第14話 ふたりの誓い

 決戦を明日に控えた夜、月は雲に隠れ、獣人の国は静寂に包まれていた。

 だがその静けさは、嵐の前の静けさだ。誰もが、明日の日の出と共に始まるであろう戦いを思い、眠れぬ夜を過ごしていた。


 ユンもまた、自室の寝台の上で横になってはいたが、一向に眠気は訪れなかった。

 頭の中を、戦いの光景がよぎる。血が流れ、誰かが傷つき、命が失われる。その原因が自分にあるという事実が、重く心にのしかかっていた。


 不安に押しつぶされそうになり、思わず体を起こした時、静かに部屋の扉が開いた。

 そこに立っていたのは、甲冑を脱ぎ、軽装になったガロウだった。


「……眠れないのか」


 穏やかな声に、ユンはこくりとうなずいた。

 ガロウは黙って部屋に入り、ユンの隣に腰を下ろす。寝台が、彼の重みでぎしりと軋んだ。


「明日、戦いが始まるのですね」

「ああ」

「……怖いです。俺のせいで、誰かが死んでしまうかもしれないと思うと……」


 震える声で告白すると、ガロウは大きな手で、そっとユンの頭を撫でた。

 その不器用な優しさが、今は何よりも心に沁みる。


「お前のせいではない。これは、お前の力を独占しようとする者たちと、それを守ろうとする俺たちの戦いだ。お前は、何も負い目を感じる必要はない」


 そう言って、ガロウはユンの震える体を力強く抱きしめた。

 逞しい胸板に顔を埋めると、彼の落ち着いた心音が伝わってくる。その音を聞いていると、荒れ狂っていたユンの心が、少しずつ凪いでいくようだった。


「何があっても、お前は渡さない。この命に代えても、必ず守り抜く」


 その言葉は、血も涙もない戦場へ赴く男の、覚悟の言葉だった。

 ユンは、その覚悟の重さに胸が締め付けられるようだった。自分は、この人にこれほどの覚悟をさせている。

 ならば、自分も覚悟を決めなければならない。


 ユンは顔を上げ、ガロウの金色の瞳をまっすぐに見つめ返した。


「俺も、あなたのそばにいたいです」


 それは、紛れもないユンの本心だった。守られるだけでなく、支えたい。この人の力になりたい。


「俺のこの力は、あなたと出会って、初めて価値があるのだと知りました。この国に来て、初めて人の温かさを知りました。だから、俺も戦います。この力で、あなたと、この国のみんなを守りたい」


 その瞳に宿る強い光を見て、ガロウは息を呑んだ。

 もはや、そこにかつての無力な聖子の面影はない。愛するものを守るために立ち上がった、強く、気高い魂がそこにあった。


「……ユン」


 ガロウは愛おしさに耐えきれないといった様子で、ユンの頬に手を添えた。

 そして、ゆっくりと顔を近づけてくる。ユンは、これから起こることを予感し、そっと目を閉じた。


 唇に、柔らかく、そして少しだけ不器用な感触が触れた。

 それは、二人が交わす初めての口づけだった。甘く、切ない、お互いの気持ちを確かめ合うようなキス。

 離れていく唇が名残惜しくて、ユンは思わずガロウの服の裾をぎゅっと掴んでいた。


「必ず、生きてお前の元へ帰る」

「はい……待っています」


 もう一度、今度は深く、お互いの想いをぶつけ合うように唇を重ねる。

 言葉はなくても、魂が繋がっているのが分かった。もう、怖いものは何もない。この人がいる限り、自分は強くなれる。


 月が雲間から顔を出し、銀色の光が二人を照らし出す。

 それは、戦いを前にした二人が交わした、永遠の誓いの証のように、静かに輝いていた。

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