第2話「二人目の妻」

プロローグ

控室の時計が、午後3時を指している。

通夜はまだ続いている。外では読経の声が響いている。でも、この部屋の中は静まり返っていた。

三人の女。

恵子、美咲、由紀。

全員が、川崎健一の妻だと名乗っている。

「あの…」

最初に口を開いたのは、一番若い由紀だった。

「お二人とも、健一さんと…本当に結婚を?」

「ええ」美咲が答える。「10年前に婚姻届を出しました。息子もいます」

「私は17年前」私、恵子は言った。「子供はいません」

由紀は震える手で、自分のスマートフォンを取り出した。

「私は5年前です。双子がいます。ユウとアイ。今、3歳で…保育園に預けてきました」

画面には、二人の幼児が映っている。男の子と女の子。二人とも、健一の目をしている。

私の胸が締め付けられる。

健一には、子供が三人いた。

いや、正確には五人。美咲の息子が一人、由紀の双子が二人。

そして私には、いない。


第一章:証拠の突きつけ合い

「待ってください」

美咲が立ち上がった。

「私、理解できません。健一さんは、私の夫です。毎週必ず家に帰ってきました。息子の翔太を溺愛していました。どうして…」

「私もです」由紀が泣きながら言う。「健一さんは、毎週月曜日と木曜日は必ず家にいました。双子のおむつを替えて、ご飯を作って、寝かしつけてくれました」

月曜日と木曜日。

健一が「ジムに行く」と言っていた日だ。

「健一は土日、家にいました」私は言った。「いえ、月に二回はゴルフだと言って出かけましたが…」

「その週末、健一さんは私の家にいました」美咲が言う。

「月に二回のゴルフの日は、健一さん、私の家にいました」由紀が続ける。

私たちは、お互いを見つめた。

パズルのピースが、恐ろしい絵を作り始めている。

「証拠を見せましょう」

美咲はバッグから、クリアファイルを取り出した。中には、何枚もの書類が入っている。

婚姻届の受理証明書。

住民票。

健康保険証。

そして、写真。

健一と美咲が、神社で写っている。白無垢と紋付袴。結婚式の写真だ。

「これは10年前、私たちが挙げた結婚式です。神前式でした。健一さんの希望で」

私の手が震える。

「私も…神前式でした」

「え?」

美咲が顔を上げる。

私もバッグから、スマートフォンを取り出した。写真フォルダを開く。

17年前の写真。

私と健一が、同じように神社の前で写っている。白無垢と紋付袴。

「これ、うちの近くの神社です」私は言った。「健一が『家族を大切にする伝統的な式がいい』と言って」

美咲の顔が蒼白になる。

「私が挙げたのも…近所の神社です」

二人は顔を見合わせた。

そして、由紀が小さな声で言った。

「私も…です」


第二章:重なる生活

由紀もスマートフォンを操作する。

画面に映ったのは、やはり神前式の写真。5年前、由紀はまだ23歳だったはずだ。初々しい笑顔。そして、隣には健一。

同じ紋付袴。

同じ笑顔。

「健一さん、『君との結婚式は一生の思い出にしたい』って言ってくれました」由紀が泣く。「それが…嘘だったんですか?」

私は何も言えなかった。

美咲も黙っている。

テーブルの上に、三枚のスマートフォンが並ぶ。三つの結婚式。三つの笑顔。一人の男。

「健一さんの仕事は、何だと聞いていましたか?」

美咲が二人に聞く。

「営業です」私は答えた。「全国を飛び回っていると」

「いいえ、経理です」美咲が言う。「本社勤務。残業が多いと」

「コンサルタントです」由紀が言った。「クライアント先に常駐していると」

三人は絶句した。

営業。経理。コンサルタント。

全部違う。

「住所は?」美咲が聞く。

「世田谷区」私は答えた。

「目黒区」美咲。

「品川区」由紀。

全部違う住所。

でも、どれも東京23区内。電車で30分圏内。

「健一さん、どうやって…」由紀が呟く。

美咲が冷静に言った。

「スケジュール管理です。徹底的な。曜日ごとに家を分けて、出張や残業を理由に調整して」

私は手帳を取り出した。健一のスケジュールを、私なりに把握していたつもりだった。

月曜:ジム(実際は由紀の家)

火曜:自宅

水曜:会食(実際は美咲の家)

木曜:ジム(実際は由紀の家)

金曜:自宅

土日:自宅(月2回は美咲・由紀の家)

