【番外編】 朴訥な狼の独白

(ガロウ視点)


 あの日、俺は死を覚悟していた。

 敵対部族の卑劣な罠にはまり、仲間とはぐれ、脇腹には致命傷を負っていた。

 流れ落ちる自らの血で、森の土が濡れていく。意識が朦朧とする中、俺は狼としての誇りを胸に、静かに最期の時を待っていた。


 その時だった。ふわりと、信じられないほど甘く、清らかな香りが鼻先を掠めたのは。

 金木犀のようでありながら、もっと魂の奥深くまで届くような、神聖な香り。

 その香りに導かれるように、薄っすらと目を開けると、そこに、月光を背負って佇む青年がいた。


 亜麻色の髪、穏やかな翠の瞳。その姿は、この世のものとは思えないほど美しかった。

 死の間際に見た幻かと思った。だが、彼は俺の姿を見て、恐怖するどころか、憐れみの表情を浮かべたのだ。

 そして、その白く繊細な指先から、銀色に輝く糸を紡ぎだした。


 あれが、俺たちの出会いだった。


 後から、あれが「運命の番」との出会いの瞬間に起こる、魂の震えだったのだと知った。

 だが、その時の俺は、ただ本能で理解したのだ。この者を、絶対に手放してはならない、と。


 彼の糸が俺の傷を縫合していく様は、まさに奇跡だった。

 死の淵から引き戻され、意識を取り戻した俺の目に映ったのは、力を使い果たし、無防備に眠る彼の姿。

 そのか細い体、穏やかな寝顔。俺の中で、今まで感じたことのない独占欲が、炎のように燃え上がった。


 こいつは、俺のものだ。誰にも渡さない。


 だから、俺は彼を攫った。有無を言わさず、俺の国へと連れてきた。

 怖がらせてしまったことは分かっている。もっと穏やかな方法があったのかもしれない。

 だが、俺は不器用で、言葉で想いを伝える術を知らなかった。

 ただ、そばに置いて、最高の寝床と食事を与え、俺が美しいと思うものを贈ることしかできなかった。


 彼――ユンが、神殿でどれほど辛い思いをしてきたかを知った時、俺は神殿の全てを焼き尽くしてやりたいほどの怒りに駆られた。

 あんなに素晴らしい力を持っているのに。あんなに優しい心を持っているのに。

 なぜ、誰も彼の価値に気づかなかったのか。いや、気づいていたからこそ、奴らは彼を利用しようとしたのだ。許せない。絶対に。


 ユンが俺のそばで、少しずつ笑顔を見せてくれるようになった時。

 俺の不器用な求愛に、戸惑いながらも応えてくれた時。

 俺の胸は、張り裂けそうなほどの喜びに満たされた。彼が俺の名を呼ぶたびに、俺の世界は色鮮やかになっていった。


 戦場で、彼が命を削って俺を救ってくれた時、俺は初めて、失うことの本当の恐怖を知った。

 彼がいない世界など、俺にとっては闇と同じだ。彼が助かっても、もしユンが目覚めなかったら、俺は彼の後を追っていただろう。


 だが、彼は戻ってきてくれた。俺の元へ。


 今、俺の隣で穏やかに微笑むユンがいる。

 彼がいるだけで、俺は最強の王になれる。この国も、民も、そして何より、この愛しい番を、俺は生涯をかけて守り抜くと誓う。


 あの日、森で出会った月のように美しい青年。

 ユン。お前は、俺の運命。俺の、唯一つの光だ。

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