——突っ込んでくる。
ミサキは——避ける。
間一髪。
その瞬間——
レンタルが、途切れる。
デバイスのエラー。
ミサキは——地面に倒れる。
心臓が——バクバク。
手が——震える。
「これ……」
恐怖?
でも——レンタルは、途切れている。
「これ、私の感情?」
ミサキは——初めて、自分の感情を感じた。
恐怖。
生命の危機を感じた時——
本能的な、恐怖。
「私にも……感情が、あった」
ミサキは——泣く。
嬉しい?
いや——これもレンタル?
分からない。
---
## 第八章:自分が分からない
一ヶ月後。
ミサキは——毎日、レンタルしている。
一日に——複数回。
朝:「やる気」
昼:「満足感」
夜:「リラックス」
ミサキは——もう、レンタルなしでは生きられない。
感情がない時間——
死んでいるよう。
ある日——
ミサキは、友人に会う。
久しぶり。
友人——「ミサキ、最近変わったね」
「変わった?」
「うん。なんか……表情、豊かになった」
ミサキは——笑う。
これは——レンタルの「喜び」。
「そう?」
「昔は、もっと無表情だったのに」
ミサキは——気づく。
自分は——今、演技していない。
レンタルの感情——
自然に、表に出る。
「私……誰?」
---
夜。
ミサキは——レンタルを全部止める。
一日中、何も感じない。
鏡を見る。
無表情。
「これが、私」
でも——
昼間、友人に会った時の「笑顔」——
あれは?
レンタルの感情。
でも——
自然に出た。
じゃあ——
あれは、私?
それとも——
他人?
ミサキは——分からなくなる。
---
## エピローグ:境界のない世界
三ヶ月後。
ミサキは——一日中、レンタルしている。
起きてから寝るまで——
ずっと、誰かの感情。
朝:「爽快感」
通勤:「集中力」
仕事:「やる気」
昼休み:「満足感」
午後:「達成感」
帰宅:「安心感」
夕食:「幸福感」
就寝前:「リラックス」
ミサキは——もう、自分の感情が何か分からない。
全部——レンタル。
でも——
もう、気にしない。
「これが、私の感情」
レンタルでも——
感じたのは、私。
だから——
私の感情。
ミサキは——笑う。
この笑顔——
レンタルの「喜び」。
でも——
もう、区別できない。
---
別の場所。
別の無感情症の人——
彼は——レンタルを拒否した。
「偽物の感情なんて、いらない」
彼は——今も、無表情。
何も、感じない。
でも——
「これが、俺だ」
---
別の場所。
健常者の人——
彼女も、レンタルを使い始めた。
「自分の感情、疲れた」
彼女は——毎日、他人の「幸福感」をレンタルする。
自分の「不安」を、感じないために。
「楽……」
---
フィーリングレント社——
利用者——1,000万人突破。
無感情症の人——10万人。
健常者——990万人。
健常者の方が——圧倒的に多い。
理由——
「自分の感情より、他人の感情の方が、楽」
---
ミサキは——今日も、レンタルする。
「幸福感」
胸が、温かくなる。
笑顔が、出る。
「幸せ」
これは、本当に私?
それとも——
他人?
もう——
どっちでもいい。
ミサキは——生きている。
それだけで——
十分。
---
夜。
ミサキは——ふと、レンタルを止めてみる。
1分だけ。
無表情に戻る。
何も、感じない。
「……」
ミサキは——すぐに、レンタルを再開する。
「幸福感」
また、笑顔。
「やっぱり、これがいい」
自分の感情——
もう、分からない。
探す気も——ない。
レンタルの感情で——
生きていく。
それが——
ミサキの、人生。
---
どこかで——
本物のミサキは、いる。
感情のない、ミサキ。
でも——
もう、会うことは——ない。
ミサキは——
レンタルの感情で、
塗りつぶされた。
それでも——
ミサキは、笑っている。
【終】
失われていくもの——現代の9つの寓話 あなたは、何を失っているのか ソコニ @mi33x
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