第15話 開戦の狼煙

 夜明けと共に、平原を覆っていた霧が晴れていく。

 その向こうから現れたのは、朝日に照らされて白銀に輝く、神殿騎士団の軍勢だった。

 整然と隊列を組み、その一糸乱れぬ動きは、彼らが恐るべき精鋭であることを物語っていた。


 対する獣人たちの陣営もまた、静かな闘志を燃やしていた。

 数は騎士団に劣るかもしれないが、一人一人が故郷を守るという固い決意を胸に秘めている。その目には、恐怖の色はない。


 総大将として軍を率いるガロウは、銀狼の姿へとその身を変えていた。

 月光のように輝く巨大な狼の姿は、味方にとっては頼もしく、敵にとっては脅威そのものだ。

 彼は全軍を見渡し、地を揺るがすほどの雄叫びを上げた。それが、開戦の合図だった。


「ウオオオオオオオッ!」


 獣人たちの咆哮が、それに呼応する。大地を蹴り、彼らは一斉に騎士団へと突撃した。

 先陣を切るのは、ガロウ率いる狼獣人族の部隊だ。その俊敏な動きは、人間の騎士では捉えきれない。


 迎え撃つ騎士団も、一歩も引かなかった。

 団長ギデオンの号令一下、分厚い盾の壁を作り、獣人たちの猛攻を受け止める。

 槍が突き出され、剣が閃き、戦場は瞬く間に鬨の声と金属がぶつかり合う音、そして悲鳴に満たされた。


 ユンは、後方に設置された野戦病院で、その光景を固唾を呑んで見守っていた。

 彼にできるのは、ここで負傷者の手当てをしながら、仲間たちの勝利を祈ることだけ。自分の無力さが、歯がゆかった。


 彼は、自分が紡いだ糸で作られた布を、治療しやすいように小さく切り分けて準備していた。

 その布は、傷口に当てるだけで、驚異的な速さで傷を癒すことができる。

 彼の力が、この戦いの趨勢を左右する重要な鍵の一つだった。


 戦況は、一進一退の攻防を続けていた。

 獣人たちの個々の身体能力は騎士を上回るが、騎士団の連携と戦術はそれを巧みにいなしていく。

 特に、神殿から与えられた聖なる加護を持つ武具は厄介で、獣人たちの強靭な肉体にも深手を負わせることができた。


「負傷者だ! 運べ!」


 野戦病院に、次々と傷ついた獣人たちが運び込まれてくる。

 ユンは、悲鳴を上げたくなるのを堪え、覚悟を決めて彼らの治療にあたった。

 リリィや他の女性たちが傷口を洗い清め、そこにユンが治癒の布を当てる。

 布が淡い光を放ち、見る見るうちに傷が塞がっていく光景に、負傷者たちも、治療を手伝う者たちも息を呑んだ。


「すごい……本当に傷が……」

「聖子様、ありがとうございます……!」


 感謝の言葉をかけられるが、ユンの心は晴れなかった。

 治しても、また彼らは戦場へ戻っていく。そして、さらに多くの負傷者が運び込まれてくる。

 終わりの見えない戦いに、ユンの心は少しずつ摩耗していった。


 そんな中、伝令が駆け込んできて、ガロウの部隊が苦戦していると告げた。

 騎士団長ギデオンが自ら率いる部隊は特に手強く、ガロウが敵陣深くで孤立させられかけているという。


 その報告を聞いた瞬間、ユンの頭から冷静さが消えた。


(ガロウさんが、危ない)


 その思いが、彼の全身を支配した。祈っているだけでは駄目だ。待っているだけでは、後悔することになる。


(俺の力は、ここで使うためにあるんだ)


 ユンは、傍らに置いてあった、一番大きく、そして最も多くの魔力を込めて織り上げた布の塊を抱きかかえた。


「ユン様、どこへ行かれるのですか!」


 リリィの制止の声を振り切り、ユンは野戦病院を飛び出した。

 目指すは、ガロウがいるはずの、最も戦いの激しい最前線。

 もう、彼を守られるだけの存在でいるのは終わりだ。今度は、自分が彼を守る番だった。

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