第19話 命を紡いで

 長老の真の目的が白日の下に晒され、戦場の空気は一変した。

 神殿騎士団の兵士たちは、自分たちが悪魔に仕えていたという事実に動揺し、戦意を完全に喪失していた。

 騎士団長ギデオンは、全ての罪を償うかのように、長老の私兵たちに剣を向けた。


「長老の犬どもめ! お前たちも、この悪逆に加担していたのか!」


 ギデオンの怒りの剣が、私兵たちを次々と切り伏せていく。主を失った私兵たちは、もはや統率の取れた軍隊ではなかった。


 しかし、その混乱の最中、私兵の隊長格の男が、最後の悪あがきとして、ユンに向かって呪いの込められた短剣を投げつけた。


「聖子さえいなくなれば……!」


 呪具は、ユンが張っていた結界をすり抜け、彼の防御を担っていた獣人たちの間を縫って、まっすぐに心臓へと向かっていく。


「ユン!」


 その危機を察知したガロウは、考えるより先に体が動いていた。

 彼はユンの前に立ちはだかり、その身を盾にして短剣を受けた。短剣は、ガロウの屈強な体を深々と貫いた。


「ガロウさんっ!」


 ユンの悲鳴が響き渡る。

 短剣に込められた呪いは、聖なる治癒さえも阻害する強力なものだった。

 傷口から黒い瘴気が溢れ出し、ガロウの銀色の毛皮をみるみるうちに蝕んでいく。

 彼は苦悶の声を上げながら、その場に崩れ落ちた。


「ガロウさん、しっかりして!」


 ユンは慌ててガロウに駆け寄り、治癒の糸を紡ごうとする。しかし、呪いの力が強すぎて、糸の光が弾かれてしまう。

 みるみるうちに、ガロウの生命力が失われていくのが分かった。


(嫌だ、死なせたくない!)


 ユンは絶望に打ちひしがれた。自分のせいで、また大切な人が傷ついた。自分の力が、もっと強ければ。


 その時、ユンの脳裏に、古文書にあった禁断の術に関する記述がよぎった。

 それは、術者の生命力そのものを魔力に変換し、奇跡を起こす秘術。

 成功すればどんな呪いも打ち破れるが、失敗すれば、あるいは成功したとしても、術者は命を落とす危険性が極めて高い、諸刃の剣。


 だが、ユンに迷いはなかった。ガロウを失うくらいなら、自分の命など惜しくはない。


「俺の命に代えても、あなたを助ける……!」


 ユンは覚悟を決めると、自らの胸に手を当てた。

 そして、これまでにないほど強く、深く、魔力を練り上げていく。それは、ただの魔力ではない。彼の魂、彼の生命そのものだった。


 ユンの指先から、今までとは比べ物にならないほど眩い、黄金色の糸が紡ぎ出され始めた。

 それは、まるで太陽の光を凝縮したかのような、神々しい輝きを放っていた。


 周囲の者たちが、その荘厳な光景に息を呑む。

 ユンの体から、生命力が急速に失われていくのが見て取れた。彼の亜麻色の髪は、輝きを失い、白髪へと変わっていく。

 それでも、彼は糸を紡ぐのをやめない。


「ユン、やめろ……!」


 意識が遠のく中、ガロウが必死に声を振り絞る。

 自分のために、ユンが命を削っている。その事実が、彼に死以上の苦しみを与えていた。


 しかし、ユンの決意は揺るがない。

 彼は、紡ぎ出した黄金の糸を、ガロウの傷口へと導いた。

 黄金の糸は、呪いの瘴気をものともせず、まるで闇を食らう光のように、その邪悪な力を浄化していく。

 そして、ガロウの傷を癒し、彼の全身を包み込んでいった。


 ユンの命が、ガロウの命へと、注ぎ込まれていく。

 それは、愛という名の下に行われる、最も神聖な魂の儀式だった。

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