「完璧なローテーション…」私は呟いた。

「携帯電話は?」美咲が聞く。

「一つです」私は答えた。「でも、よく圏外になって連絡が取れないことがありました」

「私もです」由紀が頷く。

美咲が苦笑した。

「私もです。健一さん、『仕事中は電源を切っている』と言っていました」

三人の妻が、同じ理由で連絡が取れなくなっていた。

健一は、三つの携帯を使い分けていたのだろう。


第三章:記憶の中の健一

「あの…」

由紀が震える声で言った。

「私、健一さんのこと、本当に愛していました。双子が生まれた時、健一さん泣いて喜んでくれて…」

「翔太が生まれた時も、健一さんは泣きました」美咲が言う。「『父親になれて幸せだ』って」

私は黙っていた。

私には、その記憶がない。

子供がいないから。

「健一は優しかったです」私は言った。「いつも私を気遣ってくれて。記念日には花を買ってきてくれて」

「健一さん、よく花を買ってきてくれました」由紀が言う。

「毎週水曜日、花を持って帰ってきました」美咲が言う。

また重なった。

健一は、三人全員に花を買っていた。

「好きな食べ物は?」美咲が聞く。

「ハンバーグ」私は答えた。「よく作りました」

「カレーです」由紀。

「肉じゃが」美咲。

全部違う。

健一は、それぞれの家で違う「好物」を持っていた。

「記念日はいつですか?」私が聞く。

「4月3日」美咲。「婚姻届を出した日」

「9月12日」由紀。「健一さんと初めて会った日」

「6月18日」私。「プロポーズされた日」

全部違う記念日。

健一は、三つのカレンダーを頭の中に持っていた。

私たちは、それぞれ違う「健一」と暮らしていた。


第四章:美咲の怒り

「許せない」

美咲が、テーブルを叩いた。

「こんなの、許せない! 私たちは何だったの? 健一さんにとって、私たちは何だったの!」

美咲の目から、涙が溢れる。

「翔太に何て説明すればいいの! 『パパはね、実は他に二人妻がいたんだよ』なんて!」

由紀も泣いている。

「双子は、まだパパが死んだことも理解できてないのに…」

私も涙が止まらない。

でも、怒りはまだ湧いてこなかった。

ただ、混乱している。

これは現実なのか。

悪い夢なのか。

「弁護士に相談しましょう」

美咲が言った。

「戸籍を調べれば、真実がわかるはずです。どれが本当の婚姻で、どれが嘘なのか」

「そうね…」私は頷いた。

由紀も小さく頷く。

「でも、今日は通夜です」私は言った。「とりあえず、外では普通に振る舞いましょう。健一の会社の人たちに、変に思われたくありません」

「そうですね」美咲が頷く。「明日、告別式が終わってから、三人で話し合いましょう」

「わかりました」由紀も頷いた。

三人は立ち上がった。

そして控室を出る。

廊下で、私たちは健一の同僚たちとすれ違った。

「奥様、お疲れ様です」

「ありがとうございます」

私は微笑んだ。作り笑い。

美咲と由紀は、少し離れた場所で焼香をしている。

誰も気づいていない。

この葬儀場に、健一の妻が三人いることに。


第五章:通夜振る舞い

通夜が終わり、通夜振る舞いの席が設けられた。

健一の同僚たちが、思い出話をしている。

「川崎さん、本当に真面目な人でしたよ」

「経理の仕事、完璧にこなしていました」

経理。

やはり、健一の本当の職種は経理だった。

私に嘘をついていた。

「奥様、お加減は大丈夫ですか?」

健一の上司らしき男性が話しかけてくる。

「はい…何とか」

「川崎さん、いつも奥様のことを大切にしていましたよ。『妻が一番大事だ』って」

その言葉が、胸に刺さる。

妻が一番大事。

どの妻?

「ありがとうございます」

私は頭を下げた。

ふと、部屋の隅を見ると、美咲がいた。

彼女も同僚たちと話している。

「美咲さん、久しぶり。元気だった?」

「ええ、まあ…」

「川崎さんの奥さんなのね、やっぱり」

「え?」美咲が固まる。

「いや、川崎さんがよく美咲さんの話してたから。『妻が元同僚で』って」

美咲は力なく笑った。

「そう、ですか」

私は、その会話を聞いて、理解した。

健一の会社の人たちは、美咲のことを「妻」だと思っている。

では、私は何?

そして、由紀は?


第六章:由紀の発見

通夜振る舞いが終わり、人々が帰り始めた頃。

由紀が私と美咲に近づいてきた。

「あの、ちょっといいですか」

三人は再び控室に入った。

由紀はバッグから、一冊のノートを取り出した。

「これ、健一さんの家にあったんです。今日、慌てて取ってきました」

ノートを開く。

そこには、びっしりとスケジュールが書かれていた。

月曜:Y宅(由紀)

火曜:E宅(恵子)

水曜:M宅(美咲)

木曜:Y宅

金曜:E宅

土曜:E宅またはM宅

日曜:E宅またはY宅

「イニシャル…」私は呟いた。

美咲が顔を覆った。

「計画的だったんだ…全部」

ノートには、他にも細かいメモがあった。

E:花が好き(バラ)、記念日6/18、ハンバーグ

M:花が好き(カーネーション)、記念日4/3、肉じゃが

Y:花が好き(チューリップ)、記念日9/12、カレー

私たちの好みが、すべてメモされている。

「これって…」由紀が震える。

「マニュアルよ」美咲が吐き捨てるように言った。「私たちを管理するためのマニュアル」

私は、ページをめくった。

最後のページに、こう書かれていた。

「三人とも大切。誰も失いたくない。このまま続けられますように」

健一の筆跡。

私は、ノートを閉じた。

「明日」私は言った。「告別式が終わったら、弁護士に相談しましょう」

「ええ」美咲が頷く。

「わかりました」由紀も頷いた。

三人は、お互いを見つめ合った。

敵なのか。

仲間なのか。

まだわからない。

ただ一つ確かなのは、私たちは全員、川崎健一に騙されていたということ。


エピローグ

夜、自宅に戻った。

健一のいない家。

静かで、冷たい。

私はソファに座り、スマートフォンを見つめた。

健一との思い出の写真。

旅行の写真。

結婚式の写真。

すべてが、嘘に見える。

この笑顔は、本物だったのか。

私への愛は、本物だったのか。

携帯が震えた。

美咲からのメッセージだった。

「明日、頑張りましょう。真実を知るために」

すぐに、由紀からもメッセージが来た。

「明日、よろしくお願いします」

私は返信した。

「ええ、よろしくお願いします」

三人の妻。

明日、私たちは健一を葬る。

そして、真実を掘り起こす。

健一、あなたは一体何を考えていたの。

私は天井を見上げた。

涙は、もう出なかった。


第3話「三つの家庭」に続く

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