第4話「名前を盗む者」



## プロローグ:名前の世界


この世界には——法律がある。


「名前登録法」


生まれた子供には、必ず名前を登録しなければならない。登録された名前は——個人の資産として扱われる。


名前があれば——学校に行ける。仕事ができる。結婚できる。投票できる。


名前がなければ——何もできない。存在しないも、同然。


そして——この世界では、名前を売買できる。


富裕層は——複数の名前を持つ。「本名」「通称」「ビジネスネーム」——全て、貧困層から買った名前。


なぜ、名前を売るのか。生きるため。


名前一つ——100万円。子供の名前を売れば、一年は食べていける。


だから——貧困層の子供たちは、名前を奪われる。


「名無し」


この世界の、最下層。彼らは——影のように生きる。


誰にも見えず。誰にも認識されず。ただ——生きているだけ。


---


## 第一章:名無しの少女


「おい、どけ」


男が、少女を押しのける。少女は——倒れる。痛い。


でも——誰も、助けない。誰も、見ていない。


いや——見えていない。


少女は——「名無し」。


この世界では、名無しは——視界に入らない。脳が、認識を拒否する。


少女は——立ち上がる。十七歳。名前——ない。


服はボロボロ。髪は伸び放題。でも——誰も、気づかない。


少女は——街を歩く。高層ビル。きらびやかな店。笑顔の人々。


誰も——少女を見ない。少女は——慣れている。生まれた時から、こうだった。


ある日。少女は——古い倉庫にたどり着く。ここは——「名無し」たちの隠れ家。


扉を開ける。中には——数十人の名無し。


みんな——薄汚れている。疲れている。


でも——ここでは、見える。名無し同士は——お互いを認識できる。


「新顔か」


老人が、少女に声をかける。少女は——頷く。


「ここに、住んでいいか?」


老人が笑う。


「好きにしろ。ここは、誰のものでもない」


---


## 第二章:名無したちの生活


倉庫の中。名無したちは——それぞれの生活をしている。


ある者は——ゴミを漁る。ある者は——古い本を読む。ある者は——ただ、座っている。


少女は——一人の青年に話しかける。


「あなたも、名無し?」


青年が頷く。


「ああ。五年前に、名前を奪われた」


「誰に?」


「父親に」


少女は——息を呑む。青年が続ける。


「父親の借金返済のために、俺の名前が売られた」


「その日から——俺は名無し」


少女が聞く。


「取り戻そうとは?」


青年が首を振る。


「無理だ。売られた名前は——もう戻らない」


別の女性に聞く。


「あなたは?」


女性が答える。


「私は——生まれた時から、名無し」


「母が、私の名前を——産んですぐ売った」


「理由は……生活費」


少女は——自分も同じだと思う。


「私も……」


夜。少女は——老人に聞く。


「名前を、取り戻す方法は——ないんですか?」


老人が答える。


「ある」


少女が目を輝かせる。


「本当ですか!」


老人が続ける。


「だが——簡単じゃない」


「名前を盗み返すんだ」


「盗む?」


「そう。奪った者から——盗み返す」


老人が、古い紙を取り出す。


「これが、名前盗難の儀式」


紙には——複雑な文字と図。


「奪った者の名前を書いた紙を——燃やす」


「そうすれば——名前が、元の持ち主に戻る」


少女が聞く。


「でも……誰が奪ったか、分からない」


老人が言う。


「戸籍を調べろ。名前売買の記録は——残ってる」


---


## 第三章:真実の探求


少女は——市役所に忍び込む。


深夜。警備員は——少女を見ない。名無しだから。


少女は——地下の記録室へ。古いコンピューター。


パスワードは——知っている。名無したちの間で、共有されている情報。


ログイン成功。


検索——


「出生日:2008年3月15日」


「出生地:東京都」


「性別:女」


結果——一件。画面に——情報が表示される。


氏名:(売却済み)

売却日:2008年3月16日

売却者:母親

購入者:山田太郎

売却額:1,000,000円


少女は——震える。産まれて、一日で——売られた。


母親の名前を見る。


「佐藤花子」


「母さん……」


少女は——涙が出そうになる。でも——泣けない。


悲しみより——怒りが、強い。


「許さない」


少女は——購入者の住所を控える。


山田太郎

住所:東京都港区……


「この人が——私の名前を持ってる」


---


## 第四章:盗まれた名前


少女は——山田太郎の家に行く。


高級マンション。警備員がいる。でも——少女は見えない。名無しだから。


少女は——正面から入る。エレベーターに乗る。誰も、気づかない。


最上階——ペントハウス。ドアを開ける。鍵はかかっていない。


(名無しは、誰も認識しないから)


