神をも魅了する少年は神様に愛されたいようです
@kami_ai
第1章 雪と神と、再生の夜
第1話 雪の祠にて ― 神が声をかけた夜 ―
雪は、世界の音を消していた。
踏みしめた足跡が、白に呑まれていく。
吐く息は白く、胸の奥は黒い。
遠くの町では、除夜の鐘が微かに響いていた。
けれどこの山の奥までは、もう誰の声も届かない。
——新しい年を迎える鐘の音さえ、彼には遠かった。
「僕は、生きてるだけで誰かを壊す」
その言葉だけが、最後に残った。
母の泣き顔も、父の怒鳴り声も、今は遠い。
愛されることが、誰かを不幸にする呪いだった。
そんな宿命を背負って、雪杜は雪の夜に消えた。
やがて、山の奥に小さな祠が見えた。
風も息を潜めるほどの静寂の中、寂れた神社が姿を現す。
「……ここでいいかな」
呟いた声が、白い息に変わって消える。
——年の境を越える夜。
雪杜は、死に場所を探して彷徨っていた。
社の中は埃っぽく、長年誰も管理していないことがすぐに分かった。
苔むした床板の軋む音が、世界でただひとつの音のように響く。
——もう、眠ってもいいだろう。
このままここで眠れば凍死できる。
そう思い、社の床に身を横たえた瞬間だった。
「そこな人の子よ――このような場所で、何をしておる」
声は社の奥から響いた。
風がないのに、鈴が小さく鳴る。
雪杜は、まどろみの中で幻聴だと思った。
けれど、確かに足音がした。
「……誰?」
返事の代わりに、光が揺れた。
社の闇の中、灯のような輪郭が形を取る。
白い衣、藍の髪。
十歳ほどの姿をした巫女装束の少女が、翠の瞳で彼を見つめていた。
「妾は、この社を護る神じゃ。
人の子よ、死に場所を選ぶならば、もう少し静かな場所にせぬか」
「……神様、なの?」
雪杜の声はかすれていた。
それでも少女――神は、どこかくすぐったそうに微笑んだ。
「神とて退屈するのじゃ。
ぬしのような者が現れると、つい声をかけてしまう」
「僕なんか、放っておけばいいのに」
「ふむ……妾の加護が届く場所で死のうなど、無礼じゃぞ」
そう言いながらも、その声の端がほんの少し震えていた。
「ぬしの命、まだ温かい。
壊れてなどおらぬ。……まだ、続きがあるのじゃ」
その言葉が胸の奥に触れた瞬間、雪杜はふっと力が抜けていくのを感じた。
涙がこぼれ、視界がぼやける。
雪の冷たさと声の温かさの境目が、そのまま意識の縁になった。
神様の輪郭が揺れ、雪杜の世界がゆっくり暗く沈んでいく。
───闇が、そっと落ちた。
───
雪杜は、自分がまだ生きていることに気づいた。
頬に触れるのは冷たい木の床。
そして、傍らに置かれた一枝の
「……夢、だったのかな」
起き上がった彼の前で、榊がふっと揺れた。
風はない。けれど、その葉の間から、あの声がした。
「夢で済むなら、妾の加護も楽なものじゃ」
姿を現した神は、朝の光を背にしていた。
藍の髪が雪の白に滲み、瞳だけが確かな現実を映している。
「ぬし、まだ死んでおらぬな。……良きことじゃ」
「僕……どうして……」
「妾が妨げた。ぬしの魂が流れを外れかけておった故な」
雪杜は言葉を失う。
彼女の声は澄んでいて、なのにどこか人間の温度を持っていた。
「なんで、助けたの?」
神は少し黙って、雪の外を見やった。
白一色の世界に、わずかに朝焼けの紅が滲む。
「理由など、ないのじゃ。……ただ、ぬしの心の音が、あまりに騒がしかった。
怒りと悲しみと、己を呪う声が、雪より冷たく響いておった。
妾、それが……少し怖かったのじゃ」
雪杜は息を呑んだ。
神が“恐れ”を語るなど、あり得ないと思った。
だがその声音には、確かに人間の震えがあった。
彼は立ち上がり、震える手で頭を下げた。
「ありがとう……神様」
神は目を瞬かせ、小さく首をかしげた。
「神様、とな。妾には名があるのじゃ」
「名?」
「うむ。妾の名は――
藍の髪が光を受けて揺れ、翠の瞳がほんの少し細められる。
「そなたの名は、なんと言う?」
「……天野 雪杜」
「雪杜、か。ふむ……“雪”の音に“杜”の響き、良い名じゃの」
雪杜が目を瞬かせる。
「字まで。どうして分かったの?」
「名というものは音に宿る。妾ほどの神なら、言葉の形くらいは見えるのじゃ」
御珠はそう言って、どこか得意げに笑った。
その笑みは、神のものにしてはあまりにも人間らしかった。
じいっと見つめ返され、御珠はわずかに頬を染めて咳払いをした。
「ふ、ふん。礼など要らぬ。妾はぬしを見張るだけじゃ。
……間違っても、勝手に死ぬでないぞ」
照れ隠しのように言い残し、御珠の姿は朝霧の中に溶けた。
外では、初日の光が雪を照らしている。
白と金が混じるその世界で、雪杜は小さく息を吐いた。
——もう少しだけ、生きてみよう。
雪杜はそう思い、家路を急いだ。
雪の白さが、世界を包み込むように静かだった。
その中で、少年の心だけが、少し温かかった。
―――
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
※第1話・第2話で序章が完結します。ぜひ続けてお読みください。
近況ノートにキービジュアルも公開しているのでどうぞ。
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