中に入る。広いリビング。豪華な家具。


そして——壁に、額縁。中には——名前のリスト。


【所有名前リスト】

本名:山田太郎

通称①:佐藤一郎

通称②:田中次郎

ビジネスネーム:鈴木三郎

……


20個以上の名前。


少女は——その中に、自分の名前を見つける。


「佐藤ユイ」


「これが……私の名前」


初めて知る、自分の名前。ユイ。


「ユイ……」


声に出してみる。違和感。まるで——他人の名前のよう。


その時——


「誰だ」


声がする。振り向くと——中年の男。山田太郎。


だが——少女を、見ていない。


「誰もいない……気のせいか」


男は——去る。少女は——ホッとする。


でも——やるべきことがある。


少女は——紙とペンを取り出す。


「山田太郎」


名前を書く。そして——マッチで、燃やす。


紙が——炎に包まれる。男が——突然、叫ぶ。


「うわあああああ!」


男が——崩れ落ちる。


「名前が……消える……」


男の体が——透明になっていく。名無しに、なっていく。


少女は——見ている。男が——完全に透明になる。


そして——少女の体が——見えるようになる。


鏡を見る。自分が、映っている。初めて——自分を、見た。


「これが……私」


---


## 第五章:母との再会


少女は——いや、ユイは——母の住所を調べる。


古いアパート。ドアをノックする。


「はい……?」


扉が開く。そこには——疲れ果てた女性。


四十代。白髪混じり。痩せこけている。


「あなた……誰?」


ユイは——答える。


「私……あなたの娘」


母が——目を見開く。


「ユイ……?」


ユイが頷く。母が——泣き崩れる。


「ごめんなさい……ごめんなさい……」


ユイは——何も言えない。母が続ける。


「あなたを売ったの……私」


「でも……あなたの名前を売らないと——」


「あなたも、私も——餓死するところだった」


ユイは——母を見る。母の体——名前がある。


「お母さん、あなたの名前は?」


母が答える。


「佐藤花子……」


ユイは——気づく。母は、自分の名前を守った。娘の名前を売って。


ユイは——怒りと悲しみで混乱する。


「なんで……なんで私じゃなくて、自分の名前を守ったの!」


母が泣く。


「ごめんなさい……」


「あなたには、新しい名前をあげるつもりだった」


「お金を貯めて、名前を買い戻すつもりだった」


「でも……」


母が、咳き込む。血が——口から出る。


「病気に……なって」


ユイは——震える。


「お母さん……」


母が笑う。


「でも……会えてよかった」


「あなた、立派に——生きてたのね」


---


## 第六章:選択


ユイは——決断を迫られる。


老人から教わった「儀式」。母の名前を書いて、燃やせば——母から名前を奪える。


そうすれば——ユイは、「佐藤花子」になれる。母は、名無しになる。


ユイは——紙とペンを持つ。


「佐藤花子」


書こうとする。だが——手が、震える。


母を見る。母は——もう、長くない。病気で、弱っている。


名無しになったら——すぐ死ぬ。


ユイは——迷う。


「私は……どうすればいい?」


その時——倉庫の仲間たちが、訪ねてくる。


「ユイ、どうした?」


青年が聞く。ユキは——状況を説明する。


青年が言う。


「奪い返せ。お前の権利だ」


別の女性が言う。


「でも……母親を殺すことになる」


老人が言う。


「それが、この世界のルールだ」


ユイは——紙を、破り捨てる。


「やらない」


青年が驚く。


「なんで!」


ユイが答える。


「私は……母を殺せない」


「たとえ、名前を奪われても」


青年が叫ぶ。


「じゃあ、お前はまた——名無しになるのか!」


ユイが首を振る。


「違う」


ユイは——新しい紙を取り出す。そして——書く。


「ナナシ」


「これが、私の名前」


---


## 第七章:新しい名前


翌日。ユイ——いや、ナナシは——市役所に行く。


「名前を、登録したい」


受付が——困惑する。


「名前を……登録?」


「そう。自分でつけた名前を」


受付が言う。


「それは……できません」


「名前は、親が登録するか——購入するか、です」


ナナシが言う。


「じゃあ、法律を変えてください」


受付が笑う。


「そんなこと、できるわけ——」


ナナシが——大声で叫ぶ。


「なんで、名前を自分でつけちゃいけないんですか!」


周囲の人々が——ナナシを見る。


(ナナシは、もう名無しじゃないから——見える)


ナナシが続ける。


「私は、ナナシです!」


「これが、私の名前!」


「誰にも、奪われない!」


受付が——何も言えない。だが——一人の女性が、拍手する。


「その通りだわ」


別の男性も、拍手する。


「名前は、自分で決めるべきだ」


拍手が——広がる。ナナシは——泣く。


初めて、認められた。


---


## エピローグ


三年後。法律が、変わった。


「名前自己決定法」


誰でも——十八歳になれば、自分で名前をつけられる。名前の売買は——禁止された。


ナナシは——今も、ナナシ。名前を変えなかった。


「これが、私だから」


母は——亡くなった。最期に、言った。


「ナナシ……いい名前ね」


今。ナナシは——名無したちの支援をしている。


「自分で、名前をつけよう」


ある日。一人の少女が、訪ねてくる。


「私……名前が、ないんです」


ナナシが笑う。


「大丈夫。自分でつければいい」


「どんな名前が、いい?」


少女が——考える。そして——


「ヒカリ」


「光……」


ナナシが頷く。


「いい名前だ」


少女が——笑う。初めての、笑顔。


ナナシは——窓の外を見る。街を歩く人々。


ある者は、親からもらった名前で生きている。ある者は、自分でつけた名前で生きている。


どちらが正しいのか——ナナシには、分からない。


ただ——自分は、ナナシでいたい。


それだけ。


【終】

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